2.一人じゃ何もできないくせに

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「いやいや、別にいいんだけど、今覚えてね!」  小夜に話しかけてきた少女――桐生は、小夜がびくびくとしているのも特に気せず、笑いかけてきました。  胸元では、〝桐生麻美(きりゅうあさみ)〟という名札が華やかに輝いています。  よく見てみると、花やハートの光沢を帯びたシールが、所狭しと貼り付けられているのでした。  小夜は最初、桐生をちらちらと見ながら俯くだけでした。  次第に顔を上げると、ぼそぼそと蚊の鳴くような声で「はい」と返事をします。 「はい、って……中原さん真面目だねー」  桐生がそう茶化し、背後で取り巻きの女子たちが笑い出しました。  たちまち、小夜の頬は赤く染まっていきます。 「い、いやそういうわけじゃ……」 「ねえねえ、お話ししよう?」  犬を思わせる桐生のつぶらな瞳が、人懐こそうに弧を描きました。 「……うん」  ぎこちない、はにかむような、小さな小さな笑み。私は初めて小夜が他人に笑い返すのを見たような、そんな感覚に陥りました。  胸元がほんの少しだけ疼きます。  ライブラリに眠る記憶の欠片が、何かを訴えているのでしょうか。 『これは……?』  小夜はこれまで、誰かに話しかけられても曖昧な返事ばかりでした。  前のクラスではそんな小夜を気味悪がって、近付きたがらない男子の姿も散見されています。  私は小夜のそれを本能的な防衛行動だと認識していましたが……。 『どうして小夜は、桐生という少女にだけ笑い返したのでしょうか』  もっと早くからそうしていれば、この小学校という群れで浮くようなことは無かったでしょうに。 『これが成長ですヨ』  監視者が私の肩で明滅しています。  どうしてそんなに楽しそうなんでしょう? 『……そういう、ものなのですか』  随分と唐突に、脈絡もないのですね。 『成長のタイミングは個体差があるものデス』 『あの桐生という人が、小夜の本能的に有益だと感じられたのでしょうか』 『……本能とは面白い表現デス。まあいいじゃありませんか。友達が出来るのは、一般的なヒトにとっては喜ばしいことなんですカラ』 『友達……』  これが? 『おそらく、ですがネ。友達を装うヒト種も存在しますから一概には言えませんケド。……そこは高いコミュニケーション能力ゆえの弊害ってところで、また一興』  納得できませんが、とりあえず頷きます。  ちょうど、小夜が口元を緩めるのが見えました。  切りそろえられた前髪から、猫のような瞳が遠慮しがちに覗いています。  興味、関心、恐怖、焦燥、期待。  これまでの無関心な表情とは一線を画すはにかみ、ほんのり桜色に染まった頬。これは何かを偽っているのではないと分かります。  純粋に、声を掛けられたことを喜んでいるのではないでしょうか。  大きな、小夜としてはとても大きな心境の変化。私にとっても当然喜びです。  喜びなのですが……なんで今? 『小夜の心を見てみたいですね』 『分からないでもないですが、それはアナタの管轄外ですネ。推して知るべしデス』 『……分かっていますよ。言ってみただけです』  引っかかる物言いに、私もとりあえず合わせておきました。  今まで小夜が何を求めているのかを考えて観察し、積み上げてきた前提が一気に崩れてしまいました。  文字通り足場を無くして宙ぶらりんな感触です。 『要は、寂しいから友達を作りたかっただけなんですか』  寂しいという感情は、兄への態度で確かに理解できるのですが。 『そうイライラしてはいけませんヨ。この年代のヒト種は、みなこういうものデス』  今まで小夜の望みは他者の拒絶にあるものだ、と思っていたのですが。 『なんだか……』  単純ですね、という言葉は、口に出さないことにしました。  監視者がゆらりと揺れます。 『アナタはもっと、離れて観察するべきなのかも知れませんネ。距離感が近すぎて、感情移入しすぎたのが原因ですヨ』 『気を付けます』 「ねえ中原さんって、下の名前、小夜さんだったよね?」 「はい」 「それなら、さーちゃんって呼んでもいいかな?」  手元のふで箱をいじっていた小夜の動きが止まりました。  桐生をちらりと見て頬を染め、微かに頷きます。  そんな様子にけらけらと笑う桐生。赤くなりながらもはにかむ小夜。ちょっとだけいい感じ……と言えるのでしょうか。 『若いですネェ』  隣では、小夜を見ているのかも分からない監視者が、間延びした声で呟いていました。
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