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事務所の会議室に通され、腰を落ち着けてからすぐに暁斗はすぐに問いかけた。
「Vesproの夕陽、ってご存知ですよね」
「え?ああ、それはもちろん」
「俺は……夕陽の弟なので」
「えっ……気づきませんでした」
「しょうがないです。あまり似てないって言われるので」
まさかな、とも思っていたし、やっぱりか、とも思った。砂岡の隣に座っていた晴之が「言われてみれば鼻とか唇の形、似てるな」とまじまじ顔を見つめてくる。晴之も知らずに暁斗が良いと思ったということだ。
似ていない、と言われるのは今に始まった話ではないし今更がっかりしない。むしろ、暁斗そのものを見て声をかけてくれたことは正直なところ嬉しかった。
「まあ、いずれにせよ俺の勘は間違っちゃいなかったってことだろ?」
「その言い方は失礼ですよ、晴之くん」
「そう?ごめん。でも悪いことじゃないよな。兄弟そろって顔がいいって最高じゃん。それに、俺は夕陽より暁斗の顔の方が好き」
「晴之くんっ!」
好き勝手に話す晴之に砂岡がたまらずと言った様子で窘める。
「はは、面白い人ですね。あなたみたいなかっこいい人に褒めてもらえて照れくさいけど、嬉しいです」
「お、いい子。やっぱ好き、気に入った。で、俺とアイドルする気ある?」
ぐいぐい迫る晴之に砂岡が苦笑しながら言葉を足す。
「今回、晴之くんともう一人でアイドルユニットを売り出すことになりまして、オーディションをするかという話もあったんですが、晴之くんがどうしても自分で選ぶって聞かなくて……」
砂岡が眉尻をさげて晴之をちらっと見る。晴之はひとつもわがままだなんて思っていませんという様子で笑顔を崩さない。
あはは、と砂岡が漏らした苦笑に暁斗もつられて苦笑する。
「まあ、うちとしてはそれで良い人材が見つかるなら構わなかったですし、彼のモチベーションにも関わることなのでひとまずはスカウトで探そうと思い、あなたに声をかけました」
「そうだったんですか」
「いかがですか?」
「俺は……兄さんほどは歌もうまくないし、自分に素質があるのかもわかりません。でも、一番心配なのは、兄さんに迷惑をかけるんじゃないかってことで、それだけは嫌なんです」
ずっと危惧していたのはそこだった。芸能界に足を踏み入れるということは夕陽に近づくということだ。それ自体は嬉しいけれど、ただ楽しいだけの場所ではないことは知っている。世間の目に晒されて、夕陽の心が疲れていったことも、過去に起こったことも忘れられない。夕陽だけではなく自分までもがアイドルになって、両親にも心配をかけないか、とも思った。
様々な不安が頭の中をぐるぐると渦巻く中で「ふうん?」と晴之の声が届く。
「迷惑、ねえ」
「……」
暁斗が視線を上げると晴之の真剣な顔がそこにはあった。
「君は一度でもアイドルになりたいって思ったことはないのか?」
「え……?」
「俺がアイドルにならないかって言った時、その瞳がきらきらしてんの、見てんだよ」
「っ……」
一瞬のためらいの中に、晴之が見出したもの。心の中にしまいこんで、ずっと隠していたもの。それを晴之は引き摺りだそうとする。
「暁斗、兄ちゃん憧れてんだろ?だったら、自分もアイドルになって追いつきたいって思ったこと、あるんじゃないのか?」
うん、とも、違う、とも声には出せなかった。でも、晴之は暁斗の心を見抜いている。本気なのだと伝わってくる。本気で暁斗と仕事をしたいと思っているから、ここまで言ってくるのだろう。
「さっきの言い方からすれば、音痴ってわけでもないんだろ。ぱっと見てみれば体もそこそこ鍛えてんのはわかる。違うか?」
「……一応、毎日走り込みはしてます」
「やっぱり」
晴之は顎に手を当ててにんまりと嬉しそうにする。
「いずれにせよ暁斗くんは未成年で、ご両親の承諾も必要ですから、一度お家に帰ってよく考えてみてください。いいお返事をお待ちしています」
「……はい」
最後に資料を渡され、暁斗は事務所を後にした。
