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再び瞼を開けた時には真っ白い天井が視界に広がった。そして細い管が腕の真ん中に繋がっているのが見える。そこでようやくこれは点滴で、今いるのは病院なのだと理解した。照明はまだ明るく、窓の外は夕暮れに包まれている。
「あきちゃん……平気?」
「……母さん」
目の前の椅子に腰かけた母が不安げに見つめてくる。ずっとそばについていてくれたのだろう。
「大丈夫」
「よかった。あきちゃん、過労と脱水だって。もう、ステージで倒れかけた時はどうしようかと思ったのよ」
「……ごめん」
そうだ、母もライブに来ていたのだ。
「父さんは?」
「今、ゆうちゃんを迎えに行ってるところ。ゆうちゃん、今日は自分の車じゃなかったから」
「兄さんも、来るんだ」
「そうよ。あきちゃんのことすっごく心配してたんだから」
「そうなの……?」
「当たり前じゃない。あのゆうちゃんよ?」
ドがつくブラコンの、と言いたいのだろうとわかって暁斗は思わず笑ってしまった。
その時、ドアがノックされてがらりと開いた。夕陽かもしれない、とどきりとしたが姿を現したのは晴之だった。
「暁斗、目ぇ覚めたのか」
「うん」
晴之も母の隣に腰かけ「元気そうでよかった」と笑う。
「あきちゃん、晴之くんもずっとそばについててくれたのよ」
「そうなの?」
「そうだよ。まあ、暁斗が運ばれたあと現場の挨拶回り済ませてからだけど」
「ああ、ごめん、晴之さんに全部任せて」
「いいんだよ。俺は砂岡ちゃんに着いて周っただけだ」
暁斗が運ばれた後もまだステージは半分近く残っていた。あれからどうなったか、今になって不安が戻ってくる。
「あの後、大丈夫だった……?」
「ん、まあな。夕陽さんと駿也さんのおかげでどうにかなったし。砂岡ちゃんと謝罪して回ってたら、スタッフの人からはむしろ謝られたよ。雪がステージに入って来て滑りやすくなってたのに充分整備できてなかったって。暁斗が最初に倒れかけたのって多分雪で滑ったからなんだよ。だから無理をさせて悪かったって」
「そんな、でも俺が本調子だったらあんなことにならなかったのに」
「まあ、そこは充分反省しますって謝っておいたから。大丈夫だって言われたよ」
「ありがとう」
晴之にも砂岡にも感謝してもしきれない。夕陽にも駿也にも後からたくさん謝って、お礼を言わなければならない。
「暁斗、言いたいことは山ほどあるけど、ひとつだけ言わせろ」
「……なに?」
晴之は真剣な面持ちで告げた。
「おまえはもっと甘えろ、俺をなんだと思ってんだ」
「ん、ごめん」
もうすでに一つじゃない、と苦笑して、それでも晴之の言葉に耳を傾ける。
「でも、暁斗、よく踏ん張った」
「っ、うん、ありがとう」
ぎゅっと晴之に手を握られた。その温かさにふっとまた緊張がほどけて、涙が溢れる。
ステージを台無しにすると思った。こわかった。不安でしょうがなかった。大丈夫だと過信した自分が憎かった。悔しくてしょうがなかった。
晴之はくしゃくしゃに顔を歪めて、呆れたように悔しがるように笑った。
「でもな、暁斗、おまえの顔、やっぱり夕陽さんに似てる」
「え……?」
「あの歌のあと暁斗と離されて、夕陽さん、暁斗と同じ顔して泣いてた」
「っ……」
「もちろんステージが残ってたからほんの数秒だったけど……。でもな、それだけじゃない。一緒に歌ってる時の顔も、同じだった。暁斗も、それからきっと夕陽さんも、今までで一番幸せそうに笑ってた。こんな悔しいことあるか?」
大きな掌にくしゃりと頭を撫でられて頬をまた一筋涙が伝って落ちる。
夕陽に笑ってほしいと願った。一緒にいられなくてもいいから、ただ幸せでいてくれたらそれでいいと。でも、そばに立って気づいてしまった。
夕陽が笑っている瞬間が暁斗も一番幸せに笑っていられる。
晴之はそれをわかっていて悔しくてしかたがないのに教えてくれた。
「まあ、俺だっておまえの隣を譲るつもりはないし、これからもっと笑わせてやる」
「……うん」
結局ひとつどころではすまなかった晴之の話を母も隣で苦笑しながら見守っている。晴之は「ごめん、長くなった」と謝って、最後に告げた。
「ただ、悔しかったのは俺だけじゃなかったみたいだな」
「どういうこと……?」
先程までの表情とは一変して晴之はどこか楽しそうだった。
「くくっ、駿也さんの顔、最高だった。まあ、隣に並ばれて自分の曲でもないのに完璧に踊られた時はすげー悔しかったけど、あの人も俺と同じだった。おまえらのことを見て、嫉妬で狂いそうになってたよ」
「そう、なの……?」
「同じだなって思ったよ。なんせ暁斗の後ろに立ってる夕陽さん、どう見ても今までで一番きらきらしてたからな」
「っ、いや、そんな……ことは」
「あるんだよっ。じゃなきゃ駿也さんがあんな顔しない」
晴之は駿也の表情を思い出しているのかくつくつと笑い出したら止まらない。
「なあ、暁斗、やっぱりちゃんと話しろよ、夕陽さんと」
「……うん」
途切れてしまった糸を結ぶように、お別れを言ったはずの過去を繋ぎ止めるように。まだ話すことがある。
「ずっと、二人は一緒だったものね」
母がぽつりとつぶやいた。夕陽が家を出るその日まで暁斗はいつも夕陽と一緒にいた。できるなら片時も離れたくなかった。
「ブラコンなのはまあ今に始まった話じゃないんだよな」
「っ……うん」
かっと頬が熱くなる。晴之はそんな暁斗の顔を見て声を出して笑った。
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