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夕陽は直接自宅に来るから、と父から連絡が入り、晴之に送られて母と二人で帰宅した。まだ完全に体調が戻ったわけではないのだから、とベッドに促され、優しさをそのまま受け取ることにした。
散々病院でも眠ったはずなのに暁斗はまたいつしか眠りについていた。
次に目が覚めた時には外は真っ暗だった。
「……兄さん……」
もう、何度同じ姿を目にしたかわからない。夕陽は暁斗のベッドにもたれかかるように眠っていた。夜空から差し込む月明かりが夕陽の寝顔を照らす。
そうっと起き上がると夕陽にぎゅっと手を握られていることに気付いた。暁斗が動かしたからだろう、夕陽の瞼がゆっくりと開く。白い瞼のその端が薄ら赤い。ああ、そうだ、泣かせたんだった、と思い出した。
「ーーっ……あき、暁っ……!」
「っ……」
夕陽の瞳が暁斗をとらえ、ぎゅっと抱きしめられた。
「暁、ごめんっ……暁っ……」
夕陽の肩が震える。止まったはずの涙が暁斗の肩を濡らしていく。
「なんで謝るの、兄さん」
暁斗は夕陽を責めるつもりなんてなかった。
「俺こそ兄さんに謝らないといけないって思ってたのに。今日のライブ、俺の自己管理不足で失敗して、台無しにしかけて、兄さんが助けてくれなかったらダメになってた。ごめん。それから、ありがとう」
謝罪もお礼も素直に口にできた。夕陽がまた守ってくれたから、それが嬉しくて、いや、そうじゃない。もう夕陽にはなにも隠したくないと思っているからだ。
夕陽は静かに暁斗の話を聞いていた。暁斗が謝るたび、夕陽はちいさく首を振る。
「暁は悪くない。謝るのはオレの方だよ。だって、暁がああなってしまったのは、オレのせいだ」
「兄さんのせいじゃないよ」
「オレのせいだよっ」
「っ……」
掠れて、泣きそうな声で夕陽は訴えかける。
「暁を最初に突き離したのはオレだ。置いて行ったのも、一人にしたのも、暁とちゃんと向き合わなかったのもオレなんだよ。暁がアイドルになりたいって言って、オレに憧れてくれてるんだってわかってて、嬉しかった。止められなかった。でも、暁がアイドルになったことを悪く思ってるわけじゃない。オレだってずっと暁のそばで歌っていたかった。初めて、暁のために歌った時みたいに」
夕陽の言葉を聞いて暁斗は幼い頃のことを思い出していた。
二人で夜明けを迎えた朝、隣に並んで暁斗のために歌う夕陽。
「暁は、いつもオレを追いかけてくれた。嬉しかった。暁が一番大事だった。それは今も変わらないよ。でも、暁がいつも涙を隠そうとしてたことを知ってたのに、オレは、そばにいてあげなかった」
「兄さんは、そばにいてくれたよ。子どもの頃も、アイドルになってからも。兄さんがくれるものも、言葉も、ぜんぶ俺の支えだった」
「でも、オレは暁が〝もう一人でも平気だよ〟って言ったのを否定できなかった。違うってわかってたのに、オレの好きに生きていい、なんて、あんなこと、言わせて……」
夕陽の瞳からいくつも、いくつも涙が溢れて頬を流れ落ちていく。
兄さんの好きに生きていい、確かにあの時暁斗はそう言った。でも、あの想いは今でも変わらない。
「だって、兄さんの人生は兄さんのものだよ。俺のじゃない」
「わかってるよ。でも、オレは、ほんとは、暁のために生きたい、暁のそばにいたい。それなのに、一人にさせて、平気だって笑ってるのを見過ごして」
「だから、俺が無茶をしたって思ってる?」
夕陽はゆっくりと頷いた。
夕陽の言うことは正しい。一人で平気だ、なんて去勢で、両親や晴之がいても夕陽にかわる存在なんているはずがない。夕陽に追いつきたくて必死で夕陽のことばかり考えて、自分のことを蔑にした。
「子どもなんだよ、俺」
「わかってる。でも、暁をそうさせたのは俺だよ。がまんづよいのをわかってて、オレも、暁も、本当はすごくさみしがりなのにね。一緒にいないとうまく眠れない、食べられない、オレがいなかったら、暁はそうなっていなかったかもしれない。それがこわくて、暁から離れようとした」
「うん」
「でもね、暁、それだけじゃないよ」
「え……?」
前に話した置いて行かれた時のこと。あれがすべてだと思っていた。でも、夕陽はくしゃくしゃになった顔で、告白した。
「最初に暁のこと〝普通の兄弟〟として見られなくなったのはオレの方だった」
「っ……うそだ」
「ほんとだよ」
ずっと、暁斗が抱いている想いと夕陽のものは違うと思っていた。でも、初めから同じだった……?
