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 翌週、プレゼントをくれた女の子に連絡をとり、返事を告げた。結果的に断ったのに、彼女は「ちゃんと返事をくれてありがとう」と笑っていた。 「え、友達になったの……?」 「うん」  大晦日の特番を眺めながら夕陽が目を見開いて尋ねてくる。  友達になったのは告白をしてきた彼女のことだ。恋人になるのが難しいなら友達になってほしい、と言われ暁斗は悩まずいいよ、と答えた。 「へー……女の子って強いね」 「友達になっちゃだめだった?」 「だめじゃないけど、暁も変わってるね」 「……そうかな?べつにたいしたことないと思うけど」  暁斗が答えると夕陽は「オレには無理だ」と苦笑した。小学生と高校生では事情が違うのだろう。それに夕陽は今はやめてしまったものの元芸能人だ。きっと暁斗よりたくさん気を遣わなければいけない。そう思ってあまり気にしないことにした。 「兄さん、俺に彼女ができなくてほっとした?」 「…………え?」  夕陽はさみしがりの重度のブラコンだ。きっとそうに違いないと尋ねると先程よりもっと大きく目を見開き、黙ってしまった。 「兄さん?図星……?ふふ、兄さんさみしんぼだもんね。大丈夫だよ、俺は恋人なんていらないから」 「……えっと……うん……そう、だね」  心なしか夕陽の頬が赤い。気まずそうに眉尻をさげて視線をそらされてしまった。照れてる?  初めて見る表情にそわそわして、どきどきして、もっとよく見たい、と顔を覗き込むと「こら」と肩を押し返された。 「暁、いじわるしないで」 「いじわる……?なにが?」 「……もう、暁はずるいよ」 「ん?」  きょとん、と見つめ返すと夕陽はふにゃりと顔をとろけさせて囁いた。 「オレも、恋人はいらないよ」  だから、安心して。そう言われているような気がして今度は暁斗の頬が赤くなった。  でも、心がぐらぐらと揺れたのはその言葉よりも夕陽が見せた笑顔の奥に何か違うものがあるような気がしたから。  それがなんなのかはわからなくて、でも聞くこともできなくて、気のせいであってほしいと願った。    ◇◇◇  夕陽が大学入学を機に家を出ると言い始めたのは翌年の夏の暮れのことだった。  年明けから夕陽は予備高に通い始め、本格的に受験勉強を始めていた。夕陽が芸能活動をしていた時ほどではないものの、一緒に過ごす時間が少なくなり、なんだかまた遠くにいってしまったような気がしていた。でも本当に遠くに行ってしまうとは想像していなかった。 「なんで?家から通えばいいじゃん」  二人でいつかのように肩を並べて夜明けの空を眺めている時だった。夕陽は「ごめんね、暁」と眉尻を下げる。 「いつかは一人にならないといけないって思ってたんだ」 「っ……なんで……」 「ずっと、暁のことも母さんのことも、オレが守らないとって思ってた。でも、ずっと甘えてたのはオレの方だった。オレが近くにいることで迷惑をかけることだってあった。だから、一度離れようって決めたんだ」 「迷惑なんて、思ったことないよ」  芸能活動をしていた時ならまだしも、夕陽はもうただの学生だ。確かに未だに夕陽のことで話しかけられることは時々あるし、夕陽が街中で声をかけられることもある。でも以前のように嫌な思いをすることはなかった。 「兄さんと一緒にいたいのに、兄さんは違うの?」 「暁……オレだって暁のそばにいたいよ。でも、今のままじゃだめなんだ」 「そばにいたいならいればいいよっ、俺は何も困ってない。なんで離れなくちゃいけないの?兄さんはいつも自分一人で決めて、勝手すぎるよっ!」  言い放ってから、言いすぎた、と思った。でも、もうあともどりはできない。夕陽は悲しそうにこちらを見つめ返していた。 「暁、ごめん」  夕陽の声に、いつかの情景が頭を過る。血まみれの掌、涙を流す夕陽、何度も、なんども謝る声。  夕陽には夕陽の人生がある。自分で決めて、前に進む権利がある。それなのに、自分勝手だと決めつけて怒って。  自分勝手なのはどっちだ。いつまでも夕陽に甘えて困らせて。 「……ごめん、ひどいこと言った」 「暁……暁は悪くない」  またこうやって守られてばかり。そうか、だから置いて行かれるんだ。ようやく理解して夕陽の手をぎゅっと握った。 「わかった。兄さんの好きにして。一生お別れってわけじゃないのに、わがまま言ってごめん」 「暁……ありがとう」 「でも、兄さん」 「……なに?」  夕陽の自由を奪わない。夕陽の人生は夕陽に決めてもらう。でも、そのかわり、ずっと言えなかったことを伝えようと決めた。 「兄さんのやりたいこと、あきらめないで」 「え……?」 「本当は、みんなの前でもう一度歌いたいって、思ってるんだよね?」 