ほんの短い時間だったのに、なんだか夢の話のようで実感がまったくわかない。でも、確かに手の中には砂岡から渡された名刺と資料があり、心の中には晴之に言われた言葉が残っている。
帰宅して母に今日会ったことを告げられないまま、暁斗は部屋のベッドの上でぼんやりと天井を眺めていた。
「そうだ、プレゼント」
本来今日出かけた目的は夕陽へのお礼のものを買うためで、すっかり忘れていたことに気付いた。
遅くなればなるほど渡しづらくなる、それならせめて言葉だけでも伝えなければ、と暁斗は夕陽に〝卒業と入学祝いありがとう〟とメッセージを送った。すると、数分も経たないうちに夕陽から電話がかかってきた。
『あ、暁斗、久しぶり』
暁って呼んでくれないんだな、とそんな些細なことに落胆して、ためらいがちに「久しぶり」と返した。
『今電話しても大丈夫だった?』
「兄さんこそ。忙しいんだろ」
『今は大丈夫。もう家』
「そうなんだ」
穏やかな夕陽の声が懐かしかった。前回話したのはいつのことだったか。
『元気にしてる?暁斗』
「うん、兄さんこそ」
『オレは元気だよ。仕事も忙しいけど、いっぱい寝てるし、いっぱい食べてる』
「スタイル維持しなきゃなのに、いいの?」
『もう、暁斗までマネージャーみたいなこと言う』
「はは、ごめん」
本当は夕陽が自分に厳しいことなんてわかっている。
「兄さん、時計ありがとう」
やっと、きちんとお礼が言えた。
『ああ、いいんだよ、お祝いだから。気に入った?』
「うん、使ってる。今度お礼させて」
『いいのに、でも嬉しい』
くすぐったそうに夕陽が笑う。今どんな顔をしているだろう。頭の中に夕陽の笑顔を思い浮かべて、きゅ、と心の奥が苦しくなる。
『暁斗、なにかあった?』
「え……?」
『そんな声、してるから』
なにも言葉にしなくても、昔から夕陽にはなんでも見抜かれてしまう。お兄ちゃんだから、と夕陽は言うけれど、夕陽が暁斗のことを大事に想っているから気づいてくれるのだろう。
「兄さん、俺、スカウトされたんだ」
『え……?』
「芸能事務所の人、あと、一緒にいたモデルやってる晴之って人に誘われた。兄さん、知ってる?ラプアールってとこの……」
『……知ってる』
晴之は苦笑していたが、やっぱりそれなりに有名な人らしい。暁斗の世界は夕陽を中心に回っていて、テレビを眺めてもいつも目で追うのは夕陽ばかりだった。他のものなんて頭に入って来ない。でも、夕陽は違うのだろう。
「会ったことある?」
『いや、それはない。ただ、同じ雑誌に載ったことがあるし、昔モデルやってた頃から人気のある人だったから』
「そうなんだ。全然知らなかった」
『ふふ、暁斗はほんとにオレのこと以外興味ないよね。嬉しいけど』
「……そんな……ことは、……あるけど」
『はは、可愛いね、暁』
「っ……」
こんな時ばかり、昔みたいに呼んで。ずるい。
「兄さんは、仕事楽しい?」
『楽しいよ。一緒にやってる駿也も相性がいいし。周りの人も支えてくれる』
「そっか」
夕陽が楽しく仕事をしていることは画面越しでも伝わってくる。きらきらした世界の中で、夕陽もまた昔よりもずっときらきら輝いている。
「兄さんは、ずっと俺の憧れだった。兄さんの歌を聞いていると元気が出たし、兄さんが笑っているのを見たら、俺も楽しくなった。離れていてもそばにいてくれているような、そんな気がする。アイドルってすごいなってずっと思ってるよ」
幼い頃からずっと憧れていた。たくさんの幸せを教えてくれた、与えてくれた夕陽のこと。そして、同じぐらい願っていた。
「兄さん、俺も、兄さんと同じようになれるかな?」
憧れだった、夢だった。現実としてほら、と目の前に差し出されて、手を差し伸べたくなった。もちろん不安がなくなったわけではない。でも、それ以上に手を伸ばしたいという気持ちが膨らんでいる。
『暁斗、それ、相談じゃないよね』
ああ、きっと今兄さんは苦笑いしているんだろう、とわかる。
「……うん、ごめん、もう決めてる」
――自分もアイドルになって追いつきたいって思ったこと、あるんじゃないのか?
