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 あの日高校で起きた出来事はネットニュースに取り上げられた。暁斗(あきと)夕陽(ゆうひ)の友人の名前は伏せられていたが夕陽自身は違う。世間に名が知れ渡ってしまっていた分、小さなことでも噂はたちまち広まっていった。嫉妬・羨望・怒り、様々な負の感情を煽るように文章にされ、夕陽は芸能活動を休止し、暁斗もしばらく学校を休んだ。  夕陽の友人は停学処分となり夕陽は自ら休学を選んだ。 「仕事、辞めようと思う」  夕飯の席で夕陽が告げたのは十一月末の話だった。 「なんで、兄さんがそこまでする必要ないよ」 「ううん、もう限界なんだ」 「っ……」  夕陽のまっすぐな瞳を見て、ああ、もう決めてしまったのだと思った。母はただじっと夕陽を見つめていた。 「これ以上、誰も傷つけたくない。オレも、傷つきたくない。仕事をするの、大好きだったよ。でも、もう無理なんだ」  いつだって周りのことばかり気にしている夕陽が、自分が傷つくことを恐れているのを知って、それ以上何も言い返せなかった。  みんなの前で楽しそうに歌う夕陽が好きだった。テレビや雑誌で夕陽を見かけるたび、さみしさは感じていても、同じぐらい誇らしかった。  でも、これは夕陽が選んだことだ。夕陽には夕陽の人生がある。自由がある。  自分を納得させるように心に何度も言い聞かせた。 「これからは進学のために勉強に専念するよ。母さん、オレ大学に行ってもいいかな」 「ゆうちゃんの好きにしたらいい。私は応援するだけ。大丈夫」 「ありがとう、母さん」  大丈夫、進む道が変わっただけ。兄さんが選ぶ人生を応援しよう。俺に何ができるかはわからないけど、でも、できることはなんでもしよう。  暁斗は心に決めて夕陽の手をぎゅっと握りしめた。 「ありがとう、(あき)」  夕陽も手を握り返して、ようやくふわりと微笑んだ。    ◇◇◇  夕陽が芸能活動停止を事務所の公式サイトで告知して、またニュースに取り上げられた。〝学業に専念するため〟とそれだけを強調し、夕陽も事務所もそれ以上の説明はしなかった。世間の反応は一部あの日のことと絡めて煽る声もあったが、夕陽がまだ高校生だったこともあり、おおむね好意的だった。  暁斗が学校に復帰して、いくらか声をかけられることはあったがそれも時間が経つにつれて少しずつ落ち着いていった。 「暁、無理してない?」 「してない。大丈夫だよ」  一緒に生活する中で、ふっと目が合った時、夕陽はなんども聞いてくる。その度に暁斗は大丈夫と繰り返す。実際のところ秋から冬に変わる頃にはずいぶんと生活は落ち着いていた。  夕陽が活動を休止して、メディアに露出しなくなった分、むしろ以前に比べれば周りは静かなぐらいだった。  なんだか遠くにいってしまったような気がしていたのに、今はまたすぐそこにいる。それがやっぱり嬉しくて、後ろめたさを感じながら夕陽と一緒に過ごすことができる時間は暁斗にとってとくべつで大切なものだった。 「暁、クリスマスはケーキ一緒に作ろうか」 「わざわざ作るの?べつにいいじゃん、母さんが作ってくれるんだし」 「えー、オレは暁と一緒に作りたい」  冬休みに入り、夕陽は何かと言えば暁斗に構ってきた。もとから距離は近すぎるほうだったが、夕陽が仕事をしている間離れていた分なんだか気恥ずかしかった。  結局夕陽に押し切られてケーキは買い出しから付き合わされ、一緒に作ることになってしまった。 「暁、どういうケーキがいい?苺ショート?チョコレート?あ、丸太になったやつがいいかな」  スーパーで買い物カートを押しながら楽しそうにする夕陽は暁斗よりよほど子どものようだった。  今でも帽子や伊達眼鏡のような変装は残しているものの、以前よりは肩の力が抜けているような気がする。 「あんま難しいのにしたら大変だし、ふつうでいいよ」 「普通って、苺ショート?」 「うん、あれ一番普通じゃない?」 「どうなんだろう。でも暁チョコレートケーキ好きだよね」 「べつに、どれでもいいけど」 「とか言って、大好きなくせに」  夕陽は苺のパックを見比べながらくすくす笑う。何ケーキにしても苺は乗せるつもりらしい。 「兄さんは苺ショート好きだよね」 「あ、暁もしかしてオレのために苺ショートにするって言ってくれた?」 「……ちがうよっ」 「えーっ違わないって言ってよ」  カートを持つ腕を抱かれ「近いって」とどうにか引きはがす。恥ずかしいったらない。追い払ったら夕陽はしょんぼりと肩を落とした。 「暁が最近冷たい」 「だったらこんなこと付き合ってないよっ」 「……それもそうだね」  くるくる表情を変えて夕陽はいつも楽しそうだ。最近また夕陽はよく笑うようになったな、と思ってから、ああ、そういえばしばらく夕陽があまり笑わなくなっていたのだということに気付いた。  