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授業が始まった三日目の昼休みがもうすぐ終わろうとしています。
そんな中、小夜はちょうど中央の席で居心地悪そうに座り直していました。
周りを見回して斜め前の男子と目が合ってしまったからか、視線を落としています。
私はため息をつきます。
そろそろ、仲良し同士がグループを作り始める頃でしょう。
それは小夜なら痛いほど分かっていることだと思います。
ですがこれでは、中学生になった今でも、小学生のときから全く進展がありません。
『自分から動くのが難しいなら、外からの働きかけに頼るしかありませんね』
できれば小夜から能動的に動いて欲しいと思いました。
ですが適材適所。あまり上手くできないことを強いるよりも、上手くできる人に頼るのが一番良いかもしれません。
ちょうどその時、女子がこちらに歩いてきているのを見つけました。
『よし、やってみましょうか』
私は右手に小さな霊力の輪っかを作りました。
風と言うよりは静電気に近いような弱弱しい力ですが……。
『これで多少は――』
そっと小夜の動きに合わせて筆箱を押してやりました。
水色の筆箱が落下して地面にぶつかると、ガチャガチャ、と中の物が飛び散ります。
「あっ、しまった」
小夜は自分が落としてしまったと上手く勘違いしてくれたようです。
飛散した筆記用具は思った以上の惨事となってしまいましたが……。
『ごめんよ小夜。でもほら――』
「大丈夫ですか?」
そう言ってこちらに歩いてきていた女子が近寄ってきました。
「あ、はい大丈夫で……すみません」
「いえいえ」
その女子は優しい手つきで筆記用具を拾ってくれました。
さあ、そこから会話に……。
「では」
「あっ、ありがとうございました」
繋がることはありませんでした。
ぺこぺこと頭を下げる小夜。どうやら私の行動はただのお節介で余計なことだったみたいです。
話すきっかけになればいいと思っただけなのですが。
『ああ、こんな原始的な方法ではダメなのですね』
私は頭を抱えます。
霊力の弱い私ではこの程度が限界でした。
世の中には主人の脳波にアクセスして、解決法を伝える守護霊もいるとか。
それに対して私は、六年間も守護してきたのに、いまだ霊力が成長する兆しも見せません。
『私も小夜の事を言えませんんね』
小夜の背中を見ながら、自らの非力を嘆きます。
「ねえねえ」
小夜に呼び声がかかったのはそんな時でした。
視界の端に、女子生徒が入ってきます。
ですが当の小夜は、呼ばれたことに気付かないようで、筆箱を凝視していました。
私が小夜の肩にそっと触れると、何かの気配に気づいたらしくハッとして振り向きました。
「なん……ですか?」
呼びかけてきたのは女子生徒の三人組でした。
三人は小夜の表情を見て笑みを浮かべます。
「はい、中原さん。消しゴムが向こうまで転がってきましたよ?」
三人のうち、一番背が低くて見た感じ大人しそうな女子生徒が手を差し伸べます。
手の中には、使いかけの消しゴムがありました。
「あ、ああ! ありがとうございます」
「中原さん、大丈夫ですか?」
「えっ?」
「この前、男子たちに絡まれてたじゃないですか? 自己紹介の時もかなり緊張してたみたいだし……だから大丈夫かなって」
背の低い女子生徒が、切りそろえた前髪を揺らし小首を傾げました。
小夜は一瞬硬直してしまいました。
こんな風に声を掛けられるのは滅多になかったので無理もないでしょう。
それこそ、小学生のあの時以来でしょうか。
ゆえに言葉の意図を図りかね、小夜の表情は嬉しいというよりも、困惑の方が前面に出ていました。
笑顔を作ろうとしているのは分かりますが、どう見てもしわくちゃの変顔でした。
『ホラとりあえず、何か言わないと』
また私は小夜に触れます。
「あ、ありがとうございます。……大丈夫です」