「っ……」  握った夕陽の指先がわずかに震える。じっと見つめた瞳が朝日に照らされてゆらゆらと揺れている。  その瞳がテレビの中を見つめる時、ふっと光が灯って、次の瞬間影が落ちる、そんなことをもう何度も目にしてきた。 「兄さんの歌、大好きだよ。テレビの中で歌っている兄さんを見るとわくわくして、どきどきして、気づいたら笑ってた。兄さんの歌も、声も、笑顔もきらきらまぶしくて、ああ、やっぱり大好きだって何度も思った。だから、今すぐじゃなくてもいいから、また歌ってよ」  ああ、これじゃ結局また兄さんの自由を奪うことになる。  わかっているのに願わずにいられなかった、信じずにいられなかった。  大好きな人に大好きな場所で笑っていてほしい。子どもの頃に描いた夢が今もまだ色褪せない。  夕陽は暁斗が握った掌をぎゅっと握り返し微笑んだ。 「ほんと、暁には、かなわないな」 「兄さん……――っ」  夕陽の温もりが体を包んだ。ぎゅうっと抱きしめられ、夕陽の体から朝焼けのお日様の香りがする。 「暁、大好きだよ」 「っ……」  一人になろうとしているくせに、気持ちだけは置いていく。  ずるいのは兄さんの方だ。 「離れていても、ずっと一緒だよ」  嬉しいのに、悲しくて、さみしくて、涙があふれた。  どうして離れて行くのか、一人にさせてほしいのか、本当の理由はわからない。でも、引き留めても聞いてくれないのはわかっている。 「兄さんの、ばか」  聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいた。でも、夕陽はふっと笑って「うん」と暁斗の背中を撫でた。    ◇◇◇  春になり、夕陽は第一志望の大学に合格し、家を出た。  引っ越しの日はなんと言葉をかければいいのかわからなくて暁斗はずっと黙っていた。夕陽はぽんっと暁斗の頭を撫でて「夏休みには帰るから」と笑った。  夕陽はその言葉通り夏休みに帰ってきた。冬も、春も、長い休みは必ず帰ってきて暁斗が望まなくても一緒に出かけた。  そして大学二年の春、夕陽は芸能活動を再開した。  今度はソロではなくユニットを組み、テレビの中で二人並んで歌を歌っていた。暗いニュースが一度世間を騒がせたのを忘れさせるように、二人はいくつもの温かくて幸せな歌を歌った。  ソロで活動している時の比ではないほどに夕陽の新しい居場所Vespro(ヴェスプロ)は世間に認知され、注目され、愛されていった。 『暁、元気?』 「元気だよ」  忙しい仕事の合間に夕陽は電話をかけてきた。夜も二十二時を過ぎていて「休んでる?」と問いかけると『大丈夫』と夕陽は微笑んだ。 『暁、暁がいたからオレはまた歌えるんだよ』 「そんなことないよ。兄さんは、兄さんの心で決めたんだ。俺は応援してる」 『ありがとう』  短い会話の中でも夕陽がどんなに暁斗のことを想っているのか伝わってくる。昔からそういう人だった。  嬉しかった。どんな形でもまた夕陽が歌を歌っている。夕陽の望む場所で、好きなように歌っている。  でも、歌えば歌うほどに夕陽は暁斗のもとへ帰ってくることが少なくなっていった。  迷惑をかけるかもしれない、傷つけるかもしれない、夕陽がそう思っていることなんてわかりきっていた。  最後に夕陽と会話をしたのは暁斗の十二歳の誕生日のことだった。電話越しに夕陽は告げた。 『暁斗、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。大好きだよ』  ありがとう、というのはこっちの方なのに。夕陽は自分自身の誕生日より暁斗の誕生日の方がずっと幸せそうで、暁斗は無性に泣きたくなる。  ありがとう、がうまく声にならなかった。   ◇◇◇  会いたいな、話したいな、と心の中で思いながら、心に蓋をして、幾度も季節が巡り、暁斗は中学生になった。とくにやりたい部活動も見つからず、いつも早めに帰宅して母の家事を手伝っていた。もとから交友関係も浅く広い方で困ることはなかった。暁斗にとって今まで夕陽と過ごす時間が最優先事項だったからそれを失って頑張ろうと思えるのは勉強ぐらいだった。両親を困らせないようにきちんと高校と大学に進学して、就職して、その傍らで夕陽を応援する、そんな未来を思い描いていた。  夕陽はテレビの中で今もたくさんのファンに向けて歌を歌い笑顔を向ける。さみしがりやの兄さん、なんて思っていたのに、毎日顔を合わせられなくてさみしいと感じているのは暁斗の方だった。  たまにかかってくる電話でいつも夕陽は〝元気?〟と暁斗のことを一番に問うてくる。だから心配をかけないように〝大丈夫だよ〟と答えて学校のことや母のことを教えてあげる。夕陽も差しさわりのない程度に仕事のことを教えてくれた。  ライブに誘われることもあった。