夕陽が楽しそうにしているから、それでいい。  心の中でそっと頷いて「そうだよ」と暁斗は笑った。 「あの……」  声をかけられたのは買い物をした帰り道だった。振り向くと暁斗と同い年ぐらいの女の子が立っていた。きゅっと頭の上で結んだポニーテール、ふわふわの真っ白いファーの付いた赤いダッフルコート、黒いニットのスカート。サンタさんみたいだなあ、と暁斗はぼんやり思った。そしてもしかして夕陽のファンかな、と思ったが女の子は小さな声で「暁斗くん」と言った。 「俺……?」 「そう、あの……今、いいかな」 「あー……えっと……」  夕陽をちらっと見てみると穏やかに微笑んでこちらを見ていた。それ、どういう顔? 「暁、オレはいいから。ちょっと本屋寄ってるね」 「……わかった」  止める間もなく夕陽はすぐ近くにあった本屋に入って行ってしまった。 「えっと、大丈夫になった」 「ごめんね、お兄さんと一緒にいるのに」 「ん、まあいいよ」  歩道の端に移動して「それで?」と問いかける。 「もしかして兄さんに声かけづらくて俺に声かけた?」 「え……?あ、違うよっ、暁斗くんに、用事があって」 「俺?なに?」  夕陽のファンではないらしい。じゃあなんだ?と考えを巡らせるうちに女の子は「あの」と白い紙袋を差し出してきた。 「これ、もらってください」 「……俺に?」 「うん、そう。それじゃっ」 「え、あっ……」  暁斗に紙袋を押し付けて女の子はあっという間に去って行ってしまった。一体なんだったんだ、と後ろ姿を眺めていると夕陽が本屋から戻ってきた。 「暁、モテモテだね」 「へ……?えっ、ちがうよっ」 「違わないだろ、それ」  夕陽に指さされたのは今渡されたばかりの紙袋だった。 「中、ちょっと見てみたら?」 「中……?……あ……」 「なに入ってるか当ててあげようか。手紙、手作りのケーキ、あとは……手編みのマフラーかな」 「……合ってる……」 「やっぱり」  ちらっと中を覗いてみたが、今まさに夕陽が言ったものが入っていた。ケーキは暁斗の好きなチョコレートのパウンドケーキ、マフラーは黒色で網目の拙さから手編みだということが見て取れた。 「手紙は帰って一人で読んだ方がいいよ」 「兄さんに言われなくてもそうするよ」  じっと覗き込んでくるから慌てて紙袋を閉じて暁斗は歩き始めた。  女の子にプレゼントをもらうのは初めてだった。そして手紙がどういう類のものかわからないほど鈍くはなかった。  夕陽はすぐに追いついて隣をゆったりと歩いている。相変わらずにこにこと微笑んだままで、なんだか居心地が悪い。  今年、夕陽にクリスマスプレゼントでもらったのもマフラーだった。真っ白のふわふわのマフラーは先っぽにぽんぽんがついていて、正直ちょっと恥ずかしかった。でも、夕陽がせっかくくれたものを使わずにはいられなかった。  マフラーに鼻まで埋めて急ぎ足で歩いたが、夕陽の一歩と暁斗の一歩では大きさが違いすぎていくら急いでも夕陽はいっこうに離れなかった。  帰宅してケーキ作りを終えてから手紙を開けてみた。予想通りそれはラブレターで、〝ずっと暁斗くんが好きでした〟とまっすぐな告白が書かれていた。  でも、それまで暁斗は恋愛なんて考えたことがなくて、どうしたものか全くわからなかった。学校の友達も恋愛より友達と遊ぶ方がずっと楽しいという者ばかりだ。そもそもそういう相手を選んで友達になっているところもある。  相談できる相手と言えば夕陽ぐらいで、でも夕陽に相談してもいいものか悩んで、悩んで、気づけば夜は更けていった。  夕飯の間もお風呂に入っている間もぼんやりと考え込み、母からも「大丈夫?」と心配されてしまった。 「なんでもない、なんでもないよ」 「ほんと?」 「うん」  本当はなんでもなくないけど。母に相談するわけにいかない。どんな反応をされるかなんとなく想像がついて考えただけでげんなりしてしまう。  結局答えは出ないまま、ベッドに入ってからもなかなか寝付けなくなってしまった。  やっぱり兄さんに相談するしかないのかな。  悩んだ末に観念して夕陽の部屋の前にきてしまった。もう寝ているかもしれない。そうしたら諦める。自分に言い聞かせてドアをノックした。  すこしの間待っていたが中から返事はなかった。寝たのかもしれないと思ったら部屋の中でどすんっと大きな音がした。 「え、兄さん……?」  慌てて部屋に入ろうとドアノブを回し「あれ?」とつい声が出る。鍵がかかっていて開けられない。  普段夕陽はドアに鍵をかけない。ノックをして部屋に入る、それが当たり前になっていてどうしてだろうと思った。でも、ぐっすりと眠りたいのかもしれない、と思い直して待つことにした。するとどたばたと足音が聞こえ、ようやくドアが開いた。 「……ごめんっ、暁、お待たせ」  あれ……?  暗い部屋、ベッドからずり落ちた布団。慌てて起きたのだとわかる。