夜のサーカステント

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夜のサーカステント

 その夜、メイクをして衣装に着替えたあとルーファスと無人のリングで練習をした。  周りでは仲間たちが自主練をしている。マットに着地する音、クラブが手に当たる音、ロープの軋む音がテントに反響している。 「初心者のクラウンは動きすぎるきらいがあるが、動きはシンプルにした方が伝わりやすい。大事なのは自分の動きを理解することと、観客にそれを伝えることだ。最初は一つ一つの動きを確認しながら勧めた方がいいな」  エントランスから登場するとき、和装のために歩き方に気を配る必要があった。しかも下駄だ。一歩踏み出すたびにカランコロンと音が鳴る。これだけで興味を引けるはずだ。  淑やかだが堂々と、ゆっくりと、ゆったりとした動作で手脚を動かし歩いて行き、立ち止まり、観客の方に向き直りペコリと礼をする。くるりと振り返り、止まり、後ろの席に向かってもう一礼。 「うむ。歩き方に関しては基本は押さえてあるが、もう少し研究を重ねた方がいいな。それと、礼のあとにもう一つ何か面白いハローをした方がいい。このクラウンには目立ちたいという願望があるな?」 「うん」 「目立ちたいクラウンがどんな行動をするか考えろ。感情というのは一つ一つの動きにリンクしてくもんだ。一つのショーを作るためには、ショーで何を表現したいかというゴール、つまり目的が必要だ。そして、目的を達成するには手段が必要だ。  願望、願望を叶えるための手段(行動)、ショー全体の目的。その3つを明らかにして、クラウンの言動を関連づけていくことで、クラウンのショーが面白くなる」  首を傾げすぎて身体まで傾いてきた私をみて、ルーファスは苦笑いした。 「例えば目立ちたいという願望を叶えるために、どんな目的が生じるか? そしてそれを達成するために自分がどんな行動をしていくか決めるんだ。その行動が突拍子もなくて馬鹿らしいほど面白い。  例えば皆に可愛がられている猫がいたとして、その猫より自分が目立つような行動をとろうとするとかな。すると自分の目的は、『猫より目立つために、何か芸をしよう』となるわけだ。 「猫より目立つなんて無理だよ」 「例えばの話だ。確かに猫は可愛い。まず、目立ちたいという願望を持ってお前が登場するとして、猫が皆に可愛がられていたとしたら、どんなハローをするか想像してみるんだ」  この間テントで予習したぞ、と得意な気持ちになりながら、エントランスから登場し、観客の方を向いてキーっとハンカチを噛む。猫が目立っていることに腹を立てているのだ。 「そうきたか」とルーファスは顎を撫でた。 「じゃあ、ハローはいいとして猫より目立つためにお前は何をやる?」 「日本舞踊をやる」 「踊れるのか?」 「うん、学校で習ったんだ」  振りの一部をを披露したら、ルーファスは「悪くはない」と言った。  ギターの要領で控え室にあった三味線をわざと下手くそに引いてみたら、ルーファスは「それもいいな」と頷いた。 「ショーの内容を考えるときは、もっと大きな視点で考えてみろ。お前は猫が羨ましい。そして、猫は皆の注目の的だ。例えば、猫より目立つ存在になるための手段として、あえて苦手な猫を飼って、どんな魅力があるか観察するという行動をとることもできるな。するとショーの目的は、『苦手な猫を克服する』となって面白みが増す」 「おおっ、それは思いつかなかった! ルーファス、凄いよ!」 「こんな感じで、願望とそれを叶えるための手段(行動)を考えたあと、ショーの目的をはっきりさせることで面白いショーが出来上がる」  ルーファスは突然私に即興劇を作れと命じた。架空の状況を自分で作り、自分のキャラクターのままスキット(コメディ劇)を即興で演じてみる。この時大事なのは、3W(When(いつ), what(なにをしている), why(なぜそこにいるのか))を意識すること。クラウンが劇の中でとる行動が願望とリンクしているかどうかというところだ。    思いついたスキットのタイトルは、『マフィアに攫われた宇宙人』や、『人類を滅亡させに地球にやってきた宇宙人』『地球で婚活をしようとする宇宙人』だったが、ルーファスに「全部宇宙人じゃないか、宇宙人から離れろ」と突っ込まれた。 「でも、最後のやつは面白いかもな」と言われた。 「分かった。じゃあ俺が途中までの設定を考えよう。そうだなぁ……。じゃあお前は宇宙人だ。なぜ婚活をしたいのか? どんな願望があるのかまず考えろ」 「地球人と結婚したい」 「なぜ? その目的は?」 「地球人と宇宙人のハイブリッドのすごい能力のある子どもを生んで、その子と一緒に地球征服を目論む」 「とんでもない奴だな。じゃあそのために何をするか? どう行動するか考える必要がある。 「地球人の婚活パーティーに行く」 「分かった、とりあえずやってみよう。お前は地球人と結婚したいという願望と、強い子どもを残し地球を征服するという目的を持って、婚活パーティーに行くという行動を起こす。そこで何が起こるか? やってみろ?」  しかし、いざやるとなると頭が真っ白になる。とりあえず控え室から変な声が出る壊れかけた笑い袋と透明な紐、ワインボトルと2つのワイングラス、セロテープを持ってきて、紐を40センチくらいに切った紐を自分の手のひらとボトルに繋いでテープで貼った。 「そのワインピアジェのだぞ、見つかったら殺されんぞ」 「あとで返しとく」  丸テーブルと椅子を設置して席に座る。離れた場所にボトルがある。誰かと話しながらちらっと後ろの席を見て、その人間の真似をしてワイングラスを嗅いで飲む真似をする。  誰かの言ったことに笑うふりをするが、ここで宇宙人風の機械的な笑い声が出てしまうが、ゲップをしてしまったとジェスチャーで誤魔化す。ちなみにこの笑い声は笑い袋で出したものだ。  自分には特技があると相手に自慢する。そして、ワインボトルを超能力で自分の方に引き寄せようとしたが、まさかのそのボトルが倒れてしまいテーブルに赤い水たまりが広がって蒼白になった。まずい、本当にピアジェに殺される。  練習は中断し、ワインが減ったのを誤魔化すためにピアジェのボトルに水を入れ元の場所に戻すという、予想外の茶番を演じる羽目になった。  
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