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エピローグ
『先輩、時間です』
ワタシは、ご主人様の傍らに佇んだまま虚空を見つめる、二代目守護霊の先輩に声を掛けてみた。
『承知しました』
返事は淡々としたものだ。
ワタシのご主人様は〈中原小夜〉という名前の少女で、朝早くから近くの総合体育館にやってきている。
別に自分が剣道をするわけでもないのに、友人の大会を見に来たようだ。
まだ薄暗くて肌寒い時間帯。体育館すらも開いていないにも関わらず、制服にコートを羽織った小夜は、傍らにいる誰かと話しこんでいるらしい。
「わざわざこんな時間から来なくても、良かったんですよ?」
「ちょうど早起き出来たからいいの。それに試合の前に会っておきたかったし」
小夜の言葉に、新島と呼ばれた少女は呆れながらも、嬉しそうな顔をしていた。
「琴理も、昼から来るって」
「げ、巣郷もですか……」
苦い顔をする新島に、小夜はケタケタと笑っている。
やれやれ、このご主人は奔放な少女のようだ。ワタシも気を引き締めなければついていくのは大変に違いない。
まあ考え物といえばそうだが、ご主人が元気なのは何よりも良いことだ。
こちらも嬉しくなる。
『やあやあ、お待たせしマシタ。さて、二代目守護霊から三代目守護霊への引継ぎを始めマショウ』
いつの間にか現れた監視者がそう言うと隣の先輩が頷いたので、ワタシも監視者に向き直った。
先輩はもはや小夜の方を一切見向きもせず、監視者のなすがままにされている。
五分と経たず、先輩は足元から砂のように崩れ始めた。
それらは、監視者の中へと吸い込まれ、消えていく。
そんな姿を、ワタシは何を思うわけでもなく、ぼんやりと見つめていた。
だが……あまりにも呆気ない気がして、ふと思ったことを先輩に訊ねてみる。
『先輩、守護って大変でしたか?』
先輩はワタシの言葉が耳に届くまで時間が掛かったらしく、一泊置いてからこちらに首を向けた。
『……いいえ、とても楽でしたよ。小夜は優秀な子ですので』
『そうですか』
優秀な子、ねぇ。
ワタシは考え込んでしまう。
そんな子に守護なんて必要なのだろうか。
だが、懐疑的な気持ちを抱くのは守護霊としていけないことだろう。
だから最後に、今どんな気持ちかを聞いてみたくなって顔を上げる。
そこで、ワタシは絶句してしまった。
『先輩、それ……』
『え』
先輩の左目から透明な液体が一筋、キラリと光りながら頬を伝っていたのだ。
『ああ、私ったら。また溢れてきたのですね』
先輩は何でもないことのように言う。
だが、守護霊が涙を流すなんてありえない。
『どうして……。いや、どうやって、涙を?』
『分かりません。……ですが、私はとうの昔に壊れてしまったようですので、気にしないでください』
『は、はあ……』
どうにも納得ができない。
だがこれ以上の詮索は危険だ。
ワタシたちの本懐は主人を守る事である。下手な興味を抱いて、厄介な感情に感染する訳にはいかない。
『ああ、でも最後に一つだけ言っておきたいことが』
先輩はそう言うと、一泊置いてから、半分滲んだ声で――。
『小夜を、よろしくお願いしますね』
は?
一瞬だけ生まれた、ライブラリの空白。
そんなワタシの返事を待たず、先輩は寂しげに笑って消えていった。
後に残されたのはワタシと、ひとまわり膨らんだ監視者だけだ。
言いたいことだけ言って去った先輩に、少しだけ不満が募る。
『そんなの当たり前だろうが……』
ヒト的に言えば、ちゃんと眠り方が分かりますか、くらいの基本的なことだ。
どうも馬鹿にされているような気がしてならない。
『よーし、終わりましたヨ! 引継ぎの情報は全て、アナタのライブラリに入れておきまシタ!』
『……どうも』
『どうかしまシタカ?』
『いえ、先輩が抱えていたバグが、体内に入り込んでいないか心配で』
『大丈夫デス。不要な感情は全て回収、消去しましたノデ』
それを聞いて少しだけ安心した。
主観的で感情的な記憶を引継いでしまって、自分が変わってしまうのは絶対に嫌だ。
というか、自分が自分で無くなる事を耐えられる存在なんて居るわけがない。
……おや、ワタシは何を考えているのだ?
『さてさて、改めてアナタの守護霊ライフ、スタートですヨ!』
平坦な声でそう言って、どこからか生やした小さな手で拍手をする監視者。ヒトの真似事だろうか。
滑稽に見えるのだが、一応相槌を打っておくことにした。
ちょうどその時、小夜が武道場の中へと移動するのが視界に入る。
『では、ワタシは行きます。ご主人様に遅れてはいけませんので』
『ええ。ですが、始まったばかりですので焦らず行きまショウ? ……所詮、我々は無意識なのですからネ』
『ん、何か言いましたか?』
『ああ、いえ。お気になさらズ』
歯切れの悪い返答。監視者にしては珍しい。
それによく考えてみると、先輩が最後に見せた涙に、わざわざ確認するだけ無駄な「小夜をよろしく」発言。何かがおかしい。
だが、意味を考え出すとキリがない。
そんなこと、別にどうでもいいことなのだと思い直して頭を振るう。
ワタシは、周りの些細なことに気を散らせてはいけない。
ワタシたち守護霊にとって一番大切なのは、どこまでいってもご主人の“幸せ”それだけなのだから。
(完)
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