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ピンク色
「ずっとだよ。君が寝ている間も、あの子は君が起きるのを待ってた。深夜三時くらいまでは起きてたと思うよ。その後は机に伏せて寝てたけどね、こんな感じで」
その人は彩音の当時の状況を真似る。再現度が高いわけではないが、その姿が記憶に残っているかのように鮮明に伝わる。
「それにあの子、そばに居させてくださいって、受付にすごくお願いしてたんだよ。ここが個室でよかったね。個室じゃなかったら、一晩中一緒になんていられなからね。君はついてるよ」
「……ありがとうございます」
なんと答えるべきかわからなかった。ただ、悪い人ではないことだけはわかっていた。知らない間にそんなことがあったのかと、半信半疑だ。
「私もそろそろ上がる時間だ。シフト出社はやっぱり眠くなるなぁ。じゃ、大切にしてくれる人こそ、大切にするんだよ。」
あくびをしながら体を伸ばした後、その看護師は勢いよく立ち上がって扉の前に歩き出す。
「じゃあね、少年」
長い髪をヒラリと揺らしながら部屋を出ていく姿は、とても印象深かった。そして部屋の外からもその元気な声は聞こえてくる。誰かと話をしているようだった。何より、良い人と話ができたことに恵まれていたのかもしれない。昨晩の出来事から、そう思う。再び顔を出した太陽に顔を向ける。
「あの人、変なこと言ってなかった?」
突然に現れた彩音が、部屋の入り口に立ち尽くしたまま声を掛ける。
「うわ! びっくりした……」
ビクリと体を震わせた僕を見て、扉を閉めて彩音は部屋に入る。食事の横に添えるように置いたお茶に目が移る。彩音は椅子の足を引きずって窓際に移動した。帽子をとり、座り込んだ膝の上へ乗せる。
「ご飯食べて。さっきお医者さんと話をしたら、夕方には帰って良いそうだよ。お母さんにも連絡しておきなね」
ありがとう、その一言を伝えて僕は足元のテーブルを引き寄せる。痛む体で箸を動かし、見慣れない食べ物を口に運ぶ。薄味の健康食だったが、不味いわけではなかった。他人に見られながら摂る食事はどこか緊張する。
「朝ごはんはいつも食べないから、あんまり入らないなぁ」
ふとした僕の発言に、彩音はふふっと口元を隠して微笑する。
「それ、お昼ご飯だよ?」
僕は慌てて身の回りを漁り、時計を探す。テレビのリモコンを棚から引っ張り出し、電源をつけた。画面左上には十二時四十六分の文字が表示されている。自分はどのくらい寝ていたのだろうか、頭を抑えて記憶を漁るも、地面に倒れ込んだあたりから記憶がない。ただ、冷たい雨水を弾き飛ばしてくれるような、暖かい何かが頬に添えられていたのは肌が覚えていた。
「……僕、どのくらい寝てた?」
顎に手を添えて考えた彩音は、微笑んだ表情を向けて答える。
「十九くらい?」
あんぐりとした顎を見られ、僕は笑われた。お腹を抱えて笑い込む様子を見てほっとする。そこまで笑う姿は初めて目にしたのだ。
「ふふっ、おかしな顔……。で、あの人何か言ってた?」
逸れた話を戻される。僕は少しドキリとし、あの人を庇うわけではないが、誤魔化す方が良い気がした。
「今日退院できるかもしれないって話だけだよ。あとはご飯を置いて出て行った」
僕は視線を下げて嘘を吐く。罪悪感のようなものが込み上げた。
「そう……私のことを話したのね、あの人」
嫌気がさしたように、彩音は大きく吸った空気を溜め息として吐き出した。僕は呆然として食事の手が止まる。
「ごめん……どうしてわかったの?」
「人って、嘘をつくとき右下を向くものよ」
自分の全てが見透かされているような心地だ。呆れた表情でどこか遠くを眺めているのを見て、僕はどこかおかしくてクスクスと笑ってしまった。
「何かおかしい?」
「ううん、なんだか安心しちゃって。ずっと、よく眠れていなかったんだ。笑う数も減っていたと思う。だから、嘘すらも通じないこの関係に、居心地が良くって」
彩音が僕に近寄ると、その細い指先を僕のほっぺに貼られた絆創膏を摘んで左右に揺らす。僕は軽い痛みからおかしな声が漏れた。
「待たせすぎ。住所知ってるんだから、手紙で謝るとかできたでしょ」
「ご、ごめんって。ちゃんと反省してるよ……」
そう言うと、彩音は手を離して椅子に座り戻る。
「まあ、私も急に帰ったのは良くなかったわ。ごめんなさい」
全てが元に戻ったような、そんな感覚だ。両手で掬った水を飲み込むように生きた心地がする。食べかけのお茶碗に入る冷めた白米を見て、ゆっくりと深呼吸をする。
「来年は、お花見行こう」
口元が緩んだ僕に、うん、とそれだけ返してくれた。
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