「初めて暁にキスしたいって思ったのは、まだオレが小学生の頃だった」
「えっ……そんなに前……?」
「そうだよ」
びっくりだよね、と夕陽は苦笑する。
「暁が友達にオレとばかり一緒にいておかしいって言われてたのと同じようにオレも、周りに変だって言われてた。八つも歳の離れた弟にいつまでもべったりで。成長するにつれて周りはどんどん異性を意識するようになっていくのに、オレはまったくわからなかった。でも、同性にだって何も感じなかった。オレがキスしたいって思ったのも、それ以上のことをしたいと思ったのも暁だけだった。おかしいって自分でも思い始めたよ。そんな時にモデルにスカウトされて、ちょうどいいって思った。暁のことばかり考えて、暁に固執して、違うことも考えないとって。でも、結局失敗した。モデルも、歌うことも楽しかったよ。でも、いつだって見てもらいたいって思うのは暁だった」
夕陽の友人が嫉妬を抱いてしまうほどに、あの頃の夕陽は暁斗にべったりだった。休みの日もバイトがなければ暁斗に構い、とても暁斗から離れようとしているようには思えなかった。
「でも、兄さん、オレが女の子に告白された時、一緒にどうするか、考えてくれたよね」
「はは、うん、そうだったね。でも、あのとき、オレ初めて暁で抜いたんだよ」
「え……――」
笑いながら夕陽は信じられないことを告げる。でも、笑っているようで夕陽の瞳には影が落ちていた。
二人で買い物をして、クリスマスケーキを焼いたあの日。暁斗は夕陽に感じた違和感を思い出していた。
「暁が女の子と付き合うところを想像して、女の子とセックスするところを想像して、体が疼いた。暁の裸なんて赤ちゃんの頃から何度も見てるのに、暁が女の子を抱くところを想像したらだめだった。止められなかった。最低だよね」
自嘲する夕陽の姿を暁斗は前に夕陽の家で自慰をした自分の姿と重ねていた。だから、最低だなんて思うはずがなかった。ただ、夕陽が苦しんでいるのを知らなかった自分が憎かった。
「兄さん、俺だって変わらないよ。兄さんがドラマの台本の読み合わせで俺にキスしかけた時、本当にキスしてほしくてたまらなかった。テレビの中で女の人に触る兄さんの手を想像したら自分の体に触れずにいられなかった。同じ、同じだったんだ」
「……暁……」
夕陽は悲しげに瞼を細めて、そしてまた「ごめん」と言った。
「やっぱりオレのせいだね。あの時、がまんできなくて、暁にキスしたくてたまらなかった。キスして、暁の体を暴いて、めちゃくちゃにしたくて……だから、暁があの後離れて行って、寂しくて、でもほっとした。もうこれ以上一緒にいちゃだめだって思った。オレが初めに置いて行ったのに、勝手に引き寄せて、また突き離して、ひどいよね」
問いかけられて暁斗は必死に首を振った。
「置いて行かれたのは、嫌だった。でも、置いて行かないでってもっとちゃんと伝えればよかった。そしたら、兄さんをずっと苦しませずにすんだかもしれなかった」
「ううん、そんなことないよ。暁もだけど、オレも頑固だから。知ってるでしょ、暁」
「……うん」
「オレね、こわかった。暁なしで生きていけなくなることが。暁が、オレなしで生きていけなくなることが。オレが暁を大事にしすぎて、過保護で、他をみせなくて、暁がどんどんオレばっかりになって。自分でそうしてしまったことがこわくなった。もう遅かったのに。暁を傷付けてそれでも手放しきれなかった。暁には暁の人生があって、オレと一緒じゃなければ違う未来があるかもしれない、それなのに、オレの汚い欲で暁の可能性を潰してしまうことがこわかった」
「兄さんの気持ちは汚くなんてない。ずっと、兄さんは俺のことを一番大事にしてくれただろ」
「……うん、そうだね。暁のこと、本当に放っておくなんてオレには無理だった。それでもどうにか離れようって思った。でも、本当は晴之くんに暁のことをとられるって嫌で嫌でしかたがなくて、悔しくて、暁が晴之くんのことを好きになったらどうしようって気が気じゃなかった」
「そんなこと考えてたの?」
「そうだよ。暁は知らないと思うけど、オレめちゃくちゃ嫉妬深いから。生放送で頬にキスした時、ぶん殴ってやりたかった」
「……そ、うなんだ」
まさか夕陽の口からぶん殴りたい、なんて言葉が出てくる日が来るとは思わなかった。晴之が話していた〝すげー顔してた〟は本当だったのかもしれない。
「でも、晴之くんは優しいんだろうなってわかってたから。暁をとらないで、なんて言えなかった。彼の隣にいる暁はいつも幸せそうに笑ってて、悔しかったけど同時にほっとした。楽屋で宣戦布告された時、あーもうだめだなって思った。諦めようって。オレじゃ暁を幸せにできるわけないって」
「そんな……」
「そんなこと、暁が決めるのにね」
「っ……」
