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「中原さん、茶道クラブに入らない?」
六年生に進級しても相変わらず同じクラスの桐生が、休み時間に小夜に話しかけてきました。
直前の授業でクラブ活動の選択肢を示されたので、その相談に来たのでしょう。
「茶道クラブですか……」
小夜が小さく呟きました。
私は、小夜が前々から漫画イラストクラブに入りたいと思っていることを知っています。
私はどうにかして桐生の集団を小夜から引きはがせないものか考えます。
このままでは、桐生たちに押し切られて、茶道クラブに入れられてしまうのが軽く想像できてしまいますから。
とはいえ、ただの〝幸運〟に他人を動かす力なんてありません。
「中原さん似合いそうー」
取り巻きの少女の一人が桐生の言葉に乗りました。それに呼応するかのように、
「ね、皆で茶道クラブよくない?」「先生も優しいしね」
と話がトントン拍子で進んでいきます。
介入できる余地のない会話。小夜は複雑そうな表情をしたまま、口をパクパクさせます。
「でも、上手くできるかな?」「うち、昔ちょろっと茶道習ってたし、教えるよ」「おおー」
「あ、あの……」
「ね、さーちゃんも、良いと思うでしょ?」
小夜が決心して出した小さな声は、鶴が鳴くような桐生の声によってかき消されてしまいます。
『ああ、やっぱり』
小夜、そんな申し出なんか断ってしまえばいいのですよ。
別に友達関係なんて、相手の気持ちを理解するわけでもない、〝群れ〟以下の集合体なのですから。
……私は思うばかりで、それを小夜に伝える手段がありません。
きっと、小夜にはあの申し出を断ることなんて不可能でしょう。
私はもどかしさを覚えます。
「いや、その……」
俯く小夜に降り注ぐ桐生たちの視線。まるで、すぐに答えない小夜を責め立てるような、そんな威圧感がありました。
小夜が頷きかけたところで、「……あのさ」という声が横切ります。
声の主は、桐生の取り巻きの一人、でした。
最近、桐生たちと話すのを見かけるようになった少女ですが、おかっぱに眼鏡という風貌は、この集団の中ではより一層、地味な印象を与えます。
手元には、幽霊図鑑とか学校の七不思議とか、そんな本を抱えていました。
クラスの中でも一、二を争うほどの読書家だったと思います。
あまり話す姿も見ませんし、現に小夜ですら目を丸くしています。
この子は、きっと大変な勇気を振り絞ったことでしょう。
「……漫画イラストクラブとか、どうかな?」
大野の言葉に、小夜の表情がぱっと明るくなります。
仲間を見つけた、と言いたげなようでした。
ですが……。
「あ、そう」
明らかに冷たい桐生の声に、大野が震えました。
小夜の表情も固まっています。
「漫画イラストって、地味じゃん」「絵とか興味ないし」
桐生の取り巻きたちもまた口々にそう言います。
「そ、そんなこと……」
「そういえば、あんたって、絵が上手かったよね。向いてるんじゃないの?」
取り巻きの一人が、口元を歪めながら大野の言葉をさえぎりました。
その言葉に練り込まれた突き放すような響きに、大野は表情をこわばらせています。
助けを求めるように辺りを見回し、固まったままの小夜と目があってしまいました。
「中原さんは……どうですか?」
刹那、私は背筋の凍る感覚を覚えます。
桐生たちの瞳が、一斉に小夜の方を向いたからでした。
その瞳はまるで獲物を狙う蛇のように鋭く……。
「中原さんには茶道の方が似合うよ。ねぇ?」
「えっ、あの……」
小夜が口をごにょごにょと動かしますが、小さすぎて良く聞こえません。
「うちらと一緒に茶道やろ?」「中原さん……」
小夜は明らかに迷っていました。
小夜の判断はきっと――。
「私は……、漫画イラストクラブの方がいいかなって……」
おっと。
小夜が自分の意見を述べるなんて。
「は?」
いつも小夜にだけは必ず柔和な表情を向けていた桐生が、急に冷たくなりました。
声に呼応してか、周りの目も心なしか険しくなったように見えます。
今ここで小夜と相対していたのは、友達の集まりなどではなく、桐生の仲間という一つの生き物でした。
「ふうん、中原さんってそんなのに興味あったんだね」
さーちゃん、ではなく、中原さん。
その言い方は、友達に向けるそれとは異なっていました。
「あ、いや、ええと……」
小夜は、うつむいてしまった大野と豹変した桐生を交互に見比べていました。
いつの間にか、小夜が悪いみたいな構図になっていました。
「中原さん、そっち選ぶんだ」「まあ、そんな気してたけどねー」
桐生の背後から聞こえてくる囁き声。胸の辺りが妙にムカムカしてきました。
もし私の言葉が桐生たちに届くなら、真っ先に抗議したいところです。
『どうして、自分の選択したことを口にしただけで、責められるのですか!』
全身に苛立ちが込み上げ、行き場のないまま口から漏れ出てしまいました。
『群れのはみ出し者だからですヨ。選択には常に責任が付きまとう……野生の掟デス』
監視者の声が淡々と響きます。
『な……なんなのですか、それは⁉』
いや、言葉の意味は分かるのです。
ですが、分かりません。
小夜は辛そうな顔をすると呟くような声で、
「……茶道クラブにしておきます」
と言いました。
私には泣きそうな声に聞こえました。
大野が顔を上げます。
大野の唇を強く噛んだその表情、その視線は、桐生の仲間たちを鋭く射抜いていました。
「だよね!」
桐生は口の端を歪めてから、大野の方を見ます。
「あたしたちは茶道クラブにするから。大野ちゃんは漫画イラストなんだね?」
そっかぁ、残念だなぁ。と、誰かが言った気がしました。
一人残された大野は「っ、分かりました」と言ってそそくさと離れていきました。
去っていく大野の背中を見ていると、誰かの忍び笑いが聞こえてきます。
『小夜、どうして?』
自分の意志を曲げてまで、この集団についていく意味なんてないでしょうに。
『より強い仲間を選択するのは自然デショウ』
監視者の言葉には納得できません。
納得したくもありません。
『……こんな形で続く友情に意味なんてあるのでしょうか』
『さあ、それは我々にもわかりませんヨ。ただ、これは小夜の選択の結果なのデス。ちゃんと頭においてくださいネ』
『……心得ています』
要は小夜の自己責任だと言いたいのでしょう。
どうせ、私たちは主人の選択は見守ることしかできません。
それが私にとって腑に落ちないことでも、その先に明らかな不幸が待っていても、主人を止めることはできないのです。
いつか読んだ、あの狼王ロボの守護霊のように。
『何だか、歯がゆいですね』
『そうデス? 我々は見守り続ける立場ですヨ? これぐらいの方が見ごたえがあって面白いではありまセンカ』
私はため息をつきます。
視界の端で、小夜が桐生たちの会話に愛想笑いを浮かべていました。
私の方は、愛想笑いを浮かべられそうにありません。
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