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 クリスマスライブへの準備と特番やラジオの収録、雑誌の撮影、そしてレッスンをこなしながら暁斗は高校の期末試験を終えた。好成績とまではいかないものの特別悪くはならずほっとした。以前にもましてめまぐるしく日々が過ぎていく。  腕時計は取りに行けないまま、それでも心はすぐに切り替えることはできないから、せめてこれだけは、と夕陽にもらったピアスを着けることが増えた。夕陽が見ているかはわからない。それでも、夕陽を大切に想っていることには変わりがないのだと目に見えて伝わればいいと思った。 「あ……兄さん……」  街中の電光掲示板に流れるCM。そこには夕陽の姿があった。  ――『疲れたあなたを癒すひととき』  聞き慣れたキャッチフレーズが夕陽の唇から紡がれる。 「やっぱり、兄さん、似合うな」  夕陽が暁斗と同じ化粧水のCMに出演すると知ったのはオファーがあってすこし経ってからの話だ。もとから企画担当が二人が兄弟だと知った上で第一弾、第二弾として組んだらしい。  ――『お疲れ様』 「……」  まるで目の前で囁かれたような錯覚を覚える。本当は画面の向こうにいるわけでもないのに。  夕陽と同じ仕事ができるのは単純に嬉しかった。これもまた夕陽と同じ場所に立つ、ということだから。たとえ〝夕陽の弟〟というブランディング目当てだとしてもかまわなかった。  夕陽は同じ仕事をすると聞いて何を思っただろうか。以前なら〝同じCMに出ることになったね〟と夕陽の方から連絡が来ていたが、今はない。暁斗の方からも連絡はとっていない。  別に連絡をとってはいけないわけではない。兄弟なのだから、当たり前に昔のように話をすればいい。でも、そうすれば夕陽へのとくべつな想いを隠してはいられない。  気持ちを伝えてしまったことは間違いだったのか。悔いてももう遅い話だ。 「ただいまー」 「おかえり」  退院後、元通りの生活ができるようになった母がキッチンの中から笑顔で出迎えてくれる。この瞬間はいつもほっとする。 「あきちゃん、夕飯まだよね」 「うん」 「もうできるから、手洗っておいで」 「わかった」  今でも時折晴之と食事に行くことはある。以前流れてしまった自宅に晴之を呼ぶこともつい先週叶ったところで、母と晴之はとても仲良くなった。 「晴之くんが、またご飯食べにきたいって言ってたから、いつでも誘ってね」  二人で食卓を囲みながらふっと思い出したように母が言う。 「言ってたって?」 「ほら」 「え、連絡先いつの間に交換したの?」 「この前よ?」 「……はは」  どうやら先週会った時のことらしい。どこまで仲良くなったのやら。 「晴之くん、あんなにかっこよくて人気もあるのに、良い子よね」 「うん、それはわかる。めちゃくちゃ優しい」 「あきちゃん、たくさん甘えさせてもらってるんでしょ?」 「え、晴之さんなにか言ってた?」 「ううん、べつに。でも、しばらくお家でお世話になってたこともあったし、今でも時々晴之くんの家に行くんでしょ?彼、あれだけ優しいから自然と甘えちゃうんじゃないかなって」 「……うん」  母は暁斗のことも晴之のこともよく見ている。大事な人に大事な人のことを良く思ってもらうのは嬉しい。 「でも、晴之くんは甘え上手でもあるから、そこはゆうちゃんとは違うね」 「そう、だね」  夕陽の名前を聞くと、ついどきっとしてしまう。母は暁斗の想いも夕陽の葛藤も知らない。知ってしまえば今のように笑ってくれるだろうか、と思った。想像して、とうてい笑顔を想い描けない。  だから、だめだって兄さんは思ったのかな。夕陽が〝普通の兄弟〟でいたい、と思った意味をなんども考える。  大切な人を困らせてまで、自分のわがままを通すなんてそんなことはできない。これでよかったのだと自分に言い聞かせる。 「ゆうちゃんも、もっと甘えさせてあげられたらよかったのかな」  ぽつり、と母がこぼして、またどきり、とした。 「いつだって帰ってきて、一緒にご飯食べたっていいのにね」 「……うん、俺もそう思う」  そうしてほしいと何度願ったのかわからない。でも、夕陽がそうしないのは暁斗のためだ。 「ごめんね、母さん」 「なんであきちゃんが謝るの?」 「俺ばっかり甘えてるから」  さみしい想いをしているのは母も同じなのだと申し訳なくなる。でも、母は「もう」と小さくため息をついて告げる。 「あきちゃんだって、もっと甘えたらいいって、ずっと思ってるのよ」  晴之と同じことを言う。もう充分すぎるほどに甘えているのに。みんな優しい人ばかりだ。 「ありがとう、母さん」  そう言うことしかできなかった。 