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「うぅ、うー……」  幼い頃、暁斗は時折一人で泣いていた。子どもながらに両親も兄も自分のことをとても愛してくれていて、大切にされているとわかっていた。だからこそ泣いているところを見せたら心配させると思い隠れていた。  べつに泣きむしなほうではなかったはずだ。どちらかと言うとがまん強くて、ちょっと転んで怪我をしたぐらいでは泣かない子どもだった。  早く泣きやまなければ見つかってしまう。心配をかけてしまう。そう思うのに涙はいっこうに止まらない。普段がまんしすぎているのもあっただろう。  どうにかして隠れなければと思っていたのに、そういうとき泣きやむ前に必ず夕陽に見つかっていた。 「暁」 「っ……、……にい、さん」  公園の隅にあるドーム型の滑り台。その中に隠れて泣いている暁斗の隣に夕陽は座った。  急いで涙を隠さなければ、と瞼をごしごし擦ると夕陽の手が伸びてきてそうっと頬に触れた。 「暁、擦ったらだめだよ。赤くなっちゃう」 「……でも」 「赤くなったら、母さんたち、きっと心配する」 「あ、……う、ん」  夕陽にはもう知られてしまった。それならばせめて両親には隠さなければ。そんな暁斗の不安を知っていて夕陽はズボンのポケットの中からハンカチを出してそっと暁斗の涙を拭う。 「オレだって、暁のことが心配だよ」 「……うん」 「でも、心配をかけるのは悪いことじゃないよ」 「そう、なの?」 「うん」  まだ夕陽も小学生だった。それでも夕陽はすでに今と変わらないほど優しくて、聡い子どもだった。  夕陽は暁斗の肩をゆっくりと抱き寄せて小さな頭に小さな頭をこつんっと乗せて説き聞かせた。 「暁が一人で泣いてるのを知らない方がさみしいよ。オレは暁が泣いている時、暁のそばにいてあげたい」 「ぼくも、お兄ちゃんが泣いてる時、お兄ちゃんのそばにいたいよ」 「ほんと?ありがとう。優しいね、暁」 「……ん」  夕陽の方がずっとずっと優しいのに、夕陽は暁を褒める。そして静かに問いかける。 「どうして泣いてたの、暁」 「……うん……」 「言いたくない?」  顔をのぞきこまれて、つい視線をそらしてしまった。夕陽は眉尻を下げて悲しそうな顔をする。そんな顔、させたいわけじゃない。 「友だちに、言われたんだ。友だちじゃなくて、お兄ちゃんとばっかりいっしょにいるの、おかしいって」 「……そう、か……」  暁斗にとって夕陽と一緒にいる時間が一番大切だった。だからそのせいで友達に責められたなんて夕陽には知られたくなかった。でも、内緒にしていてもいつかはきっと知られてしまう。だから伝えるしかないのがもどかしかった。 「お兄ちゃんのせいじゃないよ。ぼくは、お兄ちゃんが大好きだから、いっしょにいるだけ。いつもじゃないもん。お兄ちゃんにも友達がいるのは知ってるよ。だから、大丈夫かなってときだけ。でも、みんなはおかしい、おかしいって言うから、ちがう、ちがうって、ケンカになって……」 「ケガ、しなかった?」  夕陽が不安げに問いかける。 「しないよ。そしたらもっとお兄ちゃんが心配するってわかってるから、にげてきちゃった」 「……そ、っか……よかった」  夕陽はほうっと肩を撫で下ろし、やっぱり自分の選択は間違いではなかったのだと暁斗も安堵した。 「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、ぼくがそばにいて……めいわく、だった?」 「……暁……」  夕陽の目が大きく見開かれて、それからくしゃりと歪む。 「そんなことない、そんなことないよ」 「ほんと……?」 「ほんと」  夕陽は暁斗を抱き寄せてぎゅうっと力強く抱きしめた。暁斗は今よりずっと小さかったから夕陽の腕の中にすっぽりおさまった。暁斗はそうやって夕陽に抱きしめられるのが大好きだった。  夕陽の温もりに包まれていると自然と心も涙も落ち着いた。しばらくそうした後、夕陽はゆっくりと体を離し暁斗に言い聞かせた。 「暁、きっとね、友達は暁のことが嫌いでそんなことを言ったんじゃないと思うよ」 「そうなの?」 「うん、きっと、オレだけじゃなくてみんなとも遊んでほしいんじゃないかな」 「……ええ?だったらそう言えばいいのに」 「うーん、うまく言えないんだろうね」  なにせ子どもだったから。やきもちなんて知らない。でもそれを夕陽がわかっていたのは、きっと同じような経験をしたことがあったからなのだろうと今ならわかる。子どもの頃からいつだって人気者で、女の子も男の子も夕陽と遊びたがった。でも、夕陽がいつも一番優先するのは暁斗だ。暁斗と同じように〝なんで弟ばっかり〟と言われていたのだろう。 「明日、友達に会ったら、一緒に遊ぼうって言ってみたら?」 「え~……やだな、やなこと言ってきた子に言うの?」 「そう。それでも嫌だって言われたら、オレと遊ぼう」 「……ん、わかった」 「うん、いいこ」  自分のことを傷付けた相手に自ら近づくことは正直進んでやりたいと思えなかった。でも、夕陽が褒めてくれるならどうにかしようと思えた。  翌日、夕陽に言われた通り一緒に遊ぼうと話しかけると、友達の方から「ごめん」と謝られた。 「〝嫌なこと言って、ごめん〟だって。だったら言わないでよって思ったけど、いいよ、って言ったよ」  帰宅してから夕陽の部屋でその日あったことを教えた。すると夕陽はふわ、と笑ってまた暁斗を抱きしめた。 「暁、えらかったね」 「……うん」 「大好きだよ、暁」 「ん、ぼくも、お兄ちゃん、大好き」  暁斗もぎゅうっと夕陽を抱きしめ返す。そうすれば夕陽の手のひらが頭をそうっと撫でて、心地よさに目を閉じた。  その後も中学生になるまでは夕陽に絡んだそういう出来事は繰り返しあった。  でも、一度相手がどういうふうに考えているかを知るとどうにかうまくかわせるようになっていった。友達は普通にできたけれど、それでも暁斗が一番一緒にいたいと思うのは夕陽だったし、夕陽もそれをいとわなかった。  たぶん、きっとお互いが一番大切で、唯一だった。そう信じて疑わなかった。夕陽のことが大好きだった。    ◇◇◇  幼い頃の夢を見るのは久しぶりのことだった。考えまいとするほどに夕陽を強く想ってしまう。それはもう昔からずっと変わらない。  あの頃から夕陽はいつも暁斗のことを守ってくれた。だから、暁斗も夕陽を守りたいと思ったし、笑顔にしたいと思った。  たとえ手を離しても、そばにいられなくても、それが夕陽のためになるならばそれでいい。 「……あ」  ベッドのすぐそばにあるスマートフォンが振動して、手にとってみると液晶画面に晴之の名前が表示されていた。  ――『調子どう?眠れた?』  ごろん、とベッドの上で寝返りを打ち、暁斗はメッセージを返した。  ――『いいよ。眠った。晴之さんは?』  ――『絶好調。朝飯ちゃんと食って来いよ』  ――『もちろん』  そこで会話は途切れた。  窓の外を眺めれば、夜明けのひかりのなか、ふわり、ふわりと雪が舞い落ちていた。 「……さむっ」  そういえば昨日の天気予報で今年はホワイトクリスマスになるかもしれない、と話していた。  十二月二十四日。クリスマスライブ当日。  アイドルとして夕陽と同じステージに立てる日だ。
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