でも、送られてきたチケットを使う日は来なかった。机の引き出しにしまいこんだまま時が流れていく。夕陽は待っていてくれているのだろうに。わかっていても上手に笑って応援できる気がしなかった。  季節が通り過ぎて行き、暁斗は高校生になった。  夕陽と同じ高校に進学し、夕陽からも〝入学おめでとう〟と書かれた手紙と時計が贈られてきた。中学校の卒業式にも高校の入学式にも〝行きたい〟なんて言う夕陽に絶対に来ないでと念を押して、過保護なのは相変わらずなのかな、と苦笑しながら内心すこし嬉しかった。  どれだけ月日が流れても夕陽はいつも優しい兄さんだったし、離れていても大丈夫だと安堵もした。  このまま変わらないでいいと、そう思っていた。そんな頃の話だ。  時計のお礼に何か贈りたいな、と思って出かけた春休みの昼下がり、「すみません」と声をかけられた。振り向くと、濃紺のスーツに丸い眼鏡、子犬みたいな人懐っこい笑みの男が立っていた。子犬みたい、と言っても歳は三十そこそこだろうか。失礼なことを考えてしまったな、と暁斗は返事をするのが遅れた。 「今、すこしよろしいですか?」 「……えっと……」 「私、芸能プロダクション・ラプアールの砂岡と申します」  芸能プロダクション、と頭の中で繰り返し、本当に自分に声をかけられたのかときょろきょろ周りを見渡したが皆気にせず通り過ぎていく。間違いなく自分に声をかけてきたのだと自覚して暁斗はもう一度名刺を見た。  名刺には〝la poire〟と書かれていた。何語だろうか。 「ああ、芸能事務所としてはまだあまり知られてはいないですよね。怪しいものだと思われても仕方がないと思います。一応他の事業としてイヤホンやヘッドフォン、それからカメラ周辺機器の製造や販売もしているんですよ」 「そう、ですか。えっと、スカウトってやつですか?」 「はい、お察し頂いてありがとうございます」 「でも、どうして俺に……?」  まさか俺に、という気持ちはあったが、夕陽のことがあったからもしかしたら、とも思った。でも、返って来たのは予想外の答えだった。 「もちろん、私があなたに素質を感じてのことではありますが、実は……あそこにいる彼が、どうしてもあなたがいい、と聞かなくて」 「え……?」  あそこ、と指さした小型の車の中からキャップを目深に被った大柄の男がこちらに向かって歩いてくる。優に百八十センチは越えているだろう。真っ黒なキャップの下に派手な金髪が見える。黒のカットソーにグレイのロングカーディガン、細めのジーンズにロングブーツ。シンプルな出で立ちな分スタイルの良さが際立っている。  砂岡はまさか彼が出てくると思わなかったのか「待っててくださいって言ったのに」と慌てている。 「だって、やっぱり直接俺が会った方が早いじゃん」 「そうは言っても、順序というものがありまして」 「まーまー、固いこと言うなって」 「……えっと……?」  戸惑っている間にもその男はどんどん距離を詰めてくる。帽子のつばをくいっと上げてサングラスを外すと男はにっと笑った。かっこつけてんな、と思っても、鬱陶しくないほどに顔が整っていて暁斗はしばらく呆けてしまった。 「君、名前なんつーの?」 「……暁斗、です」  思わず答えてしまった。 「俺は晴之(はるゆき)、モデルやってんだけど、知らない?」 「……いえ」 「ほんと?俺もまだまだだな。でも、ま、いいや。実は俺、これからアイドルも兼業する予定なんだけど、暁斗も一緒にやらない?」 「は……?え……?」  初対面で呼び捨て、馴れ馴れしい口調、年上だろうということはわかっても、少なからず不快感はある。でも、すぐにいやです、と言えない強さが晴之にはあった。 「すみません、突然戸惑わせてしまって。もしお時間が許すのであれば、事務所の方で一度お話をさせて頂けませんか?」 「あー……」  砂岡が申し訳なさそうに頭を下げる。でも、話を聞いてもらうことはこちらも諦めていないらしい。  〝アイドル〟という言葉にすぐ夕陽の顔が頭を過った。きらきらしたあの世界を、それをとりまく様々な声を。つらい出来事を。そして、それを乗り越えてまたあの場所にいる兄のことを思い浮かべた。  その一瞬のためらいを晴之は見逃さなかった。 「いいだろ?」  差し出された大きな手を取ることはしなかった。でも、暁斗は頷いていた。 「ひとまず、話を聞きます」 「ありがとうございます!よろしくお願いします!」  砂岡は大仰なほどに頭を深々と下げた。ただの学生である自分にそこまでする彼も、満足気に笑っている晴之も、悪い人じゃない、という気がする。  そんなこと言ったら、兄さんに警戒心がないって怒られるかな、と暁斗は苦笑した。
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