「ねえ、あきちゃん、私も今度のライブ、行ってもいい?お父さんも帰ってくるって言うから一緒に」 「クリスマスの……?」 「そう。というか、砂岡さんからぜひ来てくださいねってチケット渡されちゃった」 「……いつの間に……」  誰も彼も皆世話を焼くのが好きすぎる。 「いいよ」 「ほんと?」 「うん、兄さんも出るし、見たいでしょ」 「そう、そうなの。ありがとう」 「ううん、聞いてくれてありがとう」  今まで照れくさいから来ないでほしい、と言ったのは夕陽に対してだけではなかった。母もずっと見に行きたいと話していて、それでもなんだか頷けないままだった。今回ばかりは断れない。どこまでも優しく見守ってくれるこの人に恥じないような姿を見せたいと思った。    ◇◇◇  クリスマスライブを目前にして、再び生放送でVesproと共演することになった。今回はEテレビの番組で、ライブの宣伝も兼ねているらしい。 「暁斗、最近眠れてるか?」 「眠れてるけど、なんで?」  控室でメイクと着替えが終わったところで晴之に問いかけられた。 「いや、なんかすげー頑張ってるの、伝わってくるから」 「そう、かな」 「ああ。テレビもラジオも撮影もレッスンも、暁斗の気迫に押される時が何度もあった」 「そうなんだ」  そんなこと今まで一度も言われたことがなかった。一つひとつの仕事に必死で、そう見えたのだろうか。 「俺なにか変だった?」 「変じゃないよ。ただ、あんまりまっすぐに頑張るからさ、ちょっと心配になっただけ」 「晴之さん……ありがとう」  晴之はすべてを知っている。そのうえでずっと暁斗の心も体も気遣ってくれる。その優しさに応えたくて前よりももっと頑張ろうと思っていた。でも、それすらも見抜かれていたなんて。 「晴之さんにはかなわないな」 「俺にかなおうなんざ十年はえーよ」 「十年でいいんだ」 「ん、だってそんぐらいで追いついてもらわなきゃ困るだろ。俺の大事な相方なんだから」 「ふっ、はは、そうだね」  頑張りたい、と思う理由はたくさんある。晴之のため、砂岡のため、ファンのため、両親のため、そして夕陽のため。 「晴之さん、俺、決めたんだ」 「なにを?」 「兄さんに、アイドルとしての夕陽の心に俺の歌を届けるには俺が今よりもっとアイドルとして大きくなるしかない。俺の歌声で心を震わせて、笑顔にさせて、俺はここにいるよって、伝えるしかないなって思う。だから、もっと、もっと頑張りたい」  同じステージに立っても他のことが気にならないぐらい、苦しいことやつらいことがあっても忘れてしまうぐらい、楽しい、嬉しい、幸せだと思わせるような歌を歌いたい。  一人勝手に決めたことだったけれど、晴之は「ははっ」と楽しそうに笑い、大きな掌をぽんっと暁斗の上に置いた。 「かっけーな、暁斗」 「そうかな」 「でも、無理すんなよ」 「……うん」  無理は、していないと言えば嘘になる。でも、楽しかった。アイドルをすることが心から楽しかった。  たとえ夕陽のすぐ隣にいるのが自分ではなくても、普通の兄弟に戻れなくても、ただ夕陽を幸せにしたい。そのためにできることがアイドルとして歌うことしかないなら、ただまっすぐ進むだけだ。 「なあ、暁斗、Vesproの控室行っていいか?」 「……挨拶、するってこと?」 「そう。この前説教されたしな」 「そうだね」  きっと晴之は暁斗の心を案じている。それでも今抱えている複雑な気持ちを引き摺ったままではいられない。今度のライブでも会うのだからそれがすこし早まっただけだ。 「暁斗、大丈夫だ。俺が一緒にいる」 「……うん」  晴之の言葉に背中を押され、Vesproの控室に向かった。ノックをしてからゆっくりと部屋に入ると既に準備を終えた二人が一度にこちらを見た。駿也はぴくりとも表情を変えなかったが夕陽は違う。小さく目を見開いて暁斗を見た後、晴之に視線を移した。 「挨拶に来ました」 「それはどうも」  駿也は座ったまま頭だけで会釈する。夕陽は立ちあがって一歩二歩と近づいてくる。 「わざわざありがとう」 「いえ。あの、駿也さんには、ひとまず黙っておいてもらうとして、夕陽さんに話があります」 「え……?」 「……晴之さん……?」  じっと夕陽が晴之を見つめ、暁斗も戸惑いながら晴之を見上げた。晴之は二人の視線を気にすることなく言葉を繋ぐ。 「あなたが暁斗のそばにいてやれない分、俺が暁斗を支えてあげるので、なにも心配いらないですよ」 「……」  どくん、どくんと心臓が跳ねる。ひんやりとした汗が背中を伝って落ちていく。夕陽も駿也もじっと晴之を見つめている。夕陽の表情は凪いだまま。でも、瞳はゆらゆらと揺れて、それでも視線はそらさず、ゆっくりと口を開いた。 