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7.いいわけ
「というわけで、公国への街道整備には山脈方面を根城とする魔獣の群れを駆逐可能なだけの大戦力を揃えなくてはなりません。特に中腹を徘徊している腐毒竜の討伐には、その、SSSランク冒険者パーティの雇用が必要かと」
「そんな強いんだ、あれ……」
険しい表情のオレに少々歳上の巨乳眼鏡魔術士が頷く。
「超人的な個人の集団に頼らない限りいかなる国家の軍事力でも勝負にならないと断言出来ます。それほどの強さと言えば伝わりますか? 我が主」
彼女の言い草に新参の傭兵団長やこの地でオレに忠誠を誓った騎士、協定を結んだ大商人らの誰もが色めき立つが、彼女は決してオレを卑下しているわけではない。
むしろ最大限オレの無知を補うべく使命感に溢れているくらいだ。
オレは異世界転移者で、その秘密を知るのはこの場で誰よりもビジネスライクな態度を崩さない彼女ただひとりなのだから。
「今さらながらとんでもない領地を与えられたなあ。まあいいや、ありがとう。ちなみにSSSランク冒険者パーティって雇うのにどれくらい予算が必要なの?」
「討伐を依頼する獲物も世界最高峰ですので、恐らくは国家予算のような額になるでしょうね。念のため担当者から正規ルートで過去の報酬額を確認してありますが……ご確認なさいますか?」
そう言って脇の棚から紙束を取り上げた彼女は、しかし不安げにオレへ視線を向ける。
「見せて? ああ、みんなにも配ってくれ」
オレはお気楽な半笑いで続ける。
「気になるでしょ? 滅多にない機会だろうしさ」
確かに、と珍獣でも観るかのようなやや和やかな空気で紙束を受け取った誰もがそこに並んだ金額に目を丸くして顔を見合わせた。
だが若輩者であるオレの能力や人間性ならまだしも、十年前に国立魔術学院を全科目ぶっちぎりの首席で卒業した才媛である彼女の情報収集能力を疑う者はこの場にはいない。
「まあ、今日は情報共有だけということで。続きはまた後日相談しよう。追って連絡するよ」
転移して最初に出会い、オレとともに数々の窮地を乗り越えて来た彼女ですら解散してから密かに不安を打ち明けるほどの窮地。こともなげに解散を宣言したオレに対して、彼らはどんな気持ちを抱いただろう。
だが、正直なところ腐毒竜を倒すこと自体はさほど難しくもないと思っている。オレの手元にはこの世界に転生したときに手に入れた神具級魔導書があるのだから。
その名は完全工作写本。
全ページ白紙のそれは魔導書というよりはむしろノートそのものだった。
だがこれは魔導書、望む物を書き込めばそれをこの世界で製造する方法が自動的に浮かび上がる。それもただのレシピではなく入手困難な材料の入手方法から専門技術の持ち主まで表示される懇切丁寧具合だ。
作りたい物も具体的な名称が知識に無ければ大雑把な機能を書き付けるだけでそれらしい物を表示してくれるネットの検索エンジンも顔負けの超性能。
オレはこの力を使って天才発明家として名を馳せ、先の戦争では国の窮地を救い貴族の地位と領地を手に入れた。
そして、この件に限ったオチだけを言うなら、オレはいつものように驚天動地の発明品で腐毒竜を討伐した。
めでたし……ああ、めでたし。
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「なんだ、ここは」
それはある夜のことだった。トイレで用を足して自室へ繋がる扉を開けた先にあったのは、しかし見慣れない光景だった。
「オレの部屋じゃない。これは……本、棚?」
薄明りを感じる廊下のような空間、回廊とでも言えばいいのだろうか。その両側にはずらりと威圧的に本棚が並んでいる。びっしりと本の詰まったそれは目を凝らしてもキリがないほどの高さで、奥行きもまた暗がりに消えてしまいどれだけあるのかわからない。
狭いようで広いような不可解な空間。
そこに収まっているモノはどれも見たことがあるような、無いような、文字も読めるような、読めないような……そう、なにひとつはっきりと認識することが出来なかった。
得体の知れないところへ迷い込んだ不安で抱えていた完全工作写本を持つ腕に力が篭る。
そのままただ立ちすくんでいると、奥の暗がりから足音が響いてきた。
「やあやあ、ここを利用したいならまずは扉を閉めてくれまいか」
現れたのは地味な和服の女だった。小柄で垂れ目の童顔に量販店で売っていそうな眼鏡、一応手入れされていそうな黒髪は大雑把にひと括りにまとめられ、少女、と言う風体ではあれどふてぶてしい笑みを浮かべて彼女が続ける。
「ここは世界を問わない書物の殿堂だよ。その顔つき、キミは異世界転移者のようだね」
「おま、なんで、それをっ」
ヤバい。
一発で素性を言い当てられ焦って一歩下がったのが良くなかった。かかとに当たった扉が勢いよく閉まる。振り返ればもう扉は無い。
閉じ込められた!
