第8話 深夜におやすみ。中編

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第8話 深夜におやすみ。中編

「もう……。またこんなに下げて……」  マドカの声が聞こえた。  そして続くリモコンの電子音。設定温度があげられていく。    私は部屋に帰るなりソファーで寝てしまっていた。  秋だというのに残暑は厳しく、炎天下でバイクを走らせたせいで随分と消耗していたのだ。   「ミサぁ、風邪ひくよ? ねぇ、ミサちゃんってばぁ」 「んー……」  聞こえているのだが、惰眠が私を捕まえて離さない。    マドカが私の寝転がるソファーの隙間に腰を下ろした瞬間、ふわり、とフローラルな香りが漂った。  仕事の汗をシャワーで流してきたのだろう。    私は薄ら目を開けながら起きてる事をアピール。だが、正直起きたくはない。  そんな私の目の前に、マドカは三角形の綺麗な色のモノをちらつかせる。  “それ”は、私の鼻孔をくすぐった。  マドカは、“それ”で私が起きると分かっているのだ。   「“これ”、食べたかったんでしょ?」  そう言うとマドカは、私にそれを握らせた。 「うん……、そう、“これこれ”、えへへ」  私の中の童心が顔を出す。  握らされたのはフルーツサンドだ。  しかもメロン。    私は笑顔で体を起こし、ソファーの上で胡坐をかいた。  そのまま軽く背筋を伸ばし、あくびがてらに薄カーテンの隙間に目をやった。  窓の外からは西日が差しこんでいる。  私は、そのオレンジ色で時間を悟った。   「ごめんね。あまり種類が残ってなくてさぁ」  そうマドカは、少しだけ申し訳なさそうに百円引きのシールの辺りを指差した。 「いや、これでいいんだよ。むしろこれがいい」  私は値札で留められたラップ包装に爪をひっかけた。    たいていのものは作り立てが美味しいが、しばらく冷やすことで“落ち着く”タイプのものがある。  しかし“フルサン”は、落ち着くのとは少し違い、ラップ包装の中で“馴染む”というのが正しい。    クリームの水分とフルーツの水分。  ラップ包装の中で逃げ場を失ったそれらが、パンの中に逃げ込む。  そして通常のふんわり食感より、やや重く、ネットリとした食感を生むのだ。    まあ、ぶっちゃけ好みの問題なのだが。    で、こう言うものは豪快に食べるほうがうまい。  がぶり、と私は口の中いっぱいに頬張った。    暴力的なクリームは、シットリのパンに(くる)まれ、口の中で酸味と一緒に弾けて混ざる。 「あぁ、あま美味い」    マドカも横に座り、バナナのフルサンにかぶりついた。  そしてマドカが飲み込むの待ってから、メロンのフルサンを差し出す。    マドカはそれを受け取ると、交換で私にバナナのフルサンを手渡す。  そして二人ともがほぼ同時に、フルサンにかぶりつく。    私たちは、大抵シェアする。  同居を始めた日、“恋人”になる前からそうだった。    マドカとは幼馴染だ。  と言っても、仲が良くなったのは中学からで、それまではただの“近所の子”程度の関係だった。    シェアするようになったのはいつの頃だったか。  中学卒業後、マドカは少し離れた高校に進学するとかで仲が良かった関係も一度断たれた。    そして一年ちょっとたったある日、私たちは再開したのだ――。      ――私は女子高に馴染めなくて一年は頑張ったが、二年の一学期の終業式の日、母親の財布を盗んで家出した。  それから実家から少し離れた子安貝の、通報されないような“ゆるい”感じのネカフェとかを転々としていた。    母親は私を探そうとせず、容赦なく私のスマホの契約を解除してくれやがった。  別にそれはいい。だが、お金が目減りしていく中、情報源を断たれたのは痛い。    まあ、何とかなるだろう。  と、まだ世間を知らない私は簡単に考えていた。  そして“子供”でも稼げるバイトを探すことにした。できれば住み込みの。    私は、夕方スーパーのタイムセールで半額になったフルサンを二つ購入。  帰りに出入口で無料の求人情報誌を手に取る。    どこかで食べながら、情報誌に目を通そう。  そう私の視線が辺りを見渡す。  すると“親切な男性”が横を指さしていた。  おかげですぐ横に公園があることに気が付いた私は、その公園のベンチで情報誌に目を通す。   「ミサキ?」 「……ん?」  唐突に呼ばれ、私が視線をあげると、そこにマドカがいたのだ。  