「暁斗のこと、お願いします」 「っ……」  夕陽は晴之に向かって深々と頭を下げた。晴之は眉間に皺を寄せて、ぎり、と歯を食いしばる。暁斗のために言いたいことがたくさんあって、それでもがまんしているのだと伝わってくる。優しさに胸が詰まった。  夕陽の声はわずかに震えていて、暁斗は静かに瞼を閉じた。晴之は夕陽の心に訴えかけてくれた。もう十分だ。 「晴之さん、行こう」 「……ああ」 「今日は、よろしくお願いします」  暁斗は最後に頭を下げて晴之とともに部屋を後にした。  もう後ろは振り返らなかった。 「あとから、後悔したって遅いんだからな」 「……晴之さん……」  歩みを進めながら晴之が低い声で唸る。怒ってくれているのだと痛い程に伝わってくる。 「ありがとう、晴之さん。一緒にいてくれて、話してくれて、ありがとう」 「……礼なんて、いらない。俺は自分が言いたいから言っただけだ。暁斗は俺が守ってやる。兄ちゃんの分まで幸せにしてやる。絶対だ」 「……うん」  家族のように温かい、それでいて、強引で、かっこよくて、この人が繋ぎ止めてくれるから、夕陽に向き合うことができる。 「俺も晴之さんのこと、幸せにするよ」 「……ん、頼むぜ」 「うん」  夕陽の言葉も晴之の言葉も暁斗を想って言ったことには変わりない。  もう傷つけたくない、傷つきたくない。笑っていたい、笑っていてほしい。きっと誰しもそう思っている。    ◇◇◇  滞りなく生放送を終えて帰路につき、ちょうど帰宅した頃、電話がかかってきた。夕陽からだった。 「……はい」 『暁斗、もう家?』 「うん」 『今、話していい?』 「うん」  母はもう眠ったあとで、暁斗は自室に戻りベッドに腰かけた。 「今日、晴之さんが突然ごめん」 『いいんだ。いつか何か言われるだろうって思ってた』 「そうなんだ」 『うん。だって、暁斗のことすごく大事にしてくれてるってわかるから』 「……うん、そうだよ」  兄さんができない分、という言葉はきっと夕陽も抱いている。 『暁斗が、あの人に出会えてよかったと思う』 「……兄さん、それ、本気で言ってる?」 『え……?』  もちろん、晴之に出会えてよかったと心から思っている。でも、それを自分で思うのと夕陽に言われるのとでは暁斗の抱く心の色はまったく違う。 「晴之さんは、最初からずっと優しいよ。俺のことを見つけてくれて、一緒に歩いてくれて、いつもそばにいてくれて、支えてくれる。俺が泣いてるとき隣にいてくれる、抱きしめてくれる。兄さんが、昔そうしてくれたように、晴之さんは同じだけ優しくしてくれる」  飲みこんで伝えなかった言葉が溢れ出す。困らせたい、傷つけたい、そう思っているわけではないのに。どうして、甘えてしまうのだろう。 「兄さんは、晴之さんが兄さんのかわりになって、それでも本当によかったって思ってる?」 『…………』  長い、長い沈黙が流れた。結局また、困らせて傷つけている。何度同じことを繰り返しても変えられない。  もう一人で大丈夫だと伝えたのに、やっぱり夕陽の声を聞くとどうしたって求められたいと願ってしまう。  夕陽は長い沈黙のあとで静かに答えた。 『思ってるよ』 「っ……わかった」  変えられない。わかっていたのに、また自分から傷つけて、傷ついて、ばかみたいだ。  つきん、と額の傷がまた痛み出す。どうにか痛みをがまんして暁斗は告げた。 「兄さん、CM、見たよ。兄さんと同じ仕事ができてうれしい。それから、今度のライブ、楽しみにしてる。兄さんの歌、大好きだから、何度だって聞いていたいってそう思うよ。俺も兄さんに負けないように頑張るから」 『……暁斗……』 「それじゃ、またね」 『暁っ……――』  夕陽の声を最後まで聞くことなく通話を切った。  言いたいことは伝えられた。CMのことも、ライブのこともずっと話したいと思っていた。でも、本当はもっとたくさん話がしたかった。それなのにできなかった。これ以上話していたらきっと会いたくなってしまうから。  夕陽にはたくさんの言葉をもらった。子どもの頃も成長して仕事を始めてからも、夕陽はいつも味方でいてくれた。だからせめて少しでも言葉を返したくて、想いを伝えたくて、ただそれだけだった。 「うまく、いかないな」  つきん、とまた傷が痛む。気付かないふりをして耳に触れるとひんやりとしたシルバーがそこにある。暁斗はそっとピアスを外した。そしてベッドから立ち上がり、ブレスレットをしまっている引き出しにピアスも一緒に押し込んだ。 「バイバイ、お兄ちゃん」  普通の兄弟、なんて、俺にはもう無理だよ。
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