夜のサーカステント

8/10
前へ
/243ページ
次へ
 エクアドル、コスタリカ、コロンビア、ガイアナ、スリナム、ギアナの主要都市を2ヶ月かけて巡ったあとは、中央アメリカを横断する。  皆のハードスケジュールが続いているということで、ルーファスからの提案で一つの国での公演のあとに4日の休みが取られることになった。これまで休みは多くて2日だったが、流石に世界公演でコンスタントに続く場越し作業からの連日2回公演となると団員や動物たちの疲労が甚だ激しく、疲労による怪我や病気の可能性も考慮された。実際団員の中には疲労でダウンする者も見え始めた。超勘違いサイコパス体育会系のピアジェは休日増加案に猛反対したが、ルーファスの必死の説得と団員たちの訴えにより休日が増えた流れになる。その分練習時間も増えた。サーカス団がブラック化していき団員たちの負担が増えるのは耐えられないため、これには私も胸を撫で下ろした。  しかしながら安心したのも束の間、新しい出し物をやるというピアジェの言葉によって大混乱を極めた。  天気輪の輪を模して作られた黄色とオレンジに光る全長10Mの先の細い鉄塔のような柱の上方に、両側に直径2.5メートルの大きな車輪がついた5Mの太い鉄の軸がついている。時計回りに回転する軸の両端についた車輪の上に立ち落下しないように走り、中に入り走り続けるというとても危険なショーである。  指名されたのはジャンともう1人のキールと呼ばれる男性の曲芸師だった。ジャンは喜んでいたがキールは不満げだった。しかしながらピアジェの命令は絶大で、2人は公演後のテントや街の広い屋内運動場などを貸し切って、休日返上で練習に取り組まなければならなかった。  そんな中、事故は起きた。  ジャンが車輪から落下して右腕を骨折したのだ。  全治2ヶ月と診断されたジャンは安静を余儀なくされ、ジャンの代わりに別の曲芸師が代役に起用された。  しかし常に活動的なジャンにとって、じっとしていることはかなりの苦痛なはずだ。首にかけられた三角巾で包帯に巻かれた腕を固定しながら、「可愛い子をナンパしに行きてぇな〜」なんて言ってる。彼があまりに不憫だから、退屈を凌げるように猫の写真集を買ってあげた。    綱渡りの進度はスローペースだったが、ジャグリングはグングン上達していった。ボールやクラブである程度基本技を覚えてきたら、ビールの空き瓶や修理用のスパナやビー玉、厨房にあるバナナやキュウリ、トマト、メロンなども私の練習道具になった。ちなみにバナナジャグリングをしていたらコリンズに1本奪われて、お決まりの追いかけっこが始まった。  ある日こっそり厨房で生卵3つでカスケードをしていたらコックさん3人が入ってきた。怒られると思ったら「おお、凄い凄い」「ああ、回ってるよ。目が回りそうだ」「どうやってやるの? それ」などと無邪気に感激しながら見学していた。  コックさんたちに野菜を使って得意になってジャグリングを教えていたら、入り口ドアの隙間から顔を突き出したピアジェに「練習しろおおおお!! ショーに出さんぞ!!」と大目玉を喰らった。昨日まで私を透明人間のように扱っていたのが嘘のようで呆気に取られて持っていたゴーヤを落としてしまい、コックさんたちに必死に謝った。コックさんAは「いいよ、あげるよ」と笑って許してくれ、コックさんBが「卵とベーコンと玉ねぎと一緒に炒めて、ゴーヤーチャンプルーにすると美味いよ」と教えてくれ、コックさんCは「あのボコボコしたところで背中をかくといいよ」と私が考えていたのと同じようなことを言った。
/243ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加