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第1話 解決すると思うべからず
アスファルトの上が地獄化している。
やたら暑いのに、これでまだ六月中旬だというのだから恐ろしい。
待ち合わせの約束は午後二時。
まばらに空いた木陰の駐車場、私はその一画の端にバイクを止めた。
ヘルメットを脱いだ瞬間、やたらと蝉が騒ぎだした気がするが、よくあることだ。
私はヘルメットをハンドルに引っ掛け、代わりにサングラスを鼻に乗せる。
待ち合わせの場所は、郊外にある隠れ家的カフェだ。
そのカフェはランチが有名で、実際ピークを過ぎた二時あたりでも、まだ繁盛の余韻が感じられる。
約束の時間までまだ五分ほど。
煙草を一本ふかす程度の余裕はあるだろう。
私は季節外れの革ジャケットの内側から、半分つぶれたソフトケースの煙草を取り出した。
そして指先で一本引き抜き、唇に挟んだ瞬間だった。
「久津さんですか?」
蝉の声の合間を縫ったようないタイミングで、私の背に女性の声がかかった。
十中八九待ち合わせの相手だろう。
バイクで行くと伝えてあったから、私を見つけるのは容易かったのだろう。
私が振り返ると、肩にかかる程度の茶髪美人だった。
これは意外だ。
独断と偏見で言えば、この手の待ち合わせで美人にあったことがない。
ちなみに、この場合の美人とは、私の好みに“合うか、合わないか”という独断と偏見だが。
で、その美人は、清楚と遊び好きの丁度間といった風体。
程よい露出で夏の装いだ。
つまり私が割と好きなタイプという訳だ。
私は唇に収まった煙草を、元あったケースの中に押し込み、
「はい、久津です。貴女が、……ポメさんで?」
丁度通りかかったランチ帰りの客をやり過ごしてから、私は彼女の、“SNS”での名を問いかけた。
ポメラニアン好きで、ポメ。実に安直なネーミングだ。
そんな私は、SNSでは“久津へらす”と名乗っている。
名前の由来は、バイクのせいだ。
踵がいつもすり減っているせいで、ついたあだ名が“かかとへらす”だったが、主観で語呂が悪く感じたから、踵を靴に、そして靴を“久津”と置き換えて名乗っているのだ。
私は煙草のケースも、ジャケットの内側に戻し、前もってお決まりのセリフを伝える。
「DMでもお伝えしましたけど、私は“除霊”の類はできませんからね」
「はい、とりあえず立ち話もなんですから、店のほうに」
私の言葉に頷いた後、そう言って彼女は手のひらで店の入り口を指示した。
彼女は、店のオーナーだった。
通された個室は、明らかにVIPルームだ。
おそらくは、取材を受けた時などに使うための、いわゆる“映える”部屋だ。
「食事でもいかがですか?」
うれしい提案だが、実はここへ来る前から決めていたことがある。
「では、ふわふわパンケーキダブルを、ソースはチョコと、ナッツクリームを別盛で」
ここはランチも有名だが、スイーツも格別なのを私は知っていた。
注文を終え、さて本題に入ろうとした矢先、彼女がまず攻めてきた。
「本当に、男装されてるんですね」
「いや、男装というより、まあ、自分では、これでも男のつもりなんですよ」
“肉体的なミステイク”がありつつという意味でだ。
だが、その話で盛り上がるのも面倒なので、今度は私から切り込んでみる。
「で、本題に入っても?」
と、前もってDMで聞いていたが、話を肉声で詳しく聞く。
そうする事でしか、気が付けないモノがあるからで、それがオカルト系ライター“久津へらす”の流儀なのだ。
集めた話に捏造を加えることもあるインチキ系のライターだが、まあ、職業柄無駄に知識は蓄えている。
おかげでSNSを通して、その手のDMが良く舞い込んでくるという訳だ。
「はい、最近引っ越した先のマンションでの出来事なんです」
【生首のループ】
そうタイトルをふって、私はスマホで録音を始めた。
――新築駅近タワーマンション。
いいお値段のマンションの二十二階を、ポメが購入したのは、二十九歳の誕生日の翌月。
つまり先月の中頃の事だ。
なんだかんだ忙しくて引っ越しを終えたのが、今月の始め。
段ボールの開封もそこそこに、その日が新居での初就寝だった。
カフェの戸締りを終えて、マンションにたどり着いたのが夜十時を回った頃、客商売という事もあり、最優先でセッティングしたドレッサーのスツールで一息を付いた後、ポメはシャワーを浴びることにした。
ミストやらの最新機器の類で構成されたバスルーム。
慣れるつもりでいろいろな操作を試しながらシャワーを終えたのは、二十三時を回っていた。
