5話 予定

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5話 予定

 死ねなかった謙は、野乃花の部屋にいた。 「夕飯です」  野乃花がカレーライスを目の前に差し出したが、謙は食べようとしなかった。  小さく丸まって座る謙を気にすることもなく、野乃花はカレーライスを食べた。  静かな部屋には、外から街の雑音が聞こえてくる。  車の音、バイクの音、子供たちの楽しげな声、踏切の音、電車の音、酔っぱらいの大声。  誰もがこの社会に生きていて、誰もが何かしらにかかわっている。  何もしていない自分は、果たしてなんなのだろうか。  責められているような気がして、謙は死ねなかったことを後悔し始めた。 「ごちそうさまでした」  野乃花はカレーライスを食べ終えると、本棚に飾ってある家族写真を手に取った。  それをテーブルの真ん中に置くと、野乃花はじっと写真を見ながら口を開いた。 「小さい頃、一家心中したんです、私の家族。私だけが生き残りました。両親と姉は死にました。私は小学生だったので一人で生きることもできなくて、祖父母の家に預けられました。なんで私だけ生き残ったんだろうっていつも考えて、どうやってみんなのところに行こうかずっと想像してました。  そして、ある日、死のうとしました。でも、止められました。カッターを投げ捨てられて、死ねなくなりました。その時に言われたんです。 『楽しい予定を立てよう』  どういうことかと思って祖父を見上げると、『楽しい予定を立てて、それまで生きよう』と言われました。 『まずは、それまででいいから。それから先のことは後で考えよう』  祖父も祖母も、泣いていました。  私も、泣きました。死ぬはずだった私が新しい明日を望んでいいのか。それは、今でもわかりません。  でも、それ以来、私はほぼ毎日、何かしら楽しい予定を入れています。好きな講義を受けられる大学だったり、友達と出かけたり、あなたと遊んだり。  誰かと予定を立てて、毎日の隙間を埋めているんです。  そうして、ここまで、生きながらえてきました。  朝木さん、次はいつ遊びますか?」  謙は答えなかった。  野乃花は写真を本棚に戻すと、空になった皿をシンクへ持って行き洗った。  じゃあじゃあという音が、部屋に響いた。  野乃花は皿を水切り籠に載せると、戻ってきて座椅子に腰を下ろした。 「……実家に、帰らなくちゃいけないかもしれない」  ぽつりと謙は言った。 「そうですか。じゃあ、私が遊びに行きます。いつがいいですか?」  それが何だとばかりに野乃花は言う。 「……なんで、そこまでするんだ」  謙はわからなかった。  ただの無職に構う大学生の心境が理解できなかった。  野乃花は小さく息を吐いて、覚悟を決めたように言った。 「好きなんです。朝木さんのことが。  チャラいけど、絶対、手は出してこない。遊び歩いてるくせに、実は女性に慣れてない。いつも頑張って生きているのに、認めてもらえない。でも、それでも頑張って生きてる。今日は挫けそうになったみたいですけど、今も、こうして部屋に来てくれた。だから好きです。  あと、気づいてるかどうかわかりませんけど、朝木さん、すごくかっこいいですよ。ビジュが良いんです」  野乃花は笑った。 「顔を上げてください、朝木さん」 「……無理」 「なんでですか?」 「……ビジュが崩れてるから」  言い終えて、謙は鼻をすすった。実は、ここに来てからずっと涙が止まっていない。ジーンズの太ももがびしょびしょに濡れていて気持ち悪かった。  ははっ、と野乃花が笑う。 「じゃあ、ビジュが戻ったら顔を上げてください。はい、これ」  野乃花はティッシュを謙に渡した。 「……ありがと」  謙はティッシュを受け取った。  数分後、山積みになったティッシュの山をごみ箱に捨てると、恥ずかしそうに謙は顔を上げた。  目と鼻の先は赤く、瞼は少し腫れていたが、もう泣いていなかった。 「かっこいいですね、ほんと」  野乃花は言った。  へへっ、と謙は笑った。 「あの、笑うのやめてください、顔見れません」  野乃花の顔が赤くなった。  ふいに、謙は思い出した。 「もしかして、いつも目を合わせてくれないのって……?」 「……そうです、恥ずかしいんです」  どこか淡白で何を考えているのか読みにくい野乃花の珍しい反応が面白くなって、謙は顔を背ける野乃花と目を合わせようと身を乗り出した。 「もうっ」  野乃花は怒ったように立ち上がって謙のそばに来ると、そのままおもむろに腕を掴んだ。 「え……?」  あれよあれよという間に、野乃花は腕ひしぎ十字固めを繰り出した。 「えっ、何、まっ、待って、腕取れるっ、ギブ、ギブ……!」  ペチペチと謙が野乃花を叩くと、野乃花は「あっ……」と我に返って腕を解放した。 「え……? 何? どういうこと? なんで関節技決められたの、俺」  混乱している謙に、野乃花は言った。 「祖父から、何かあったら困るから格闘技を習いなさいって言われて、数年間習ってました……」 「……」 「引くと思ったから言いたくなかったんですよ……!」  野乃花は顔を覆って俯いた。 「もうっ、付き合ってくれないと関節外します!」 「えっ……!?」 「どうするんですか!?」  立ち上がりかけた野乃花に、「ま、待って、付き合う、付き合うから!」と謙は必死に言葉を返した。 「言質取りましたからね! ほら、次の予定決めますよ!」  死ねなかった二人は、わちゃわちゃと騒ぎながら予定を立てていく。  自分の関節が外される恐怖と闘いながらも、少しずつ、周りの色が鮮やかになっていくのを、謙は感じていた。
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