振り向かないで。

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振り向かないで。

コツン、コツン。目の前のガラスをノックする音がした。顔を上げると、その向こうに。 「よ、吉川さん……!」 驚いて危うくイスからお尻が落ちそうになるところだった。それをガラスの向こうからしっかりと目撃され、彼が笑う。その笑った声が聞こえてきそうで、わたしは真っ赤になってしまった。 わたしは自分が働いているカフェのすぐ近くにあるドーナツ屋さんにいた。それもこれも、わたしが肝心の待ち合わせ時間を覚えていないせいだった。そもそも、彼とどうやって映画を観に行く約束をしたかも覚えていないんだから、わたしって本当にしょうがない。 ただ、わたしの手元には彼の名刺が残されていて、覚えているのはお店の前で待ち合わせをしたことと、彼の名前だけ。名刺には連絡先も書いてあったけれど、直接連絡するのはわたしにとってハードルが高すぎる。 とりあえず平日だし、彼はきっと仕事だろうし、映画を観に行くのは夕方以降だと考えたわたしは近くで待つことにした。 選んだのは道を挟んだ向かい側にあるドーナツ屋さん。ここなら待ち合わせ場所であるカフェの入口がよく見えるし、カフェオレはおかわり自由だから何時間でも待つことができる。ここでこうしていればきっと、彼が現れる姿を見つけることができるだろうし、彼が来たらわたしも今来ましたって感じで彼のところへ行こうと思ってたんだけど………。 まさかその前に見つかってしまうなんて。そこまでは予想していなかった。
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