5. ケニー伯父さん

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 ケニーの部屋のソファでうたた寝をしていたら、祖母が二人分のバニラアイスクリームを持ってきてくれた。昨日賞味期限切れでパサパサになった変なパンを食べたおかげでお腹を下しているというケニーの分まで平らげたあと、シャワーを浴びて自分用に用意された寝室に向かった。私が眠っているうちに、ケニーが一階から荷物を運んでくれたらしい。スーツケースと貴重品の入ったバッグが床に置かれている。  荷解きは明日やることにして、疲れた身体をベッドに横たえた。肌に触れる冷たいシーツと、柔らかい枕とマットレスのほどよい硬さが心地よい。  アルゼンチンに来たくて来たわけじゃない。シドニーに残る気になれば残れたのにそれをしなかったのは、マイペースで適当で気分屋で、家を散らかし放題のだらしない父親と二人で暮らすのが嫌だったから。何より離婚により精神的に不安定になっている母を一人で行かせたくなかったからだ。母のことが特別好きなわけではない。父のことも嫌いなわけではない。どちらについていくかは、幼くない私にとってはそれほど重要ではなかった。  これまでずっと、周りに流されるがままに生きて来た。今回だってそうだ。確固たる意思や信念なんてない。大学に入ったのも辞めたのも成り行きに任せた結果で、運命に抗おうともがくことなど選択肢になかった。  恋愛においても言えることだ。中学の頃から告白されるままに付き合っては、言われるがまま別れることを繰り返して来た。本気で好きになった相手など一人もいなかった。相手を深く知りたいと感じたことすらなかった。相手と同じものを好きになれば相手のことを少しは好きになれるだろうかと思って、相手の好きな音楽を聴いたり、相手が観たいという映画を一緒に観に行ったりもした。出かける時も行き先を決めるのを相手に任せていた。自己主張をしてくれと言われれば、その場しのぎに遊園地やビーチなど、友達がデートで行くような場所を挙げてみたりした。でもどれもちっとも楽しくなんてなかった。それでも相手に合わせるのは、相手を傷つけたくないし、嫌われたくないから。波風を立てたくないからだ。  これからも、私はこうして生きていくんだろうか。本当にやりたいことが見つからず、心から愛せる相手に出会えないまま死んでいくのだろうか。生ぬるい安心しか与えてくれない普通の枠にはまって、周りに流されるまま……。本当にそれでいいんだろうか。  アヴリルのあの曲のサビの最後のフレーズを大声で叫ぶことができたら、どれほど幸せだろう。
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