緊張でさらに腕に力が篭る。これだけは、完全工作写本だけは絶対に守らなくてはならない。
「まあ顔でわかるよ、どうやら同郷のようだしね。ともあれだ、そんなに警戒しなくてもいいよ。どうせ出来ることは限られてる」
そう言って彼女が歩き出すと、魔術かなにかだろうか。薄明りも彼女について移動し始める。
「こちらへどうぞ」
ここで置いていかれると真っ暗闇になりかねない。オレは慌てて彼女の後ろを追う。
「なんなんだ? ここは」
「まあ、そうだね。“異世界本屋”と言ったところだよ」
「異世界、本屋」
異世界転移したのにそこからまた異世界なのか。しかも同郷であるらしい。時代こそ違うかもしれないけれども言われてみれば確かにそんな気もする。
「そう、本屋。だから出来るのはせいぜい本を一冊取引するくらいのものさ。欲しいモノがあれば私が探そう。逆に売りたいモノがあるなら査定するけれども?」
ちらりと視線がオレの胸元に向けられるのと、目の前に二脚の椅子と丸いティーテーブルが現れるのは概ね同時だった。彼女がテーブルの向こうの椅子に腰掛けたので、オレも恐る恐る手前の椅子に腰掛ける。
「買取も、やってるんだな?」
「そうだね、本であれば、だいたいは」
その返事を聞いて暫く迷って、オレは手元に抱きしめていた本、つまり完全工作写本をティーテーブルへと置いた。
「領の運営に大金が必要なんだ、この本を高く買ってくれるとありがたいん……だけど」
彼女は片眉を上げてオレを見詰め「中身を見せて貰っても?」と続けた。
「ああ、構わない。気になることがあれば聞いてくれ」
「それでは遠慮なく」
ぱらぱらとページを捲った彼女が視線をこちらに向ける。
「こいつは……全知の欠片じゃないか」
「アカ、シャ?」
「アカシックレコードと呼べばピンと来るかな? これは、キミが今いる世界の全知記録へ限定的にアクセスするツールだ」
「マジか」
「フィルタが掛かっているからアクセス方法も表示内容も限られてるけど、金が必要ならこれを使って稼いだ方が有益なんじゃないかな」
言われれば確かにその通りではあるのだが。
「いや、今即金で欲しいんだ……そこを、なんとか」
オレも意志は固い。
「私としても買い取るのはやぶさかではないのだけれども」
困惑気味な彼女は、ふとなにかを察したように目を細めた。
「……もしかして、これを手放したいのかい?」
反射的に身体が震えたのを、彼女は見逃さなかっただろう。オレは覚悟を決める。
「金が必要なのは嘘じゃない。けど……お察しの通りだよ。オレは、それを手放したいんだ」
金が必要なんてのは彼女が看破した通り、所詮はいいわけに過ぎない。
本当の目的は完全工作写本をどこか人目に触れないところへ追いやってしまうことなのだ。
「どうしてまた。便利だろう? これ」
彼女の疑問はもっともだ。
「完全工作写本は665ページの白紙に自由にレシピを要求できて、レシピが成立するたびに1ページずつ埋まっていく。確かに便利だけれどもこの能力は神具級魔導書の機能であって、オレの能力じゃあない。……誰にでも使うことが出来るんだ」
「他人に奪われるのが心配だと?」
「……これはその世界で実現可能な性能の物のレシピならなんでも表示する。例えば……核兵器みたいなものでも。奪われればオレが損するみたいな小さな話じゃなくなる」
真剣な気持ちで彼女へ視線を向ける。
「おかしなやつの手に渡れば本当に世界が滅びる。そして所持者であるオレはなんの取り柄も無いただの凡人でしかないんだ」
言っているあいだにも身体が芯から震えだし、頭を抱えて背を丸める。
「国家予算ほども報酬を要求してくる超人を雇わなけりゃ討伐出来ないような怪物だって、その住処の山ごと跡形もなくブッ飛ばせる物が簡単に出来ちまった。しかもレシピで埋まったページはもう消すことも破り捨てることも出来ない。これからは、これを奪えば誰にでもあの超兵器が作れるようになる……あれが人間の住む土地に向く可能性を考えただけで……オレは……」
「けれども、キミはこれで成り上がってきたんだろう? いいのかい、手放してしまって」
