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あの日以来、大野は小夜たちから距離をとるようになりました。
「クラブ活動だよ。行こ行こ!」
「う、うん」
小夜は桐生たちに手を引かれながら、大野の方に目を向けます。
大野は一人で図書館の方へ向かう途中のようでした。
小夜とふと目が合いましたが、逃げるようにその場から立ち去ってしまいます。
小夜は視線を落としますが、「早く」と急かされてクラスを後にしました。
大野が桐生たちの仲間に入れてもらえなくなったのか、それとも自ら見切りをつけたのか、私には分かりません。
ただ一つだけ言えることがあります。
誰とも喋らずに独りぼっちでいる大野の姿はきっと、選択を違えた場合の小夜の姿だったでしょう。
嫌な考え方ですがそう納得するしかありません。
「あ、中原さん」
家庭科室に向かう傍ら、春日に声を掛けられた小夜は足を止めました。
春日はサッカークラブに所属していたはずなので、こちらではないはずですが。
「ええと……」
「なぁに、また文句でもあるの?」
桐生が割り込んできて春日に食って掛かります。
「そんなわけねぇよ」
「うちの中原さんをいじめないでよねー」
なんて白々しい言葉でしょう。
もはや私は、桐生たちの言動全てが小夜にとって良いものとは思えなくなっていました。
小夜が桐生をどう思っているのかは分かりませんが、少なくとも桐生は小夜の味方でいようと考えてくれてはいない気がします。
「それとも、私に用があったのかな?」
桐生が挑発しました。
女子の中でもひときわ背の低い桐生は、見上げる形で春日を睨めつけます。
普段ならここで言い合いが発生するところでした。
ですが、今日の春日は少し様子が変でした。
「中原って、茶道クラブにしたんだな」
「え! あっ、はい……」
まさか自分に話が来ると思ってなかったのか、小夜は変な声を上げました。
「お前、絵が上手かったのに……」
そこで黙ってしまう春日。小夜は戸惑ってしまいます。
この感触は、明らかに好意ですね?
そういえば以前に声を掛けてきた時も、去っていく小夜を見て寂しげにしていました。
『これは……小夜が一体どう対処するのか――』
「ふうん」
楽しみですね、という私の言葉を覆いかぶさる、嫌に耳に付く声でした。
桐生が冷たい目で小夜と春日に視線を注いでいます。
「べ、別に用事があったわけじゃねーよ。じゃーな」
何に怯んだのかは分かりませんが、春日の方がそそくさと去っていってしまいました。
「……行こう」
まだ冷たい目をしている桐生に言われ、小夜は大人しく家庭科室に入っていきました。
――クラブ活動が終わったのは十七時半ごろの事です。
いつもなら直帰する小夜ですが、この日はたまたま、家庭科室に忘れ物をしてしまったことに気が付いてしまいました。
家庭科室は目の前です。
そこで、準備室の方から微かに誰かのひそひそ声が聞こえました。
首を傾げた小夜は、ドアに近づいていきます。
……私は、何か嫌な予感がしました。
いえ、それはもはや予感ですらありません。
この時間、この場所に残っている人間なんて、数えるほどしかいませんから。
「あいつ、うざくない?」
聞き覚えのある声に、小夜が足を止めました。
ああ、やっぱり。
予想していたことが現実になってしまいました。
普段、他人の陰口を言っているヒトが、自分の陰口を言っていないわけがありません。
もっとも、友達かどうかも怪しいですが。
「だよね」「ほんと」
「はいしか言わないもんね」
「うちらと仲良しだとか思ってるのかな?」
「あはは。だっさ」
声だけしか聞こえませんが、誰が誰のことを言っているのかくらい、すぐに分かります。
小夜は扉を開けるのをためらっていました。拳を握っているのが見えます。
『小夜、開けるべきではありません』
『現実を見せた方がいいデショウ。自分がすがっていたものの種明かしですヨ?』
『貴方は黙ってください!』
咄嗟に怒鳴ってしまいました。
不服、とばかりに消失していく監視者が視界の端に映りましたが、どうでもいいです。
『小夜、早く行きましょう。ここにいては危険ですから』
守護霊としての勘が、そう囁いています。
私はおのずと、自分の手に霊力を走らせようとしてしまいます。
ですが、小夜は頭をぶんぶんと振りました。
その不安を振り払うように。それはまだ、あの少女――桐生を信じているという証なのでした。
眼前のドアノブを見据える小夜。
ああ。
止められない。止められるわけがありません。
どんな手酷い裏切りが待っていようと、主人の曇りなき瞳を、遮ることなんてできません。
小夜は決心したかのように扉を開けると、中にいたヒトたちが一斉に振り向きました。
夕陽で赤く照らされた準備室から、数対の瞳が小夜を捉え、その形を歪ませます。
獲物を見つけた、蛇の眼光で。
「あら、中原さん。まだいたんだ」
桐生が口角を上げました。
親しげな笑い方。ですが、その瞳は笑っていません。
「忘れ物が……あったので」
くすくす、と誰かが笑いました。
「……桐生さん、どうしたんですか?」
「どうしてそんなことを聞くのかな?」
「いえ、そのひどい悪口が……聞こえたので」
すると、桐生たちは声を上げて笑いだしました。
「今更何言ってんの?」「中原さんは真面目だなあ」
「ここまで言われてても気づかないんだ?」
口の端を歪めてそう言った桐生は、小夜を見下しているのが分かります。
その瞳には、友達に向けるような眼差しは一切ありませんでした。
さすがの小夜も、気づくでしょう。
「なんで中原さんなんだろうね。春日は」
「わかんないや。何考えてるのかよくわからない女子なのに」
数人が顔を見合わせて口元を歪めました。
「一人じゃ何にもできないくせに」
小夜の呼吸が荒くなっていくのを私は感じます。
そこに、桐生がつかつかと歩み寄ってくるのが見えました。
「私たち〝友達〟だもんね? 春日を奪ったくらいで調子乗らないでよ、中原さん?」
ドンッと押された小夜の身体は、扉にぶつかってしまいます。
その瞬間、何かが崩れる音が聞こえた気がしました。
小夜は踵を返してその場から駆けだし、私もその背中を追いかけます。
「バカみたいだねぇ」
あはは! と背後で響く、耳に付く笑い声を振り払い、躓いて転びそうになる小夜の体を支えながら、げた箱まで走ります。
ですが、私のそよ風程度の弱い力では、支え続けることなんて、到底できるはずもありません。
小夜はバランスを崩し、前のめりに倒れこんでしまいます。
地面に手をついたまま、廊下に涙を落とす小夜。その声にならない小さな嗚咽は、こんな狭い廊下にすら響きません。
誰にも、その声が届き、響くことはないのです。
私以外には。
『小夜……』
私は小夜の頭を撫でようとします。
ですが、霊力の弱い私の手は、小夜の頭をすり抜け、微かに髪の毛を揺らすのみでした。
慰めの言葉も行動も、小夜に届くことはないのです。
これほどまでに、自分の非力を恨んだことはありません。
やがて小夜が自分の足で立ち上がるのを、見守り続けるしかないのでした。
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