言おうとした言葉をそのまま言われ、どくんっと心臓が跳ねる。夕陽の表情がころころ変わる。もともと変わりやすい人だけど、今日は初めて見る顔ばかりだ。
夕陽は暁斗の手をぎゅっと握る。そしてもう一度「ごめん」と言った。
「暁、ずっと傷つけてばかりでごめん。置いて行ってごめん。突き離してごめん。一人でいいなんて言わせてごめん」
「もう、いいよ」
「よくないよ。オレ、今日思い知ったんだ。たとえ隣に立つのがオレじゃなくても、暁を幸せにするのはオレじゃないといやだって。もう、誰にも暁をとられたくない、暁が倒れかけた時、手を伸ばすのはオレがいい。兄弟なのにおかしいって言われても、親不孝でも、もう、暁なしじゃ生きられない」
「……兄さん……」
何度も、何年も答えに辿り着くまで夕陽は悩み続けたのだろう。暁斗が夕陽への想いに気付いたのは最近の話だ。でも、夕陽はずっと一人で抱え込んで隠して、苦しんでいた。同じなのだとそう思う。
「兄さん、俺はなにがあってもずっと兄さんのそばにいたいよ」
いくつになっても、どこにいても、兄弟だということには変わりはない。
お兄ちゃんなのだから弟のことを護らなければいけない、そうやっていつも責任を背負っていたのだろう。でも、頼りないと思われても、俺だって兄さんのことを護りたいとずっと思っていた。
「たった一人の大好きな人のそばにいさせてほしい、それだけなんだよ」
「暁……」
「俺だって、もう兄さんなしじゃ生きられない。兄さんとずっといたいよ。誰にも隣を譲りたくない。本当は、駿也さんにだって、ずっと嫉妬してる。悔しくてたまらないよ。駿也さんが兄さんの家にいるって知った時、うらやましくてしょうがなかった」
「……あれは、ごめん……オレが暁にさみしいって言えなくて」
「ほんとだよ」
暁斗が唇を尖らせると夕陽は苦笑して、でもすぐに夕陽も同じように唇を尖らせた。
「でも、オレだって晴之くんと一緒に暮らしてるって聞いた時、嫉妬でおかしくなりそうだった」
「あ、れは……だって、気まずくて……俺も自覚したばっかりだったし」
「……うん、わかってる」
夕陽はへにゃりと眉尻をさげて「ごめんね」と暁斗の手をぎゅっと握った。暁斗も夕陽の手を握り「ごめん」と返した。
「ねえ、暁、またいつかオレの家に戻っておいでよ」
「……兄さんがここに帰ってくるんじゃなくて……?」
一緒にいられるなら暁斗はどこだってかまわない。でも夕陽は違う。
「うん、だって……ここで暁に何かしたら、オレ、母さんに顔向けできなくなる」
「っ……」
夕陽の言葉の意味を想像して、暁斗は頬を赤くする。
「なにかって」
「するよ。もう、がまんできると思えない。本当は今すぐにでもしたいぐらい。でも、しないよ。ちゃんと待つから」
「……うん」
「でもね、この気持ちは母さんにも、父さんにも言わない。言って傷つけるぐらいなら、オレは死ぬまで秘密にする。暁も、そうじゃない?」
「……それは、うん」
暁斗も両親に告げるつもりなど始めからない。大事に育てて愛してくれた人を傷つけてまで告げなくてもいい。
「だよね。でも、暁と一緒にいたいってことはきちんと話すよ」
「うん」
夕陽が一緒にいたいと言ってくれるなら、どんな形でも暁斗は頷くだけだ。
「それで、一緒に暮らし始めたらいっぱい暁に触れさせて」
「っ……そ、んな……」
また話を蒸し返されて頬だけでなく耳まで熱くなる。夕陽の瞳がまっすぐ見つめてくるから逃げられない。
「触れたいっていうのは暁も同じだよね?」
「っ……」
ベッドの下に座ったまま夕陽はじっと見上げてくる。握られた手のひらが熱い。
「……お、なじ……だよ」
「よかった。……ごめん、一緒に暮らしてからって言ったけど、それまでは待てないからまた今度、オレの家にきて」
「え……」
「それまでは待つから」
それは果たして待つというのか。顔中熱くてもう考えられない。
「だめ?」
「だめ、じゃないけど……」
「けど……?」
「そんなの、考えただけで、はずかしいよ」
「暁はオレのセックス想像してオナニーしたのに?」
「ッ……兄さん!」
「ふふ、ごめん」
どん、っと胸を叩くと夕陽は笑って暁斗を抱き寄せた。
こんなの俺が知ってる兄さんじゃない。そう思うのに、心臓が早鐘を打ったようにどくんどくんと激しく脈打って止まらない。夕陽に触れられた場所が熱い。
「ねえ、暁」
「……なに」
「ごめんね、ずっと、一人にさせて、ごめん。オレのこと、好きでいてくれてありがとう。大好きだよ、暁」
「っ……」
ぎゅうっと強く抱きしめられて、体も心の奥も苦しくて、また涙が溢れた。
「俺だって、大好きだよ、お兄ちゃん」
夕陽がはっと息を飲む。痛いほどに強く、抱きしめられた。
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