2.一人じゃ何もできないくせに

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「小夜、食器持ってきてー」 「……はーい」  台所の相馬に呼ばれ、小夜は夕食のおわんを持てるだけ持っていきました。  今日も母親の帰りが遅く、家には二人だけ。時計の針は二十時を指しています。 「お、ありがとさん」 「ねえねえ、お兄ちゃん? またゲームやろうよ」  チンしたお皿に残っていたビニールを捨てながら、小夜からそんな発言が出てきます。 「ああ、オッケー。洗い物が済むまでに準備しておいて。おっと、宿題も忘れずに」 「う、後でやる」 「仕方ないなぁ」  高校三年になる相馬ですが、相変わらず小夜には甘いのでした。 『……これの、どこが恐怖心を抱いているのですか……?』  思わずため息が漏れてしまいます。  嬉しそうにテレビ周りのコードを掴む小夜の姿からは、兄を怖がる様子など微塵も感じられません。 『言動が、まったく一致しないですね』  やっと小夜の本心に触れられたかと思ったのですが……。  一体何を基準にして、小夜を守護すればいいのでしょう。 『別に、そこまで深く考えなくても良いのではないデスカ?』  ふいに私の頭の上で、ミニチュアサイズになった監視者が言いました。 『そうでしょうか。小夜がどうして実の母親や兄を怖がるのに至ったか、という問題を解明しなければ、私がすべきことが見えてきません』  監視者は姿形をヒト型やイヌ、ネコに変えては私の頭の上を行ったり来たりしています。 ……この存在は、他者の頭で何を遊んでいるのでしょう。 『今でも十分、なすべき仕事をこなせていますヨ。何が不満なのデスカ』  なすべき仕事……? 『ただ見守るだけの現状が、小夜の幸せに寄与しているようには感じられません』 『ご主人はあんなに楽しそうですヨ。むしろアナタは喜ぶべきデハ?』  ちょうど洗い物を終えた相馬がリビングにやってきて、小夜がゲーム機のコントローラーを手渡します。 「今日はこのステージね。今日こそ勝つから」 「おー、それはどうかな?」 『こうやって一緒に遊んでいる姿を見る限り、確かに恐怖とは無縁そうですがね……』  微笑ましい二人の後ろ姿を、私は目を細めながら眺めます。 『怖いという感情は、別に嫌悪感から来る感情ってだけでもないデショウ?』 『どういう意味ですか』 『客観的な視点が甘いですネ。要は気を遣っているのですヨ』  気を遣う? 『それはどういう意味でしょう?』 『畏怖、ですヨ』  イフ?  私は言葉の意味が分からず、ライブラリに検索をかけます。 『おそれ、かしこまることですか』 『そうデス。目上の立場にある相手を恐れるということですネ』 『目上、ですか。兄弟に使う言葉ではないようですが』 『知識の導入が悪いですネ。まあ、主人がアレなら守護霊も……デスカ』  今、何だか嫌なことを言われたような。 『……それってどういう?』 『まあ、いいではありまセンカ』 『いや、良くないですよ』 『気にしナイ、気にしナイ』  監視者はいつもの口調から頑なに戻らなくなりました。  こうなっては、こちらがいくら訊ねても聞き届けてはくれないでしょう。  それどころか、変な話を振られそうなのでやめておこうと思います。 『あ。そうデス、我々のあだ名、思いつきまシタ?』  ……結局、変な話題が飛んできてしまったのは遺憾ですが。  まあいいでしょう。 『ええ、まあ思いついてはいますよ』  既にあだ名の構成方法は分析済みです。  いつこの話題が飛んできても良いように、きちんとヒトの考え方に則して作成したので、抜かりはありません。 『本当デスカ。嬉しいですネ。それで、何と呼んでくれるのデス?』 『集合的無意識だから「シューちゃん」で』  そう私が告げた瞬間、明らかに監視者の体色が薄くなりました。  漆黒の霊体が、今にも消え入りそうなくらい灰色になります。  どうかしたのでしょうか。 『アナタ、今適当に決めたでショウ』 『いいえまさか。小夜のお友達を参考にさせてもらったのですよ』  私は意気揚々と告げます。 『監視者の「カンちゃん」と悩みましたが、役職をもじるのはルールに反するので止めました。「シュー」だと「ちゃん」に繋がる発音もスムーズですから!』  どうでしょう。  ルールに則った完璧な命名ではないでしょうか。  桐生という少女のおかげで、個体認識名や番号、種族名のどれかをもじればいい事は学習済みです。   珍しく、私のライブラリにはモヤ一つありません。  私は胸を張りました。……が。 『やはり分かってないのですネ。ハァ。もう少しセンスのあるものを期待したのデスガ』 『センス……ですか?』  予想と違う反応。あまり気に入っていない様子の監視者に、私は首を傾げました。  すると眼前に、名実ともに白けた監視者が迫ってきます。 『例えばイヌっころに「ハチ公」とか、ネコどもに「タマ」って付けたりトカ……。そういう名前があるでショウ⁉』 『……それらの名前のどこに、イヌやネコの要素があるんでしょうか?』  理解できません。どう考えても、命名パターンに合致していません。 『おかしくないですか』と言ってから、ふと、思い当たる節があるのに気が付きました。 そういえば、小夜に会う前に監視者からもらった知識の中で、日本という地域に住む人間たちはそんな名前のパターンを多用していたような気がします。  ですが、私にその〝センス〟とやらが無いということは納得できません。  私の周りを鬱陶しく飛び回った監視者は、はあ、と大きなため息をつきました。 『アナタには高度すぎるお話でしたネ。もういいデス』 『それはどういう意味ですか⁉』  消えていった監視者は、私の問いに答えてはくれませんでした。  問題を与えるだけ与えてから、自己満足して去ってしまう。  現れる時もいきなりで、消えるのも唐突。それなのに指摘はいつも的確で侮れないという、とても扱いにくい存在。 「ああ、また負けた!」 「小夜、弱いなぁ」 「もう一回、もう一回やるよ!」 「はいはい」  目の前では、小夜がコントローラーを握りしめて、相馬に再戦の申し込みをしていました。 『あらあら。そんなに熱くなっちゃって』  対する相馬は余裕の表情。「ちょっと麦茶取ってくる」と言いながら立ち上がる相馬を尻目に、小夜は食い入るように画面と睨めっこしています。  これでは、勝ち目は薄いでしょうね。 『やれやれ、困ったご主人様ですね』  力む小夜に余裕の相馬。まるで私と監視者のようです。  違うことがあるとすれば、監視者はあんな優しいまなざしをしないこと……でしょうか。  そこまで考えてため息をつき、腑に落ちたことが一つだけありました。  ヒト的に言うと、監視者みたいな存在を「上司」と呼ぶのでしょうね。
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