なんて蚊の鳴くような声でしょうか。
「本当ですか? 何かあったら言ってくださいね。前崎君たちはちょっとヤな男子なので。あ、えっと、わたし巣郷琴理、と言います」
一方、巣郷は親しげにそう言ってきました
小夜はその親密さに何かを感じたのか、そっと身を引いて目を泳がせます。
そうしているうちに背後の二人と目が合いました。
背後の二人のうち、身長が高い方がニッと歯を見せて笑みを浮かべます。
「うい。アタシは魚瀬涼ってんだ。で、こっちの無口が藤彩香」
藤と呼ばれた一人が表情を変えずに頭を下げました。
それを見て魚瀬がにやりと笑います。
「アタシらは元々同じ小学校の集まりなんだ。だから、前崎の事も知ってる。面倒だろ。あいつら」
「いえ、別にそんなことは……」
「アタシらに遠慮するなって。なあ、巣郷」
「そうだよー」
魚瀬の言葉に巣郷が頷きました。
魚瀬は身長が高い上にセリフ回しが男子を思わせるので、巣郷が絡まれているようにしか見えないのが、少し面白いです。
小夜はそんな二人の様子を窺うように見まわしました。
「わ、分かりました」
「ほいほい。んで、巣郷?」
「あいよ。中原さん、今日の放課後空いてますか?」
巣郷の言葉に、小夜は一瞬戸惑いつつも小さくうなずきます。
「ああ、良かった。それなら、一緒に来て欲しいところがあるのですが……」
巣郷が屈託なく笑いました。
まるで春の野に咲いたタンポポのように華やかさのある良い笑顔です。
対する小夜はかたまった表情のまま頭を縦に振っています。
この笑顔はまぶしすぎたのかもしれません。
「それじゃ、また放課後でね」
「じゃあな」
「……また」
去っていく三人を見送り、小夜はうつむいて少しだけ複雑な顔をしました。
何か思うところがあるのでしょう。
少なくとも、会話が出来て嬉しいというだけの顔ではありませんでした。
もしかしたら、小学校の時のことを思い出しているのかもしれません。
であれば、不安の方が勝っていてもおかしくはないでしょう。
巣郷は、初めて会った頃の桐生にどことなく雰囲気が似ています。
人懐こい笑顔の裏で何を考えているのか分からない怖さを孕んでいるのが、今の私なら分かります。
直接対峙した小夜ならなおさらでしょう。
とはいえ、別人なのですから悩んでも仕方ないでしょう。
とにかく、この学校で初めて「対話」出来た相手でした。
覗きこんだ小夜の瞳には、確かに強い光がともっているような気がします。
『これは、どうなんでしょう』
私はそれとなく巣郷たちを観察すると、休み時間でクラスの女子生徒のほとんどに声をかけていました。
「巣郷です! 放課後空いてますか?」
「魚瀬ってんだ、よろしく」
……小柄な巣郷は、机と机の間をちょこちょこと行ったり来たりして、その後ろに魚瀬と藤がくっついて回っていました。
まるで親子のようだなぁ、なんて思ってしまいました。
『しかし……あの三人組、よくやりますねぇ』
思わず感心してしまいます。
藤という少女はともかく、他の二人は初対面であろう誰に対しても臆することなく話しかけていました。
相手がどんな反応をしても笑顔を崩しません。
慣れているのか、それとも初めから社交的な性格なのか……。
『もしくは一人じゃないから……なのでしょうか?』
集団心理と言うやつかもしれません。
ますます、小学生の時の桐生に似ている気がしてきました。
『さて、私はどう応援してあげたら良いのでしょうか……』
小夜を小学校の時のような目には遭わせたくありません。
かといって何もしないのは成長にもつながりません。
どちらにせよ、少し様子を見なければ判断できないと流石に分かります。
傍らでは、小夜が配布されたばかりの国語の教科書に目を通しています。
今の私に出来ることは、相変わらず小夜の耳を塞ぎ、雑音を遠ざけてあげることだけでした。
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