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やがてたどり着いたのは、角部屋の小さな窓でした。
月の光の映る窓を指先から透過すると、そこは一般的な畳の部屋で、整理整頓されているとはいえ、はみ出たおもちゃや小物が目立ちます。
そして女のヒトの形をした守護霊が一体、ふわりふわりと忙しなく、小さく膨らんだ布団の上を漂っていました。
膨らんだ布団の中で、顔を出して寝息を立てている男の子が目に付きます。
『それは、この子の兄ですわ』
と、こちらに気付いた守護霊――先輩がそう呟きました。
なるほど、と私は返答します。
先輩の表情はどことなく苦痛に歪んでいて、冷たい目線を向けてきました。
『もう……来てしまったんですの?』
『ええ先輩。もう交代の時間が近いですから』
『ああ、小夜……』
先輩は膨らんだ布団に向かって膝をつくと、腕を伸ばしてすがりつくような仕草をしました。
何をしているのでしょうか。
……その行為に、意味なんてないはずなのに。
『先輩、大丈夫ですか? 調子が悪そうですよ、早くお戻りください。七年に渡る守護の任、お疲れさまでした』
私は分かる限りの労いを言葉にしました。
初めて使う言葉ばかりでしたが、これが先輩に対する礼儀というものであると、人間社会を見てから学んでいます。
ですが、先輩は『そう……』と呟くのみ。いつまでたっても、動こうとしませんでした。
ついに、交代の時間が来ても微動だにしません。
私は、その様子のおかしさが目について首を傾げました。
『あの、先輩? お疲れでしょうから、監視者さんの中へお戻りくだ――』
『い、嫌よ』
『えっ』
何とも間抜けな声が出てしまいました。
その言葉の意味を図りかね、何か間違ったことを言ってしまったかと焦ります。
『で、でも先輩? もうお時間が』
主人の守護は七年間。それは私たちにとって、絶対的に決められた期間。断ることができる次元の話ではないはずです。
完全に私の理解を越えた言動で、このやりとり自体に意味を見出すことができません。
そんな私を、先輩は見下したような眼差しと共に紛糾してきます。
『そ、そんなの! あなたが帰ればいいじゃない! 私がこの子を育てたのよ! 見届ける権利があるでしょ!』
『それはいけません』
私が口を開くより早く、監視者が声を荒げました。
珍しい。
『アナタは守護霊の規則をお忘れデスカ。アナタたちの役割は決められた七年間だけ、主人を守護する事。きちんと次世代に繋いでいかなければ、主人に未来はありませんヨ』
『どうしてなの! 私が、私の手でこの子を幸せにしたいと願って、何が悪いのよ!』
食い下がる先輩は監視者を掴もうとしますが、文字通り雲を掴むようなものでした。
簡単に捕まえられる存在でないことは分かっているはずなのに。
『いわゆる新陳代謝と言うものデス。凝り固まった思念は、怨霊――ただの害でしかアリマセン』
『何よ、あなたは私の味方だったんじゃないの!』
付け加えるならば、私の顔の周りで騒ぐのが少々鬱陶しい気がしました。
『我々はヒト……いえ、生命体の味方デス』
監視者は先輩をひらりとかわしながら、その言葉に対してきっぱりと言い返しました。
『それなら、どうして私にあの子を私に任せたんですか!』
その言葉を聞いた時、監視者が妖しい光を放ちました。
『それはですネ――』
私の頭にまで声が響きます。
冷気のようなものが体を貫き、私は思わず身震いしてしまいました。
確か、身震いとは、原初の恐怖へ対する反応。死への恐怖に対する反射であるはずですが――。
刹那、目の前の先輩がうめき苦しみ、その場に崩れ落ちてしまいます。
ぎょっとした私は、思わず手を伸ばしてしまいます。しかし、
『アナタたちがただの道具に過ぎないからですヨ』
『い、嫌! この子と離れたくない‼ 小夜と……小夜を、私から取らないでぇ‼』
先輩の悲痛な叫び声は、先輩の身体と共にバラバラに砕け散りました。
埃と化した先輩の破片は、監視者の体内に吸い込まれていきます。
『そもそも、アナタたちの体はこの世界で長くは持ちマセン。老兵は語らず、ただ消えゆくのみデス。消費期限切れですヨ』
ついさっきまで目の前に立っていた先輩が崩れ去っていく――。
そして私は今、確かに見てしまいました。
先輩が落とした一滴の雫。
……涙を。
生き物の感情が大きく揺れ動いた時に、生まれ落ちるという水滴を。
どうしてそんなものが、精神的存在たる、そして守護霊たる先輩の瞳から落ちるのでしょうか。
意味が分かりません。
私はついに思考が停止してしまいました。
『小……夜……幸……に』
『……当然です。それが私の仕事ですから』
主人を幸せにすること。それは私たちの存在意義なのですから、当たり前です。
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