第6話 誰そ彼に、影。後編

1/1
前へ
/17ページ
次へ

第6話 誰そ彼に、影。後編

『サクッ』  たい焼きの皮が、口で幸せな音を奏でた。  これは焼き立てでないと体験できない至高の感覚だ。    この至高のたい焼きを焼いたマスター【鈴城徳英(すずしろ とくひで)】に対し、私は敬意を込めた視線を送る。  すると、それに気が付いたマスターもにっこり微笑み返してくれた。    さて、アツアツのたい焼きの中にあるあんこの甘さと、冷たいバニラアイスの甘さ、それらを交互に頂き、途中でそれを合わせて食す。    最後に、溶けたバニラアイスを、たい焼きの尻尾に吸わせるように全部を絡める。  この時、食感は“もっちり”に変化していて、それを食す。    これが私の【たい焼きとバニラアイスセット】攻略法なのだ。 「あま美味(うま)っ」  余韻までがセットで堪能した後、私はスマホをいじる。  ちょっと気になったことがあるので調べものだ。    それから程なく、容易く調べ(・・)が付いたところで私は立ち上がる。    今頃ユーミの霊障は、ナチが“断ち切った”頃だろう。  そして、ぶっきらぼうな様子で、請求額を口頭で伝えるところまで目に浮かぶ。    別にナチは除霊したわけではない。  霊障が彼女だけになのか、そして部屋にも“残って”いるのか、それを確認した後、根源との連鎖(リンク)を断ち切るのだ。    例えるなら、その性質は通信機器によく似ていて、発信者が、受信者に対してコールしてくるように根源であるモノが、ユーミに対してアプローチを仕掛けているのだ。  言わば、ナチはそのコールを着信拒否にするのだ。  そして再び“繋がない”限り、もう干渉されることはない。    ちなみにどうやって断ち切るのかというと、言葉のままだ。  ナチには、根源から“つながる糸”がみえるそうで、それを手刀で断ち切ってしまうのだ。    その(わざ)を、【縁切(えんぎ)り】と言い【怨切(えんぎ)り】とも書く。  その業は、良縁、悪縁、関係なく断ち切ってしまうが、良縁はまた結べばいい。      さて、私は私で、行くと所がある。  目的地は井谷渓(いたにけい)だ。   「徳さん。今日もおいしかった」  そう私は、レジ前に立って告げる。 「今日は、お代はいいよ。それより行くんだろ? だったらこれ」  とマスターはお守りサイズの小袋を差し出した。  私は、お代と小袋のお礼を兼ねて会釈を向ける。    中身は察しが付くし、マスターもそれが分かっていて渡してきたのだ。 「じゃあ、お借りします」  私は【チャイム】の外に出た。    【逢魔が時】まで、あと一時間ほど。  少しだけ急いでいこう。私はバイクに跨りエンジンに火を入れた。        ――井谷渓(いたにけい)の廃墟。  この【鈴屋】と呼ばれた料理旅館跡に、本来心霊話はなかった。    辺りの鬱蒼とした森林の景色と流れる清流。  それと相まって、かつて繁盛したであろう旅館の廃墟がノスタルジックな気分を感じさせてくれる場所だったのだ。  だが、今は違う。    何も起きていなくても、噂が立てば虚像は真実へと変貌する事がある。  口さがない人の噂や、先入観、そして恐怖が作り変えてしまった場所。  それが、この井谷渓(いたにけい)廃墟だ。      私は舗装された道路側から、サングラス越しに廃墟の一角を眺めている。  そして私の視線の先、鉄筋コンクリートの建物の二階部分、割れた窓の際に立つ“誰か”が、私を見下ろしている。    夕暮れの赤と、夜がせめぎ合う誰ぞ彼時(たそがれどき)。  それは建物の影の、ほの暗い場所に確かにいた。      私はサングラスを内ポケットに収め、建物の降り口へと向かった。    敷地に踏み込んだ辺りで、虫の音の一切が消えた。  そして、ザーという川の音だけが響いている。    私は、割れた一階の大窓の前で、 「聞こえるかい?」  そう奥に向かって問いかけた。    返事はないが、代わりにやたらと“八重歯”が痛む。    中に入り、足元を確認しながら、一歩一歩床板を踏みしめる。 「ねぇ、いるんだろう? 迎えに来たんだ」  そして私は呼びかけた。    階段の前までやってくると、“見られている”と直感的に感じた。  おそらくは上からだ、私は視線を上げ階段を上がり始めた。    この件は、私には手に余る案件だ。  なのに何故、私はこの場所に来たのか。    それは、“確信”に至ってしまったからだ。  真実を(つまび)らかにしたい等という使命感でもなく、まあ言葉にするのは難しい感情だ。    さておき、私は階段のエントランスまでたどり着いた。  そして悪ガキの描いた“スプレーアート未満”の白物を眺め、さらに階段を上がる。    生気のない気配は一層近くなっている。 「私は、話したいんだ。話せば“解る”から」  そして呼びかける私。    そのまま足を進め、二階から三階へと向かう中間地点に差し掛かった瞬間だ。  すぐ直近、背後に気配を感じた。  そして、その瞬間には手首を強く掴まれていた。   「(あつ)っ」  そう言って私は、振り返りざまに手を振りほどいた。    その時、はっきりと青白い顔の女性と目が合った。  しかも一メートルにも満たない直近でだ。    彼女の目の玉の場所で、黒い闇が渦巻いている。  そして、面識はないが、私はこの顔を“知って”いる。    彼女は既に悪霊化している。 「お願い、聞いて。こんなところに縛り付けられていてはだめだ」  願わくば、声を聴いて正気に戻ってほしいと、思いを乗せて私は語りかけた。  