彼女の声は穏やかだけれども、その言葉は鋭かった。
「この本の力でキミは幾多の困難を悠々乗り越え、そんなキミの姿に心酔し手を取り合うようになったひとたちも少なからずいるんじゃないのかい?」
「それは……」
否定のしようがなかった。
むしろこの力を失ったと知られたらオレの周りに誰が残るというのだろう。
事実、異世界転移してから今日までの功績はあくまで完全工作写本の力であってオレの才能や実力とはなんの関係もない。
誰も彼もが去っていく。そんな未来は、決して悪い妄想なんかじゃない。十分、いや、当然のようにあり得る現実だ。
彼女が目を細めて嗤う。
「もちろん私だって譲ってもらえるのであれば是非とも、喉から手が出るほど欲しい逸品さ。けれどもどうだろう? 本当に手放してもいいのかい?」
オレに仕えてくれている巨乳眼鏡魔術士も、これまで様々な事件で出会い絆を結んできた仲間たちも、オレの実力で仲間になったわけじゃないと言えばその通りだ。これを手放したらオレにはなにも残らないかもしれない。
「それでも」
ここが異世界だと言うのなら、なおさらオレの気持ちはもう決まっている。
「オレは、あの世界が好きなんだ。元いた世界よりも」
彼女は暫く沈黙していたが、最後には小さく溜息を吐いてうなずいた。
「そうか、そこまで言うならもう止めはしないよ。この本は私が買い取ろうじゃないか」
「いいのか!?」
「言ったろう? 喉から手が出るほど欲しいって。それに禁書邪本の類いなんていくらでも扱っているからね、一冊くらい増えたところでどうということもないよ。そんなことよりお代を支払わなくてはいけないけれども……これは金銭に替えるのが難しいな」
「引き取ってくれるならタダでもいいんだけどな。危険物処理を頼むようなもんだし」
金が要りようだという体裁で始めた話だったけれども、正直言えばとにかく安全に手放せればよかったのだ。値段なんかいくらでも構わない。
「そうはいかないよ」
そう言って彼女が差し出した小銭入れにはぎっしりと金貨が詰まっている。
「これは月の満ち欠けがひと巡りするたびに金貨が満杯になる不思議な小銭入れだ。硬貨はそのときキミがいる世界の物が出て来る。金貨が流通していなくてもなにかしら最高価値の貨幣が湧くようになっている優れものさ。少々見劣りするけれども、代金の代わりにこれでどうだろう」
「え、それって、金貨が無限に湧く、ってことか?」
「ある程度時間を置けばって条件はあるけれどもね。一度に国家予算みたいな大金が出て来るわけじゃないけれど、一生食うには困らないんじゃないかな。お誂え向きだろう?」
確かに、完全工作写本を失ったオレがこれからどうなるのかはわからない。最悪地位も権力も人間関係も全てを失う可能性がある。
そう思えば、これは心強い保険だ。
「なるほどな、確かにありがたいかも」
小銭入れを手に取って立ち上がる。「お帰りはそちらから」と促された先にある扉に手をかけて、ふっと振り返る。
「ちなみにその本はどうなるんだ?」
「これかい? 誰かが“完全工作写本を欲しい”と名指しで訪れれば売ることもあるかもしれないね」
「マジか……」
考えてみれば本屋なのだ。買い取った本を売らないはずもない。けれどもオレの懸念を察した彼女は意地の悪い笑みを浮かべて続けた。
「もちろん、価値相応の対価をこの場で一括で払えるなら、だけれど」
「そっか。それならまあ、安心かな」
誰が全知の欠片などと呼ばれるほどの神具級魔導書をピンポイントで求め、しかもそれに相応しい代金をその場で払えるのだろうか。
オレは彼女に軽く会釈して扉を潜り抜けた。
散々神具級魔導書頼りで作ってきた地盤はあるけれども、今日からは本当に実力勝負だ。苦難も、挫折もあるだろう。多くのひとに愛想をつかされるのも覚悟の上だ。
それでも。
オレはやっと、この世界と向き合って生きていく決心をしたんだ。
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