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珊瑚色
場所を聞くまでもなく、僕は今から行こうと提案する。あの日以来、彩音に映る色が増えないことに罪悪感が積み重なっていくような感覚が、心に残っている。僕はこの胸の奥に存在する嫌な気持ちを取り払うのに、必死なのだろうと自分でもわかる。
「前に、貴方が初めて連れて行ってくれた公園あるでしょう? あそこから見えた橋、そこに行ってみたいの」
「橋? そんなところでいいの?」
僕のスマホで場所を探し出し、徒歩四十一分と表示された経緯を、数字以上の時間をかけて僕らは向かった。途中に現れる公園で一休みしては話し、また歩く。狭い歩道の脇にはお構いなしに車が走り抜けてゆく。住宅街、古いアパートや民家を見ると、年始の日を思い出してしまう。車も通れぬほどの狭い道を抜け、大通りへと出ることができた。まるで野良猫のような気持ちだと、彩音は呟いた。
西陽が強くなり始めていることを正面に伸びる影が教えてくれた。信号を渡って、再び一方通行の路地に入り込んでは、大通りを横切る。昼寝をしているような飲み屋街に迷い込み、その先の住宅街を抜けるとようやく広々しとした景色が広がった。川沿いのすぐ先には目的の橋が向こう岸に渡って腕を伸ばしているようだ。彩音の要望で、橋のその先へと更に足を運ぶこととする。広々とした橋のすぐ横には何台もの自動車が、春風に似たものを巻き起こしながら追い抜き、あっという間に渡りきってしまう。
橋を半分ほど歩き、ちょうど川の真ん中に当たる部分で、彩音は足を止めた。太陽がもうすぐ隠れ切ろうとしている時間帯だ。空には深い花田色と素緋色が広がる。もうすぐ夜がくるのだと、そう警告されているような綺麗な色柄だった。彩音は橋の脇に設けられた柵に肘をつく。
「空って、変な色なんだね。灰色と、オレンジっぽいような色の混ざり合いで」
本当の色を伝え、知ってもらいたい気持ちが時間に比例して強まっている。僕は掛けられた言葉に、否定も肯定もすることができなかった。
「……いいよ、別に」
黙りこくる僕に、追って声をかけられた。
「え?」
「いいよ。本当は灰色じゃないんでしょ? わかってるから。別に変に気を遣わないでいいから」
夕焼けに照らされる横顔が自分の存在すらも忘れさせくれるほどに、儚く美しいかった。彩音は鼻と口を覆っていたマスクを顎の下まで下げる。
「写真を撮ろう」
「……写真?」
僕は肩から斜めに下げたカメラの電源を入れ、急いでその脆く消えてしまいそうな存在をシャッターに収める。
「ほら見て、彩音はいつも様になるんだ」
「ふーん。まあ貴方がそれでいいなら、いいんだけどさ」
不貞腐れたような表情を、柵に乗せた手の甲へ乗せた。
「ここの景色、特別綺麗ってわけでもないけど、すごく地球らしい」
「地球らしい?」
僕は首を傾げ、その意味を尋ねる。
「ほら、少しわかりにくけど、遠くには山が並んでるでしょ? 川の右側にはマンション、左には住宅街。後ろからはタイヤがアスファルトを擦る音。自然から離れて、群がって生活してるのがすごく人間味を感じる。だから、地球らしい」
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