1.それが私の仕事ですから

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「それじゃ、準備しよっか」  ランドセルと中学鞄を玄関に置いた小夜と相馬の二人は、祖母である中原円の遺影に手を合わせました。  昨夜に母親の上げた線香の匂いが、微かに残っています。  先に立ち上がったのはやはり相馬でした。 「行こうか。小夜。今日は送ってあげられるよ」 「……うん」  小夜たちの家から小学校までは片道十分程度。マンションのエントランスを一歩踏み出せば、駐車場の向こうに路地が覗いています。  春とはいえ、日差しが無ければ肌寒さを覚えます。  色褪せたアスファルトは、どこからか舞い落ちてきた桜の花びらで桜色に化粧をしていました。  私が初めてここを訪れた時よりも幾分華やかな雰囲気です。  ふと、冷たい風が歩き出した二人の間を吹き抜け、桜の化粧を剥がしていきました。縮こまる小夜は駐車場を出るまで相馬に手を引かれていきます。  坂を上り切り、まだ散り切っていない桜の木の下を歩いていると――。 「おはよー。今日は妹と一緒?」  まだ声変りをしていない、元気な声が二人を呼び止めました。声を掛けてきたのは相馬と同い年くらいの少年です。 「おー! 宮地、おはよう」 「お、おはよう、ございま……」  宮地が小夜を覗き込むと、小夜は呟くように挨拶してから兄の袖をつかみました。  相馬は苦笑いし、宮地は特に気にした様子を見せず続けます。 「しっかし、俺らもう中学二年なんだな。困った困った」 「何で?」 「いやあ、部活とか大変じゃん。部長とか変わるわけだし?」 「あー、確かに」 「中原は剣道部の部長とかなんねーの? 向いてそうなのに」 「俺が決めることじゃないし、嫌だよ。練習に集中できないじゃん」 「絶対いけるって。モテモテになれるぞぉ!」  宮地の言葉に「結局そこかよ!」と肩を小突く相馬。二人は楽しそう話し、声を上げて笑います。 ……小夜の歩幅がほんの少しだけ小さくなったのを、私は見逃しません。  相馬たちは話が弾んでいて、自然と離れていった小夜の手にも気づかないようです。  少しずつ先を進んでいく二人の背中。小夜は足元に視線を落としました。  通学路に溜まった桜の花びらは散々踏まれたようで、茶黒く変色して汚さが目立ちます。小夜はそれを避けながら、剥き出しのアスファルトを選んで歩いるようでした。  もう見てられません。 『えい』  私が小夜のバッグについた金具を叩くと、チャリン、と比較的大きな音が出ます。  小夜が咄嗟に抑えたので、余計なお世話かと不安になりました。  ですが、相馬が振り返って『ごめんごめん』と立ち止まり、小夜が口角を上げたので上々でしょう。  とは言っても、相馬たちと何かを話すといったこともしようとしません。 ……結局、小夜は学校に着くまで、言葉どころか挨拶すら発することはありませんでした。 『小夜は本当に無口な子ですね』  私の言葉に、肩の上で監視者が小さく同意します。 『まあ、コミュニケーションに難がある個体なのでしょうネ』  あまり良い表現とは思えませんでしたが、私も頷いておきました。  ただ、小夜自身は言葉を発するの自体が苦手、というわけではなさそうです。  学校で先生とは会話できますし、家に帰れば相馬と学校での出来事を話したりします。母親が普段家にいることが少ないため、宿題を見てもらうのも全て兄の相馬なのでした。  確かに、小夜自身の口から目標や理想を聞けていませんが、何も考えていないわけでは無いのでしょう。 『案外、平穏を好んでいるだけかも知れませんしネ』 『そんなものですかね』  それだけで、実の母親をあそこまで意識するようなこともないとは思いますが……。 『まだ始まったばかりですカラ、落ち着いてくださいネ』 『はい』  大丈夫、私は落ち着いています。  私の手で、主人である小夜を幸せな笑顔に変えてみせましょう。
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