ずっと頭の中に残って離れない晴之の言葉。心の奥底に潜めていた想い。
「兄さんと、同じところに行きたい」
言葉にすると自分がそれをどれだけ望んでいたのかがわかる。
「兄さんにも、母さんにも、父さんにも、迷惑がかかるかもってわかってる。でも、わがままを通したいって思うんだ」
『わがままなんて、思ってないよ』
夕陽はため息をついた。でも、悲しそうでも、苦しそうでもない。
『心配じゃないって言ったら嘘になる。でも、この仕事が心から楽しいのはオレが一番よくわかってる。暁斗がずっとアイドルに憧れていたことも知ってる。それに、今なら暁斗のことを守れると思う。だから、おいで、暁』
「うん」
護ってもらうことを前提にして、そばにいきたいと思っているわけじゃない。でも、夕陽に認められて同じ場所に立つことができるのだと思うとただただ嬉しかった。
夢が叶う。いつしか遠い存在になっていたような気がする夕陽と少しずつ近づくことができる。
「ありがとう、兄さん」
背中を押してくれるのは、いつだって夕陽だ。
俺も兄さんの背中を押せる人になりたい。笑顔にしたい。
そう強く願った。
◇◇◇
両親にも仕事のことを伝えて認めてもらい、暁斗は砂岡に連絡を入れた。そこからデビューまで、学校とレッスンと撮影と、時間があっという間に過ぎて行った。
兄さんのそばにいきたい、そう思って踏み出したことだ。でもすぐ同じ場所に立てるわけではない。
もどかしさを感じながら、ただ努力するしかなかった。
夕陽と同じところへ向かおうとすることで、夕陽のことがわかるような気がしていた。
でも、夕陽が家を出たあの頃、何を考えていたかわかる日は来なかった。
そばにいたいと思っているのは結局自分だけなのか。さみしいと感じているのも、また一緒に暮らしたいと思っているのも、俺だけ?
ねえ、兄さん、どうして置いて行ったの?
その一言が聞きだせないまま、夕陽の面影を追いかけて、探して、暁斗は心を歌に乗せた。
夕陽は家に戻ってこない。それでも、暁斗が新しい曲を歌うたび、必ずメッセージを送ってきた。
――『暁斗、デビュー曲聴いたよ。暁斗の歌声、久しぶりに聴いた。二人の声の相性が想像よりずっとよくて、驚いた。なんども聴くね』
デビューして、初めて出演した音楽番組が放映された夜のことだ。正直緊張していた。でも、とても楽しかった。晴之には「やるじゃん」と褒められて、ほっとして、その上夕陽にも認められて、浮かれていた。
――『暁斗、新曲のバラード、サビのところすごく好きだな。ぽんぽんぽんって高くなるとこ、いいよね。ライブで聴いたら楽しそう』
初めてのライブをするすこし前のことだ。『ライブ行っていい?』とも聞かれて『照れくさいから来なくていい』と断った。まだ全然追いついていない。それどころか並んですらいない。夕陽はずっと前を進んでいて、とても自分からライブに来て、なんて言えなかった。
夕陽にひとつひとつ丁寧に感想をもらって嬉しかった。離れていても、どんなに忙しくても夕陽は暁斗のことを見ている。
暁斗も夕陽のことをいつも見ていた。新曲も毎回発売日にすぐに聴いて、出演しているテレビ番組も録画して、夕陽の姿を追いかけた。でも、夕陽が送ってくるような言葉を同じように送ることはできなかった。昔は素直に感想も伝えられたのに、どんどん夕陽にかけられる言葉が少なくなっていく。
帰ってきて、なんて、言えるわけもなく。言えない言葉がどんどん積り重なっていく。
夕陽がきっかけで始めた仕事だった。でも、歌う、踊る、ファンに触れる、仕事そのものがどんどん楽しくなっていったから、夢中でもがいているその瞬間は、仕事に没頭できた。言えない言葉は歌にして昇華する。
いつかまた、未来を想い描いて歌い続けていた。
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