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星井が俺を呼び出したのは、実験棟エリアの2階だ。待たせるのも悪いから、指定された時間より早めに足を運んだんだけど、星井はさらに早く来ていて、俺を見るなり「早っ」と呟いた。
『早いのはそっちだと思うけど』
『えっ……ああ、まあ……』
星井は気まずそうにうつむいたあと、今にも消えいりそうな声で「あのさ」と上目遣いに俺を見た。
『青野ってさ、今でも私と付き合いたい?』
『もちろん』
『念のための確認だけど、青野が好きなのはお兄ちゃんだよね? そこは間違いないよね?』
『間違いない。俺は夏樹さんが好きだ』
きっぱり言い切ると、星井は「わかった」とうなずいた。
『だったら付き合う』
『えっ!?』
『ただしひとつだけ条件。私の恋が叶ったら、別れてほしい』
たぶん、このときの俺は、第1回交渉のときの星井と同じような表情をしていたに違いない。
『……悪い、もう少し詳しく説明してほしい』
『だよね。ええと……まずさ、私、好きな人がいるんだけど』
星井いわく、彼女の想い人は、どういうわけか女子と話をしようとしない。せっかく話しかけてもすぐに逃げてしまうため、星井としてはアプローチのしようがなくて困っていたのだという。
『けど、最近気づいたんだよね。その人、彼氏持ちの女子とはふつうに話をしているって』
『──それで偽装交際?』
『そういうこと。私に彼氏がいれば、ふつうに接してくれるかもと思って』
そうして親しくなったところで、猛アピールをして彼を落としたいらしい。
かなりツッコミどころが多いプランだけど、そこはお互い様だから、俺は「なるほど」と呟くだけにとどめた。
『で、どう? 青野的には付き合ってもいい感じ?』
『いい──と言いたいところだけど、重大な懸念点がひとつ』
星井がその相手とうまくいったら、俺たちは別れなければいけない──となると、俺の「義弟計画」は頓挫するのではないだろうか?
『大丈夫、その場合は責任をもって、青野のことをお兄ちゃんにアピールするから』
『……本当に?』
『本当に。ていうか、それまでにお兄ちゃんと仲良くなっておけばいいじゃん。うちに遊びに来るとかしてさ』
なるほど。俺としては「夏樹さんの義弟」がベストだけど、「妹の元カレ兼友人」というベターな関係性を狙うのも悪くはない。
『わかった。よろしく』
『こちらこそ。青野にも協力するから、私にも協力してよね』
そんなわけで、晴れて俺と星井の偽装交際がはじまった。
手始めに、俺は夏樹さんに挨拶することにした。
『妹さんと付き合うことになりました、よろしくお願いします』
夏樹さんは目を丸くしつつも「律儀だなぁ」と嬉しそうに笑った。
やっぱり俺のことは覚えていないらしい。それでもいい。ここからリスタートだ。「こちらこそ、よろしく」と差し出してくれた夏樹さんの手を、俺は強く握りかえした。
いつのまにか、俺と夏樹さんの目線は同じくらいの高さになっていた。
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