でも、なにか、ちがう。夕陽の表情?声音? 「……暁……?」  きょとん、と見つめ返してくる夕陽は見慣れたものなのになぜか違う、と思ってしまった。  わずかに感じた違和感は「どうしたの?」と優しく肩を叩かれたことでかき消された。 「あ、……えっと、転ばなかった?」 「あはは、大丈夫」 「そっか……夜遅くごめん」 「いいよ。なにかあった?」 「……ん、あのさ、相談があって」 「昼間のこと?」 「っ……」  すぐに言い当てられどくんっと心臓が跳ねる。表情に出ていただろうか。顔に手を当てて黙っていると夕陽がくすっと笑って「入って」と言った。  夕陽は電気を点けると肌蹴た布団を整え、端に詰まれていたクッションの一つを床に置き「座って」と促す。そして勉強机の椅子にかけられていた小さな毛布を下ろし、そうっと暁斗の膝にかけた。 「ありがとう」 「ん、オレも入れて」 「うん」  夕陽も隣に腰かけて毛布を半分自分の膝にかけ「それで?」と問いかける。 「暁はなにに悩んでるの?」 「……うん、どうしたら、いいのかなって」 「どうって?」  夕陽は穏やかに、それでも一つひとつ暁斗の心をほどいていく。 「あの手紙、ラブレターだった。ああいうのもらうの初めてで、今まで全然そういうの考えたことがなくて、びっくりした」 「……うん、暁はいやだった?」 「いや、とかではないけど……でも、わかんないなって。ただ、わからないままにしておいたらダメなんだろうなってことはわかる」 「暁は優しいね」 「優しい……?」  まさかそんなことを言われるとは思わなかった。こんな何もわからず戸惑ってばかりで、どうにかしないとと焦っているだけなのに。  夕陽は静かに、でも凛とした声で答えた。 「だって、放っておくことだってできるんだよ。わかんないからいいやってなかったことにして、そのまま元通りにだってできる」 「そんなのできないよっ。俺はあの子のこと全然知らないけど、でも向こうは俺のことずっと好きだったって書いてあった。わざわざ休みの日に俺のこと探して、声かけてくれた。そんなの、放っておくなんてできるわけない」 「ふふ、うん、だよね。暁はやっぱり優しいよ」 「……そうかな……」 「うん、わかんなくてもきちんと向き合おうとしてる。女の子の好きって気持ちに何か返してあげたいんだよね」 「……うん」  自分の気持ちはわからない。でも、あの女の子がどんなに自分を好いているのか、勇気を振り絞ってプレゼントと手紙をくれたかはわかる。でもだからと言ってどうしていいのかはやっぱり答えが出なかった。 「暁がわからなくなってるのは、あの子を傷付けるかもって思ってるからだよね」 「っ……」 「だって、暁はまだわからないから、返事をするなら〝こたえられない〟って言うしかないもんね。それってつまり断るってことだから、あの子は当然つらいだろうね」  そう、きっとそうだ。今暁斗に返せるのは彼女にとって決していい返事ではない。だからためらっている。悩んでいる。  本当にそれでいいかはわからない。でも、夕陽に心の中を差し出して、少しずつ答えがはっきり浮かび上がってきた。 「きっと、傷つけるかもしれないけど、でも、暁がちゃんと考えたことはきっと伝わると思うよ」 「……うん」  夕陽が答えをくれる。勇気をくれる。だから決心がついた。 「兄さん、俺、ちゃんと会って〝ごめん〟って言う。あの子が嫌いなわけじゃないけど、俺にはまだわからないから、そんな中途半端なまま〝付き合う〟ってことはできないって、だから、ごめんって断ろうと思う」 「……うん、えらいね、暁」  夕陽はふわりと微笑んで暁斗の肩をそうっと抱き寄せた。  よしよし、と言うように頭を撫でられて心の中がぽうっと温かくなる。  兄さんに話してよかった。兄さんがそばにいてよかった。心の底からほっとした。 「兄さん」 「なに?」 「その……兄さんは告白されたことってある?」 「あるよ」  夕陽は包み隠さずはっきりと告げた。やっぱり、という気持ちと、なんで聞いてしまったのだろう、という疑問が一緒になってなんとなく俯いてしまう。それでも、知りたかった。 「じゃあ、兄さんは好きな人って……いる?」  そうっと視線をあげて問いかけた。夕陽は膝に顔を埋めてふっと頬を綻ばせる。 「いないよ」  告げられた瞬間、本当に?と聞き返しそうになって口を噤んだ。どうしてそう思ったんだろう。  何も言葉をつなげられないまま、じっと夕陽と見つめ合う。夕陽がなにを考えているのかさっぱりわからなかった。 「暁、そろそろ寝ようか」 「……うん」  それ以上踏み込んではいけない。言葉にはされていないのになんとなく突き離されたような気がして一人勝手に落ち込んで気にしないようにしようと言い聞かせて「おやすみ」を告げた。
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