ポメの寝つきはよく、ベッドに滑り込んで十分ほどで、もう眠っていたという。
最初は夢の中だった。
夢の中で、ポメは水が流れる音を聞いた。トイレの水が流れるような音だ。
夢の中のポメは、カフェでノート式の帳簿をつけていた。
ちなみにリアルでは今時の店だ、紙の帳簿など使っていない。
で、夢の中のポメは、水の音の激しさが気になって、水の音の正体を探しに席を立つ。まあ夢だけに、その辺は唐突な展開だ。
音はカフェのトイレからだった。
そして扉を開けると本来は化粧室があり、個室の扉が三つ並んでいるはずだが、そこは夢だ。扉を開けるとすぐ便座だった。
便蓋は上がっていて、便座も上がっている。
そして誰かが用を足した後の様に、じゃあじゃあ、と水が流れていた。
ポメは壊れているのかと、レバーに手を伸ばす。
ちなみに、リアルではパネル式でレバーはない。
ガチャガチャと何度かいじっていると、突然だった。
目の前を、上から下へと黒い何かが落ちて行った。そしてそのまま便座の中に納まって流れていった。
何だったかは、目視できなかった。
そして、夢はそんなところで唐突に終わる。
「“無性に”トイレに行きたくなったんです」
そうポメは妙な言い回しをした。
実に印象的な言い回しだ。
普通は、『トイレに行きたくて目が覚めた』というのが普通だが。
まあ、尿意も便意も関係なくトイレに行きたくなったのだろう――。
――ポメが時計を見ると、深夜二時半を少し過ぎた頃だった。
ちなみに、ここからは夢でない証拠もある。
ポメは健康意識が高い人物で、手に持ったスマホの歩数計に、時間とともに数歩の移動距離が記録されていた。
そして、リアルのポメもトイレの扉を開ける。
瞬間、目の前を“何か”が上から下へと通り過ぎた。
やはり何が通り過ぎたか理解できなかったポメだったが、それは続けざまに何度も落ちてきた。
トイレの室内には踏み込んでいないから、センサーライトはついていない。
ちなみに、その“何か”にもセンサーは反応していなかった。
そしてパネルに触れていないのに何故か水は流れ始め、何度も、“何か”は上から落ちてきて、便器の中に吸い込まれていく。
ループしていたのだ。
何を思ったか、ポメはそれに手を伸ばした。
そしてスマホを持った右手と、左手の合間に“それ”はすっぽり収まったのだ。この時、ようやくセンサーライトが反応、辺りが照らされた。
「ひっ」
ポメは、“それ”を咄嗟に投げ捨てると、スマホも一緒に落ちてフラッシュが光った。
アナログじゃあるまいし、都合よく光る訳はないのだが……。
さておき、“それ”とは、何だったのか――。
「私が手に持ったのは、にやり、と笑う若い女性の生首だったんです」
「で、これがその時の?」
「はい、偶然撮れたんです」
そうポメは私の前に、スマホを滑らせた。
「うん。確かに、人の顔に見えなくもないですけど……」
それはあまりに不明瞭で、言われてみればそう見える、という程度の写真だった。
だが、不明瞭なものとは別に、はっきりと恐怖に引き攣るポメの顔も映りこんでいた。
落ちたスマホが勝手にカメラアプリを起動、そして“人の頭部らしきそれ”とポメを収めた構図で捉えるなんて“出来過ぎ”てはいる気はするが、まあ、何かが起こった事は確かだろう。
ちなみにだが、恐怖体験の瞬間は、固まってしまうから叫び声なんて、普通は出ない。
固まった交感神経を緩めるために、初めて声が出たり、泣いたりするのだ。
つまり戦ったり逃げたりするための予備動作という訳だ。
ま、物語を面白くするために、ギャァァ、なんて、大げさな叫び声を脚色する事はよくあるが。
「で、その後は?」
「三度、同じような体験を……」
「購入されたマンションで?」
「はい」
「あなた豪胆だな。ふつうはホテルに泊まるなり、売却なりを考えるのに」
「今のステータスを、手放したくないので」
「なるほど。まあ、分かりました。調べてみますよ、けど、いいですか?」
「はい?」
「本当に怖い話ってやつはね、案外オチなんてつかないものなんですよ」
「それは一体どういう……」
「仮にね、原因が分かったとしても、解決するとは思わんでくださいって意味です」
と、そこでノックが響き、パンケーキが運ばれてきた。
ああ、かぐわしい、これぞ楽園の香り。
目の前に置かれた至福の一品。
私は、さっそくナイフとフォークを手に取って一口。
「あま、うまいっ!」
そして一言に集約させて、余計な食レポはしない主義だ。
さてさて、この話の続きはいかに?
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