2.一人じゃ何もできないくせに

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 一週間、二週間、一か月と経っても、小夜が抱く〝イフの感情〟というものの正体を掴むに至りませんでした。  放課後、桐生たちの元へ向かおうと小夜が立ち上がると、例の小夜を笑っていた男子生徒――春日がやってきました。  何をしに来たのか、と私は身構えてしまいます。 「なんだ中原、もう帰るのか?」 「え⁉ う、うん。そうだけど……」  一瞬、春日が何かを言いかけたところで、後ろから声の大きな男子たちが集まってきました。 「春日ぁ! サッカー行くぞ」 「お、おう」 「って、お前、中原と喋ってんのか!?」  ふぅふぅとはやし立てる男子たち。小夜が縮こまるので、どうしたものかと思ったのですが、 「お前らうるせえよ。先行ってろ」  と春日が廊下の向こうまで追いやりました。 『おや?』  サッカークラブに所属する春日は、日焼けした顔でいかつい印象を持っていました。  そして、いつも小夜をバカにする印象も。  ところが、いつもと少し違う春日の様子に、小夜も面食らっているようです。  思いがけない組み合わせ。もしかしたら、小夜から何か本心を聞き出せるかもしれません。 「あのさ、中原――」 「さーちゃん、行こー」  廊下から聞こえた桐生の声に、小夜は弾かれたように頭を下げて走りだしました。 「待っ」  という春日の声も、あっという間に置き去りにしてしまいます。 『残念』  せっかく声を掛けてくれた春日に、随分とひどい対応です。  とはいえまあ、普段から小夜を笑っている罰だということにしておきましょう。  それでも私は何だかいたたまれなくなり、視界の端で小さくなった春日に会釈をしておきました。       ※※※ 「……でさ、ちょっと嫌なんだよねぇ」 「それな!」「分かるわぁ」  桐生の言葉に共感の声が降り積もる会話。相変わらずワイワイにぎやかなものでした。 「さーちゃんはどう思う?」  何も言わない小夜に気を遣ったのか、桐生が声を掛けてきます。 「えっと……私は、何とも思わない……かも」 「えー、さーちゃんやっさしー」  うちらはあいつ苦手だわーなんて周りは盛り上がりました。  小夜は微かに笑顔を見せています。  あまり上手とは言えないですが。  そして、桐生たちと別れると途端にうつむき加減になってしまいます。  私はその隣に浮かびながら、赤く燃える彼方の太陽を呆然と眺めました。 『随分と悩んでいますネェ』  監視者の相変わらずのんびりした口調が聞こえます。 『もちろん、ご主人を理解するためですから』  小夜を挟んで反対側の私はそう返します。  さっきの春日への反応といい、桐生たちとのやり取りといい、確かに悩ましいものばかりです。  桐生の言葉が小夜に対してどれほどの意味を持っているのかも、私には計りようがありません。 『アナタのことではありませんよ。小夜自身が、ですヨ』  監視者の回答は意外なものでした。  私は思わず目を丸くしてしまいます。 『どうしてそんなことが分かるのですか』 『どうしてって、私はヒトの真意が集まった存在ですカラ。ヒトの思いは全て伝わりマス』  監視者は自慢げに声を上げました。  なるほど。通りで小夜の行動を穿った目線から教示してくる訳です。  最初から答えを全て覗いていたのですね。 『そうでしたか。分かっていたのであれば、早めに訊ねればよかったですかね。私では、理解するのにあまりにも時間を掛けすぎでしょうし』 『そうでしょう、そうでしょう。まあ、アナタに伝えることは何もありませんケド』  え? 『それは、どういうことですか』 『言葉そのままの意味ですが、何かありマスカ?』  監視者は、居丈高な態度でこちらを見据えていました。  私よりも僅かに低く浮かぶ監視者が、とても高いところから見下ろしているような、そんな感じでした。 『問題点が分かっているのなら、共有した方が守護の効率は上がるのではないでしょうか?』 『何か勘違いしているようですネ。我々はヒトを含め、生物種全ての味方です。ヒト種の各個体の問題に口出しする余裕も義務もアリマセン』  ゾクリとくるこの感覚。 『でも、この前――』 『ああ。それはあまりにもアナタが鈍感なので、答えを明示してみせまシタ。でも、その真意すら分かっていないようですネェ』  やれやれ、と言わんばかりの呆れ声でした。  意味深な言葉を並びたてておきながら、この態度はなのでしょうか。  私はたまらず聞いてしまいます。 『全てとはいえ味方であるなら、「心配」とか「助けたい気持ち」が湧くものではありませんか?』  監視者は一瞬動きを止めたように見えます。  漆黒の全身が渦巻いて、薄ら寒いものを覚えてしまいます。  ですが、吐き出す言葉は呑気なものでした。 『そうですネ。群れからはぐれた草食動物は、肉食動物にとって貴重な栄養源デス。だからこそ、愚かな草食動物もしっかり生かさなければなりまセン。そんな心配はありますネェ』  ああ、なるほど。 『確かに、効率「は」いいのかもしれないですね』 『あくまで例ですケド。……最小の投資で最大の効果。なんともヒトらしい考え方とは思いませんかァ?』 『……はい。もう、いいです』  たった今、私は理解しました。  私と監視者が持っている考え方の決定的な違い。  この存在は、味方ではありません。  私の味方でも小夜の味方でも、もっと言えば、この地球上の生物全ての味方ですらないのかもしれません。  本質的に、味方をする気がないのです。 『いっ……!』  唐突に私の中の何かが揺らぎ、痛覚を刺激しました。  ライブラリに仕舞われた知識も、この精神的存在としての身体も、全て集合的無意識から発生したもの、与えられたものであるはずです。  少なくともそう認識しています。  ですが私は、この世界に誕生した当初から妙な違和感を拭えませんでした。  ライブラリに刻まれる言葉への矛盾。守護霊の流す涙。効率的にヒトを生かす監視者……。  一番は、小夜に対するこの思いです。  守護霊としてのルールよりも、小夜の役に立ちたいという思いが先行するのはどうしてでしょう。  道具であるはずなのに、監視者の指摘なんて二の次だ、と、そう思ってしまうのです。  私が小夜の守護霊だから?  先輩が涙した、あの記憶を残しているから?  そう考えて、自分が監視者の定義した守護霊から狂い始めているのだと気づきました。  だって、本物の守護霊ならこんなことを考えたりもしないでしょうから。  では、それはいつから、何が原因なのでしょうか。  先輩の涙の意味が気になってしまったあの瞬間、私は既に狂ってしまったのでしょうか。  この記憶を消してしまえば、効率的な〝守護霊〟に戻ることができるのでしょうか。 ……一つだけだったはずの小さなモヤは、もはや私のライブラリに収まり切れない程、深く暗く立ち込めていました。  いくら悩んでも答えが出ないと承知して、なおも思考は止めることができないほどすでに暴走し始めています。 ――いいえ、これはすべて私の問題。切り替えなければなりません。  さっき、集合的無意識は小夜が悩んでいる、と言いました。  それは一体、何に関してなのでしょうか。  桐生に対しては、本当に心を開いているのでしょうか。  どちらかといえば、居場所を作ってくれる桐生にすがっているだけのように思えてなりません。  そのくせ家族に対してはイフしてしまう。  一体、貴女たち人間は何を求めているのですか?  呑気に飛び回る監視者の前を、うつむき加減の小夜が歩いています。  尽きた太陽の残滓に照らされる私たち。その背後のアスファルトには、小夜の黒い影だけが、どこまでも伸びているのでした。
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