萱草色

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萱草色

 僕はケーキを乗せたお皿をテーブルに置き、もう一度腰を下ろす。 「小学生のころ、誕生日の話になったの……」  胡座をかいて、その話にただひたすら耳を傾けた。 「先生がみんなに好きなケーキは何かを訊いて、私は答えられなかった。食べたことがなかったから」  一粒のイチゴが、その話を寂しく空気を重くしているような気がした。 「だから私はお母さんに尋ねた。私は誕生日にケーキを食べないの? って。返ってきた言葉は、『お前は祝われるべきじゃないから、ケーキは食べる必要はない』だった」  喉の奥で何かがつっかかっているような感覚だ。なんと声を掛けるべきなのか、わからない。 「私は……」 「早くケーキ食べよう」  唖然とする彩音に僕は自分の考えをぶつけるしかなかった。 「昔何を言われたからとか、私はああだこうだだからって、もう関係ないよ。僕らは自分の意思で何かを決められる歳なんだから、食べたいと思ったら食べる。何かを見たいと思ったら見る。それでいいじゃん。食べなくてもいい。けど、僕は先にいただくよ」  僕はケーキの頂点に飾られたイチゴにフォークの先を勢いよく差し込み、口に運んだ。その様子を見かねた彩音も、ゆっくりとフォーク越しにイチゴへ触れる。慣れないような手付きで口元へ運び、唇を閉じた。 「どう?」 「……思ってた通り、美味しい」  今日は何度もこの涙を見ていた。今もだ。僕はただ幸せそうに頬張る姿を横目に、ケーキを口に運び続けた。 「そうだ、それ、開けてみて」  小さなツリーの横に置いた小包に指を差して、彩音に包装を開けさせる。中から現れたのは、スマホくらいの大きさをした写真立て、そして中には丘の上の公園で撮った写真を数枚入れておいた。表紙は丘の上の公園で撮った、街並みの景色だ。 「これ……」 「あの日撮った写真をプリントしたんだ。大したものじゃないけど、クリスマスだし」  中を開け、白髪の後ろ姿などを写した写真を取り出した。 「素敵。これ、どこかに飾るの?」 「クリスマスだから、彩音に」  僕が見つめる横顔は、口を半開きにして呆然と写真を眺めると、その白い頬は緩み、口角は自然と上がっていた。 「ありがとう。けど私、お返しできるものが……あ、そうだ」  自分のカバンをガサガサと漁り、僕に見せられたものは、金色をした星型の髪留めクリップだった。 「普段はこういった可愛いものはつけないんだけど、家で使えるかなと思って買ったんだ。安かったから二個買っちゃって……あ、けど男の人はいらないか」  行き場の迷ってしまった彩音の手先から僕は髪留めを摘んで手にとる。顔の前でじっくりと模索し、その形状からある使い道を思いついた。 「うん、めっちゃいい! これをさ、写真立てにしてみてもいい?」  首を傾げ、僕の言っている意味を理解できていなそうな表情を差し置いて、テレビに寄りかからせていた写真を一枚取り、その下部分をクリップに挟んでみる。 「お! やっぱり上手いこと立った!」  星型の部分が上手いことバランスをとり、写真立てとしての役割を上手いこと果たしている。 「可愛い。何だかすごくいい使い方」  僕はそう呟く彩音を見兼ね、もう一つの髪留めクリップを取り出してもらった。 「それ、つけてみてよ」 「え⁉︎」  ひどく驚いた様子だったが、僕は念を押してクリップをつけてみて欲しいと言い寄る、照れくさそうにしながら渋々綺麗な白髪を挟み込んでくれた。後頭部で一部の髪をまとめる星のクリップは、天の川を連想させた。 「……やっぱり私には似合わない」 「ううん、彩音だから似合うと思うよそれは。みんな黒髪か茶髪の人ばっかりで、白髪だからこそ、すごく似合ってる」 「……ありがとう」  僕はその不意に出た笑顔を見て、立ち上がる。 「じゃあ、あんまり遅くなると申し訳ないし、そろそろ行こう。途中まで送るよ」  荷物をまとめて、僕らは再び玄関の扉を開けた。足を踏み出すと同時に、北風が首元を擽るように通り過ぎた。マフラーを顎まで持ち上げ、アパートの階段を下る。 「今日の夜の空模様、寂しいね」  目線を上げた彩音がそう言う。新月というわけではなかったが、月がどこにあるかわからない上空は確かに物足りなかった。 「また満月になったら、夜に散歩でもしたいね」 「そうね。ずっと見ていられるものね。不思議と」  僕らのゆっくりとした足取りは、まるで同じ気持ちを抱えているようだった。長いようで短いような、この非日常の時間を、僕はずっと持っていたかった。
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