こんな偶然なんて、人生のうちでそう何度もあるものじゃない。  それくらい私にとっては意外な再開だった。    その年の秋も残暑が厳しくて、公園に人はまばらで。  なんでこんな場所で? って言いたくなるような状況だった。      聞けば、マドカも高校を中退しようとしていて、半べそになりながら彼女は近況を語ってくれた。   「心臓が悪かったなんて、私ちっとも知らなくて」  唯一の家族だったお兄さんが、仕事中に急死。  マドカは一人ぼっちになっていた。   「お金、厳しいの?」 「ううん、そうじゃないけど」  下世話な話、お兄さんはマドカに随分残してくれていたのだ。  未成年だから、相続関係で遠い親戚の介入はあったが、それでも成人するまでは学校に行けるくらいの額はある。    マドカは半べそのまま、半ば無理やり笑おうとしていた。 「お兄ちゃんの分も、私が朝ごはんとお弁当作ってたんだ。晩御飯もさ作ってたんだ。学校帰りに待ち合わせして、二人でスーパー行ったりしてさ」  まるで恋人のように仲のいい兄妹の姿が目に浮かぶ。  なのに、失った痛みが、辛い思い出に変貌させていたのだ。    そして癒す(いとま)もなく、四十九日を過ぎても彼女を(さいな)んでいるのだ。  まあ、月日なんて問題じゃないが。  学校に行きたくなくなるのには、十分な理由だ。      私も、情けない自分の近況を話した。  そしたらマドカは、私を自分の住むアパートに招いてくれた。  一人じゃ寂しいから、という、最初は“建て前”で。    その夜は、マドカの上達しまくった手料理を食べ、めいいっぱい思い出話をした。  そしてシングルベッドで二人寝転がり、ベッドの中でも話は尽きなくて、気が付けば真夜中になっていた。   「お兄ちゃんね、晩御飯を食べると、夜のバイトに行くんだ。それで帰ってくると、少しだけ扉を開けて、『ただいまおやすみ』って一つの単語みたいに小声で言うんだ。私もさ、布団に埋まったままで『おかえりおやすみ』って返すの」  かわいい妹のための、両親の代わりに頑張る兄の姿が目に浮かぶ。    私が寝返りを打って、マドカに背を向けると、 「卒業したらさ、一生懸命恩返ししようと思ってたんだよ……」  と、マドカの呼吸に嗚咽が挟まった。    そして私の背中は、抱きつくマドカの吐息で熱くなった。    よくある話だと言えばそこまでだが、よくあろうとなかろうと、別れは寂しいものなのだ。    そしてマドカは、私の背中に顔をつけたまま言った。 「教えてミサキ。お兄ちゃん、なんて言ってるの?」  “彼がいる”ことにマドカも気が付いていたのだ。    私は、ほのぐらい部屋の扉に目をやった。  すると“彼”は微笑みながら、ゆっくり唇を震わせていた。   「『ただいまおやすみ』だってさ」 「そっか。うん。お兄ちゃん。おかえりおやすみ」  “彼”は満足げに笑んで、そして消えた。    たった一言、言えなかったことが未練になることもあれば、たった一言、交わすことで報われることもある。   「そうだ。真夜中だけどフルサン食べない?」  そう私が罪深い提案すると、私の背中でマドカも小さく頷いた。  そして消費期限ぎりぎりの、冷えたフルサンを一緒に食べた。  その時、初めてシェアをしたのだ――。      ――そのまま私はこの部屋に居座り、いわゆる恋人関係にまで発展したのは、それから一年半経ってから。  マドカが卒業してからの話だ。   「ミサちゃん。何か考え事?」 「ああ、いや初めて一緒に食べた時のことをさ」   「二つの味が楽しめて、お得な関係の始まり?」 「まあ、ね」    信じられないぐらい偶然の出会いというのは、実は知らないどこかで必然があったりするのだろう。    あの時、“お兄さん”に公園へと招かれていなければ、私とマドカは再開しなかっただろうから。  まあ、それすら偶然と言えばそれまでだが。    人には縁という糸が繋がっている。  それは決して偶然では無くて、紡ぎ、()り合わせることで、良し悪し両極に意味を持つようになる。  そしてそれを“因縁”と呼ぶわけで。     「ああ、そうだマドカ。今晩出かけるから先寝てて」 「うん分かった。朝ごはんは?」 「おねがい」    良しにつけ、悪しにつけ。    今晩、私は旧電波塔に行くが、出来れば“良し”の縁であればいい。
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