第7話 深夜におやすみ。前編

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第7話 深夜におやすみ。前編

 夜が更け、下品なほど煌びやかで雑然としていた。  そして数多の欲望が渦巻いている。  ……ってのは、ちょっと大げさだが。    ここは、【天国一番地(ヘブンファースト)】  子安貝駅裏繁華街のキャバクラだ。    そんなキャバクラのボックス席で、私はフルーツ盛り合わせを食べている。  勿論客としてだ。  そして横には、この店のナンバーワンであるアンジュちゃんが座っている。 「ねぇミサちゃん。もういい加減お金にならない慈善事業なんてやめたらぁ?」  と、髪を盛り(・・)、着飾った夜の蝶が私に傍らからささやく。   「別に、慈善事業って訳じゃないんだけどね……」  そう言って、私はパインをフォークで指して持ち上げようとした。だが瑞々しさが災いしてか、一瞬持ち上がっただけで、するりと滑り落ちた。    「フルーツは手づかみのほうが美味しいのにぃ」  と、そのパインをアンジュちゃんが横から指で搔っ攫っていく。   「雰囲気だよ、ふ・ん・い・き。高級そうな見た目の奴は、銀のフォークで食べたい気持ちわからない?」 「分からないでもぉないけどぉ、ここ、そんな店じゃないよぉ?」 「分かってるよ。そもそもそんな高級な店に行ける金は持ってないからね」    さて、どうして私がこの店にいるのか。  それはこのアンジュちゃんに呼ばれたからだが、何故呼ばれたのかと言えば、それは“報酬”を貰うためだ。    ちなみに、このアンジュちゃん。  本名を、【七沼(ひちぬま)那智(なち)】という。ぶっきらぼうな、あの“ナッちゃん”だ。  しかも普段は、天分寺(てんぶじ)という寺で住職の女性版、いわゆる庵主(あんじゅ)様というやつだ。    寺での顔を知ってる人でも、九割以上が気が付かないのは、おそらく見た目も態度も一八〇度違うせいだろう。  なんだったら声まで違って聞こえる。    解離性精神障害、いわゆる多重人格を疑いたくなるが、本人いわく『完璧に演じているんだよ』とのことだ。  ちなみに一割未満の“気が付く人”は、野生の感だとか、何か不思議な力があるのだろう。    さておき、いろいろ支払いが滞っている私は、彼女に紹介料をせっついた。  結果、『急ぐなら取りに来い』という事でこうなったのだ。  先日のユーミの件での報酬だ。     「あらぁ社長さん。ごめんなさぁい。今日は指名入ってるのぉ」  と、アンジュちゃんは立ち上がり、ボックスの後ろを通った年配男性に抱き着くように触れた。 「残念だなぁ、今度はサービスしてよぉ」 「うふふ、もっちろん」  古臭いほどのベタトークが交わされたあと、アンジュは再び私の横に座った。   「アンジュちゃんもしてるじゃない。“慈善事業”」  私は、いいとこ課長どまりの“社長さん”の後姿を肩越しに一瞥。  それからアンジュちゃんに横顔に視線を戻した。    アンジュちゃんは、今の男性に一瞬で【縁切り(えんぎり)】をしたのだ。  この場合は【怨切り(えんぎり)】だ。  どこかから悪意の糸を引っ付けてきていたのだろう。    アンジュちゃんは、笑顔そのままで、 「悪い空気持ち込まれると、儲けが落ちるのよぉ」  そう指で“チョキ”を作って、チョキチョキ揺らした。   「なるほどね」  私は席についた男性の後姿をもう一度眺める。   「あとねぇ」 「あと? まだ何かしたの?」  私の視線が引き戻された。そのままアンジュを一瞥。  それからフォークを、お待ちかねのメロンに差し向けながら耳だけは聞く姿勢。   「指拭いた」 「あぁ……パインの汁ね」  彼女の横顔はやっぱり笑っている。  性格は、あまり褒められたものではないのだ。     「ああ、そうだ。徳さんが、マスターがね、鈴屋旅館の建物、壊すってさ」  私はメロンのささったフォークを持ち上げる。すると横でアンジュちゃんが口を開けた。  “あーん”と、催促だ。    おごりだから拒否権のない私は、そのままメロンを彼女の口に運ぶ。  そして瑞々しい果物を内包すると、彼女の瑞々しい唇が閉ざされて数秒。 