中紅梅色

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中紅梅色

 十二月半ば。首元を隠す人も増え、稀にポストへ投函される手紙のやり取りも、その頻度が上がっている。やり取りと言っても、僕から送ることは未だにない。  部屋に入り、コートをクローゼットに仕舞って封を開く。相変わらずにその字形は丁寧なものだった。レターセットに描かれた果物は時折変化する。今日は金柑の絵柄だ。  急いでいるつもりはないが、手紙を手にした日は手洗いうがいなどをいつも忘れてしまっていた。 『黄色が散ってから、この色はどうなるのだろうかと思って一枚家に持ち帰ってみたの。不思議と時間が経つと色は抜けていって、灰色に逆戻り。黄色以外になったのだと、数日経って理解できた』  あれ以来、彼女の身の回りには黄色が増えたらしい。それは今日までに送られてきた文字で教えてもらっていた。そしてどうしてか、今日の紙はたったの一枚だ。これまでは二枚目にまで文字が綴られていたのに。 『次の火曜日、また坂の上で待ってるね。都合が良ければ、午後一時に待ってるよ』  それだけの文章に、頭の中を侵されていた。再び会いたいと、どこか心の奥底で願っていたのかもしれない。僕は気づかないふりをして、手紙を開ける前の状態に戻し、本棚の空いたスペースへ他の手紙と重ねて置いた。そろそろ手紙を入れる箱のようなものも買わなければ。  白昼頃、百円ショップへのついでに、いつも買い物をするスーパーに夕飯を調達しに足を運んだ。彩音に初めて会ったスーパーだ。買い物籠を片手に、野菜コーナー、鮮魚コーナーで食材を選んだ後、お菓子売り場へといつものように向かっていた。同い年くらいだろうか。男子ふたりと女子ひとりがわいわいと笑い声を響かせてお菓子を買い物かごへ投げるように入れている。生き方が異なった、関わりたくない雰囲気の人達だ。僕はいつもと同じポテトチップスの袋を籠に入れ、その場を立ち去ろうと思った。 「なあ、あれ、天使ちゃんじゃね?」  ひとりの男子の声が僕の目線を奪う。その人たちの指先にいるのは、見覚えのある髪色だ。ピアスだらけのドレッドヘアの男が再び話す。 「こんなとこで会うことあるんだな」 「そういえば、なんで天使ちゃんなんだっけ」  金髪で眉毛がほとんどない女子が口を開いて、指を差しているピアスだらけの男が答える。 「確か、シロハネ? とかいう名字だから天使って言われてたんだよな。それに全身真っ白だし」 「なんだタクヤ、よく覚えてんな。あいつのことが好きなのか?」  もうひとりの長髪の男が半笑いでからかい、男はそれにムッとした表情を一瞬浮かべた後、何かを思いついたようにひそひそと小声で話を始めた。  僕はすぐにその場を立ち去り、お惣菜コーナーへ足を動かそうと踵を返した。お菓子売り場を抜ける際に軽く振り返って、横目で確認すると男女の姿は消えていた。籠が放り投げられるように転げ、お菓子を散乱させている。胸の奥で、何かが騒ぎを掻き立てているような感覚だった。  僕は近くにいた店員さんに頭を下げて買い物籠を預ける。早歩きで店内を歩き回るが、騒がしい男女も、白い髪の持ち主も見当たらない。その気配すらなかった。店内にはいないと判断し、出口を飛び出してお店裏へと足を走らせる。ギャハハとした汚い笑い声が人気のない壁から反射している。僕がそこに着くころには、遅すぎたようだった。  服は足跡で汚され、ごみ袋の山の上で倒れる彩音に生ごみのようなものを掛ける寸前だった。 「やめろ!」  自分からこんなに大きな声が出せることをこの時初めて知った。男女三人が僕に注目していたが、彩音は体をぐったりと重力に従わせたままだ。 「大丈夫?」  駆け寄り、返事のない身体を起こさせようとすると、僕のわき腹に鈍い音を立てて激痛が加わった。 「お前、何してんの? 誰?」  圧倒するように見下ろされた目線に何も言い返すことなく、スニーカーの跡が付けられた部分を抑えて彩音の身体を無理に起こした。 「何してんのって訊いてんだけど。俺らが今そいつと遊んであげてんじゃん」  髪の毛を強引に掴まれ、僕は頭から身体を引っ張られる。髪を高く持ち上げる腕を掴んで抵抗しても、その手は離れない。恐怖や痛みが合わさり、今までに経験のしたことのない痛みだ。  ドレッドヘアの男は、頭を後ろに下げたと思うと、眉間にしわの寄った額を僕の頭に酷い音を作り、勢いよくぶつけた。ごみ袋のクッションに倒れ、ふらふらする頭を抱える僕に、男の足は止まることなく僕の顔や体を蹴りつける。腕でガードするのがやっとだった。女は腹を抱えて僕を貶むように笑っている。  彩音に足が向けられ、僕が男に飛び掛かると、長髪の男が僕を羽交い締めにし、ピアスの男が力の抜けた僕の身体を殴る。そして僕は、彩音の上に投げつけられた。僕は彩音にできるだけぶつからないように受け身を取るので精一杯だ。 「おい……」  長髪の男が声を掛けるも、男は無視して僕に痛みをぶつけ続ける。 「おいって」 「あぁ!?」  男たちの視線の先にはごみを捨てにきたと思われる、パートのおばさんの姿がある。おばさんはごみを落として店の中へと慌てて戻っていった。 「チッ、行くぞ。サツが来たら面倒だ」  ぐったりとする僕の服に唾を吐き捨てて去る後姿を見て、僕はホッとして全身の力が抜ける。ごみ袋の柔らかさすら心地よかった。
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