夜のサーカステント

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 今度は以前にエクササイズでやったスラッピングの練習をした。スラッピングはクラウンショーの中で頻繁に登場する動作なのだという。 「前にも言ったが、本当に叩くのはナシな。叩いたら飯を奢ってもらうぞ」 「OK」  ルーファスがリング左、私が右に立つ。まず、カウント1で右足を前に出し、私が腕を伸ばしルーファスの肩に右手を置いて相手との距離を確認する。距離は大体腕一本分だ。右足は動かさないで固定しておく。  ルーファスが私に「レディ?」と訊き、私が「ゴー」と私が答えたらカウント2で左手を後方にずらす。  3カウント目で左手を相手の顔目掛けて振り上げ、大体相手の右耳あたりに左手を被せるようにして止める。同時に叩かれる側のルーファスは頬を反らし、臍のあたりで手を叩いてビンタの音を出す。  これを何度か繰り返していたら、ルーファスとの信頼関係が生まれ、タイミングが合ってきてコツが掴めて来た。  今度は手の甲を相手の顔に当てるバックスラップに挑戦した。  2人で客席の方を向いて横並びに立つ。カウント1で右足を少し前に出す。カウント2で私が右腕を曲げずに左方向にずらす。カウント3でルーファスの顔面に手の甲を被せるようにする。同時にルーファスが顔を反らして手を叩く。 「3人でやるともっとバリエーションが増えるぞ」  ルーファスはジャンを呼んできて、3人で横並びになって色んなスラッピングのパターンを試した。  左がジャン、真ん中が私、右がルーファスだ。ルーファスは小さいので、象の曲芸で使う銀のテーブルのようなものに乗る。  まず、私がジャンにビンタをしようとし、ジャンがしゃがんで避ける。私はそのまま回転して左のルーファスの頭を叩いてしまう。ルーファスは怒って私にビンタをし、後ろによろけた私はジャンに左手でバックスラップをしてしまう。 「何か楽しいな、コレ。俺クラウン向いてるかも」とジャンはノリノリだ。確かにジャンなら面白いし、素敵なクラウンになるだろう。  ついでに相手の足を踏みつける『ステップ』、お尻を蹴る『キック』、相手の頭を拳骨で叩くなどの動作を反復したあと、フォールという倒れる動作の練習をした。  フォールには3つの型があって、マットの上で怪我に気をつけて一つずつ練習をした。  最初は膝を曲げ背中とお尻を丸めて、マットに手をついて座った体勢からお尻を後ろに滑らせ後ろに倒れる。マットに手をつくとき、転んだことを示すためにマットを叩いて音を出すのがミソだ。  『片足ストレート』は、片脚をまっすぐに伸ばしたまま、あとは両足のときと同じ要領で手を床について尻餅をついて倒れる。ちなみにちゃんと顎を引いておかないといけないのは、転んだ時に頭を床に打って脳震盪など起こさないためだ。  ここまではスムーズにできたが、前向きに倒れるフロントフォールが難しかった。前方に身体を倒してマットに手がついたとき、スラップで音を出し、手と腕で顔がマットにぶつからないように身体を支えながら最後顔をマットにつけ倒れた振りをする。 「俺は前、ショーでパフォーマンスじゃなく本当に転んでしまって鼻血を出したことがある。クラウンが血を出してるのは側から見るとマジで怖いからな、怪我には注意だ」  ルーファスは真顔で教えてくれた。  左足首に右足を引っ掛けてコケた振りをする『トリップ』は、前にエクササイズで行った動きだったからすぐに覚えられた。    フォールができるようになったら、今度は仰向けに倒れた人を起こす『プルアップ』に挑戦した。    流石に私をルーファスが持ち上げるのは不可能だし怪我の可能性もあり不憫なので、持ち上げる役割は私が担った。  倒れたルーファスの肩とマットの間に両手を入れ、ケニーのギックリを踏襲してしまわないように注意を払って中腰の姿勢から膝に力を入れてルーファスを持ち上げた。ルーファスは持ち上がりやすいように板のように背中をピンと伸ばしていた。子どものように小柄なルーファスだから私でも楽に起こすことができたけれど、これが他の男子メンバーだったら絶対に無理だ。  一通りのルーファスは鞭を使った寸劇をやると言った。  鞭使いを演じる前に、『プリーズ・ノー』と呼ばれるゲームをやった。私がルーファスに何かをお願いするために、「プリーズ」と頼み、ルーファスは「ノー」と答える。私の目的は私をイエスと言わせることで、ルーファスは絶対に屈服してはいけない。お互いに使える言葉は、プリーズとノーだけだ。  私にゲームを貸してほしいという願望があり、ルーファスはそれがプレミアもののゲームだから貸したくないと言って拒むという設定にした。  私はルーファスの目を見て「プリーズ」と頼み、ルーファスは「ノー」とそっぽを向く。めげずに「プリーズ」とルーファスの正面に回り込み手を合わせると、ルーファスは手を払うように2度振って「ノー」と答える。私はルーファスの腕を取り、「プリーズ」と泣き顔を作り、ルーファスは手を振り払って「ノー」と怒り気味に言う。後ろから抱きつき「プリーズ」と可愛い感じに言い、ルーファスは「ノー!」と言いながら走り回る。私たちはしばらく「プリーズ!」「ノー!」を連呼しながらリングを駆け回った。  そのうちついにネタ切れした。動き回っていたお陰で息が切れて額には汗が滲んでいた。  詩ならここで何をする?  私はやぶれかぶれでポケットからお札を取り出してひらつかせながら「プリーズ」と言った。するとルーファスはぶほっと吹き出し、「合格だ」と親指を立てた。
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