「そうなんだぁ。でも、それがいいわよねぇ」 「うん。今回の事件で踏ん切りがついたみたい」 「いい思い出の詰まった場所で、悪い事が起きるのは悲しいものねぇ」    アンジュちゃんの言う通りだ。  徳さんには、いい思い出がたくさん詰まっていた場所なのだ。  純粋に資金的な面もあるだろうが、いままで壊せないでいたのは、そういった思いも多分にあったせいだろう。     「ああ、それとアンジュちゃん。日真谷(ひまや)の旧電波塔がらみで、何か聞いたことない? 「日真谷(ひまや)って山間の? しらないけど、また捏造記事書くのぉ?」 「まあ、そうなんだけど、身もふたもない言い方やめてよ」  「うふふ、ごめんね。で、どんな話ぃ?」 「ああ。えっとね、先日の事なんだけど――」        ――それは開局三十周年を迎えたFMラジオ放送局のプロデューサーから、私のSNSに送られてきたDMが始まりだった。    放送局というのは割とネタの宝庫だ。  私は早々に段取りをつけ、その局のロビーで話を聞いた。      ブラックは飲めないのに。  私はテーブルに置かれたプラカップのコーヒーを一瞥の後、砂糖とミルクを探すように視線を彷徨(さまよ)わせながら問いかけた。 「で、深夜二時頃やっていた番組に対する問い合わせ……ですか?」  対面で語る彼女は【光岡(みつおか)芙季子(ふきこ)】、DMを送ってきた本人で、主に深夜帯の番組プロデューサーだ。  「ええ月曜日の未明、編成上は日曜日の深夜ですが、その時間は保守点検等、整備に当てていいるのですが……」 「つまり放送はしてなかった時刻ですよね。問い合わせは多いんです?」 「いえ、多いというほどではないですが、電話で二件。メールで二件、他には公式SNSアカウントに六件ほど……」  騒ぐほどではないが、無視もできないといったところか。    光岡氏の歳は三十代後半。  いかにも仕事ができそう、かつオシャレに気を配れる眼鏡女子だ。いや眼鏡女史の方がしっくりくる。  で、まあ深夜帯というあたり出世競争からはドロップアウトした口だろう。  個人的な感想としては悪くない。    そんな彼女の口調はどこか楽し気で、オカルト好きがありありとにじみ出ている。  しかも私の書く記事のファンだというから、かなりディープな類だ。      私の視線を悟ってか、通りがかった女性がコーヒーメイカーの横の黒いボックスを指さした。  私は席を立ち、その女性に一礼してからシュガースティック三本とミルクを取り出す。  すると光岡女史が不思議そうに首を傾げている。   「三本ほど失礼しますね。私、甘党なんで」 「いえ、気が付きませんで。でも、砂糖の場所よくお分かりになりましたね」 「ああ、何となくここかなぁと、ね」  そう私は“彼女の存在”をはぐらかす。  なるほど。つまりは美観か、何らかの理由で隠してあったらしい。    私は三本同時に封を切り、砂糖をカップに流し込んでミルクを注ぐ。  そしてカップを揺らして混ぜながら席へと戻った。   『公開収録とかで来た奥様方がね、割と遠慮なしに使うからですよ』  私の背後から、光岡女史には“見えない彼女”がささやいた。 「なるほど」  想像に(やす)い。 「え?」  そして私が呟いたせいで、また光岡女史が訝しんでいるが、さておく。 「ああ、いえ、それで続きを伺っても?」 「え、ええ。以前はね、その時間帯にも番組があったんです」  光岡女史はオカルト好きの、思わせぶりな口調で言った。    私だって、ここへ来る前に下調べはしてきたのだ。 「『ミッドナイトにグッとNIGHT(ナイト)』ですね?」 「ええ、そうです」    そして私は、ガラス張りのロビーの端に作られた献花台を眺める。  長机に白布が掛けられたものだ。  そこには、にこやかに笑う男性と女性の写真が飾ってあって、お世辞にも多いとは言えないが、花も手向けられている。    遅れて光岡女史も視線を献花台に向け、 「日曜日の深夜。つまり月曜日の早朝の放送なわけですから、そこまで人気があったわけではないんです。でも固定リスナーは一定数いましたね。……あの事故さえなければ、週の終わりの放送として今も続いていたのかもしれません」    あの事故とは、一か月ちょっと前。  