私には、“これ”しかできないのだ。    彼女が口を開いた。  そして何か声を発した瞬間、耳をつんざくような金切り声が、「ギガガガガガ」と私の鼓膜を震わせた。  いや、鼓膜と誤認しているだけで、おそらくは脳というのか、魂というのか、とにかく直に届いている。    既に彼女の声は、言葉として、言霊としての形を失っている。    瞬間で私の体が強張る。  だが、恐怖で持っていかれそうになる精神を奮い立たせて抵抗する。    気合いだ。気合いだ、気合いだ。  冗談ではなく、どこぞのレスリングの親父さんの声を思い出す。  この局面でもっとも重要なのは精神論なのだ。    そして私は悪霊となった彼女の脇をすり抜け、階段の手すりを滑って一気に距離を離した。  一旦エントランスで足を着き、再び階下へと滑る。    引き離しても次の瞬間にには、彼女の手が迫る。  私は、その手をぎりぎりで(かわ)す。    そして一階の廊下に飛び降りた。  一瞬振り返ると、彼女は、すさまじく小刻みな足取りで追いかけてきた。    先ほど握られた手首は、赤くただれ火傷になっている。  これは霊障ではなく、私自身の、“霊的過敏症”によるものだ。    スキズキ痛むので、これ以上は勘弁願いたい。    しかし、そんな事はお構いなしに彼女は背後から迫ってくる。  廊下に逃げ場はない、そして正面には扉が見える。    選択肢など無い。私はその扉めがけて猛ダッシュを決め込む。  距離にして二十メートルもないだろう。    たどり着いた瞬間、私はドアノブを握る。 『ガチャガチャ』  くそう、カギがかかっていた。  同時に、背後の彼女の気配が一気に詰まり、私の肩に手が置かれた。    革ジャン越しでも、“くる”ものがある。    素肌に触れられたら、私の性質上、ただではすまない。  そして彼女の(よど)んだ息が私の首筋にかかり、声にならない彼女の声が、私の耳元で発せられた。   「ぐっ」  私の食いしばった歯の間から、苦痛が漏れた。  もう、もたない、“持っていかれ”そうだ。    腐敗匂を伴うような、歪んだ彼女の鼻先が、私の首筋に近寄ってくる感覚。    だが、まだだ意地だ、根性だ。 『ガチャッ、バンッ』  そして、扉の金属音が響いた。  音と共に、私の肩越しに見える彼女の手が霧散して消え、気配までもが失せた。    間にあった……。  間一髪だったが、私は鍵穴にカギを差し込んで捻り、扉を開いたのだ。   「MAYAちゃん、見つけたよ」  そこはかつてボイラー室だった場所だ。  私は階段を降り始めた瞬間から、確信に至り、この部屋を目指していたのだ。    既にほぼ闇が支配したその場所に、私はスマホで明かりを灯す。  すると、そこにはMAYAと呼ばれた彼女の白骨死体が存在する。   「一人で、心細かったね。もう、大丈夫だから」  そう私は手を合わせた。      警察が来るまでの間、私は煙草を一本吹かし、激しい動悸を撫でつける。  そしてこの後、事情聴取を受けることになるのだが。    その前に、何故あそこに白骨死体があったのか。    それはSNSでMAYAと名乗る少女が、ユーミの時と同じく肝試しに来た結果だ。  彼女は二階エントランスできた鉄骨の浮間から運悪く落下、そして真下にあるボイラー室に落ちて息を引き取ったのだ。    さらに運の悪いことに、一緒に来た連中だ。  ネットで知り合い、その日が初顔合わせだったという彼らは、MAYAが消えた事に対し、先に帰ったのだろう、と結論付けて去ってしまったのだ。    身寄りのいなかった彼女に、捜索願が出されることは無かった。  せめて、一緒に行った連中が何かしらのアクションを起こしてさえいれば……。  だが、今更だ。    なぜ、私はそれにたどり着いたのか。  そんなものは、SNSでワードを探れば断片的にでも情報は出てくるものだ。  あとは、それをつなぎ合わせればいい。      何か月も一人ぼっちにされ、心細かったのだろう。    MAYAがあそこまで悪霊化したのは、いくつもの条件が重なった結果だ。  別に恨みや辛みで、呪ってるわけではなく、はじめは、助けてほしかった、見つけてほしかったのだと私は思う。    そして、たまたま波長の合ったユーミに助けを求めたのだ。  ユーミに送っていた霊障と呼ばれる現象は、言わばSOSだったのだ。    あともう一つ、種明かしとしては、何故私がボイラー室のカギを持っていたのか。  それはこの建物のオーナーと知り合いだからだ。  別にオーナーは行方不明でも何でもないのだから、当然、私は許可を取ってここに来た。    私は、煙草を一本すい終わると、ポケットに収めたままのカギを取り出して眺めた。  そして、そのカギを小袋に戻す。    鈴屋の鈴は、今は呼び鈴(チャイム)という名前の中に息づいているのだ。  まあ、その辺の話と、補填は次に詳しく話すとしようか。    視界の端では、“赤い服の少女”が、MAYAを連れて此岸(しがん)を離れていく。  ……これで一安心だ。   『誰ぞ彼(たそがれ)も、夜に飲まれりゃ、静寂(しじま)来る』  なんて歌ったのは誰だったか。     「では、すいません、えっと桐生(きりゅう)さん? 少し署のほうでご協力伺えますか」 「はい、了解しましたよ」    少しだけ長い夜になる。  私は警察署内の自販機でおしるこを買った。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加