地方FM局の、件の番組パーソナリティ【沼橋健司】四十六歳、通称ヌマケンと、番組プロデューサー【沖博子(おき ひろこ)】三十四歳が高速道路の事故で死亡した。  乗用車三台による玉突き事故に巻き込まれた形だ。    私も、その日のニュース番組で目にしたのは覚えている。   「で、件の問い合わせと、『ミッドナイトにグッとNIGHT(ナイト)』が関係あると?」 「ああ、いえ、そこまでは言いませんけど、ねぇ」  光岡女史は、“立場もあるし”と言う風味を言外に醸し出しながら、やはりどこかオカルトめいた空気を楽しんでいる節がある。    私は底に砂糖の残るコーヒーを一気に飲み干した。 「分かりました。調べてみます。ああ、それと“お払い”の類は必要ないですよね?」 「ええ、はい。ラジオ局ですから」  意外かもしれないが、テレビ局やラジオ局というのは、“そういう事”に敏感で、ヒット祈願等とは別に、ネガティブな方向で贔屓にしている寺や神社はいくつかあるのだ。  今回も、既に形式的なお払いを済ませているのだろう。    私はそれから二、三言葉を交わしてから光岡女史とロビーで別れた。    途中、私は短い廊下に佇む“彼女”に問いかける。 「貴女は“どう”なさいます?」  彼女、沖博子(おき ひろこ)は横に首を振った。 「四十九日が終わったら逝きますので、お構いなく」 「ですよね」  彼女は此岸(こっちがわ)をしばらく眺めてから満足して逝くつもりなのだろう。  そこに、何も“悪いもの”は感じないし、私の問い自体も社交辞令のようなものだ。    再び私が玄関に向けて歩きだすと、 「でも、あの……」  と、沖博子(おき ひろこ)氏の声が、私の後ろ髪に僅かな不安を絡ませた。 「“ヌマケン”さんの事ですね? 期待に沿えるかどうかはわかりませんが、私も少し探してみますよ」  そう肩越しに残し、私はその場を後にした。    ま、旅立つにあたり、未練は少ないほうがいい――。        ――。 「そのFM局は、開局三十周年の節目で。時を同じく都市部の電波塔のエリアが拡大されて、それまで使っていた古い電波塔はお払い箱になったわけ」  私は銀のフォークを電波塔に見立て、フルーツの街の林檎に突き刺した。   「なるほどねぇ。で、その問い合わせしてきたリスナーの殆どが、旧電波塔付近に住んでたってわけねぇ」 「さすがアンジュちゃん、ご明察。まあ、プライバシー的な、法令順守(コンプライアンス)もあるから、わかる範囲での話だけど」 「次の日曜日、つまり明日ね。その電波塔に行ってみるの?」 「うん、そのつもり」 「ほんと、ミサちゃんは物好きよねぇ」 「まあ、それはほら、乗りかかった船というかさ……」 「自分から飛び乗ってるようにみえるけどぉ?」 「返す言葉もございません。その結果、アンジュちゃんに、“あっち”の仕事の紹介ができるわけですし? で、そろそろ例のモノを……」    私はアンジュちゃんの前に両手をそろえて出した。  すると前もって用意してあったのだろう、アンジュちゃんはハンドバッグから封筒を取り出し、私の手のひらに置いた。 「はい。じゃあこれね」 「あざっす!!」  受け取った途端、私は遠慮なく封筒を開けたのだが……。   「あれ、一枚少なくない?」 「当然でしょう? だって私の指名料と席料金(チャージ)は引いてあるもの。でも、ほらフルーツは私のおごりよぉ? 三千円もするのよぉ」  私からしたら“一万円のフルーツ”になったわけだが……、言っても仕方ない。        ――SNSの片隅では、日曜深夜の放送休止時間に放送を聞いたという書き込みが検索にヒットする。  内容は、 『古臭い曲が流れていた』 『苦しそうなうめき声が聞こえた』 『何語かわからない気味の悪い声が聞こえた』  等々、まちまちだ。  それを書き込んだのは、問い合わせた人なのか、あるいは他の偶然が生んだリスナーか。    まあ、なにはともあれ、行ってみるしかないわけで。  余談ではあるが、今私は無性にクリームたっぷりのフルーツサンドが食べたい気分だ。
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