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葉物野菜のコーナーをザッと見たけど、あんまりアテにできない気がして、ほとんど素通りした。というのも、なんていうのか、葉っぱってペラペラしてるし、それでバサッ、とかって叩いても、あんまり効果なさそう、っていうか。
例えばチンゲンサイとか、両手で二つ、根っこの丸いとこ持って構えてるだけで、鼻でフッ、って笑われそう、っていうか。
それから根菜ものに移った。このへんから、少し頼りがいが出てくる。まあ、当然固そうだし。てことは、相手により強いダメージを与えられる、ということだ。
……あとは、見た目だ。
ニンジンやじゃがいも、タマネギなどを見てるとなんかお腹空いてきて、カレーもいいかな、とかって余計なことを考え出してしまう。
そのとき、視界に何か黒々としたものが入った。見るとたて長のビニールに入った、宮崎県産のゴボウだ。
「……」
山のように積まれた、その中の一本を手に取った。
黒々とした土が付いてて、野菜の出す水分と混じって中で泥みたいになってる。私はそれの端っこを利き手で握って、ズッ、と前に向かって差し出してみた。
なんとなく、「武器」っぽい感じがした。
この土がほどよく付いてる感じも、なんかワイルドなおもむきがしてよい。根っこの先の方へと向かってだんだん細くなっていってる感じも、「剣」とか「鞭」っぽいっていうか。
「……これに、しようかな」
私はなぜか少し後ろめたいような、そんな気持ちになりつつ周囲を見回すと、そっとそのゴボウを買い物カゴの中に入れた。
レジで会計を終えると、ビニール袋の中からゴボウだけ取り出して、黒革トートの中に差し込んだ。
「これでよし、と」
西友の前は、いまだ無数の人々が行き交っていた。私は茶沢通りを北に向かって進んでいった。
ちょうど夕飯時で、商店街に居並ぶ飲食店は、どこもごった返してる。肩がけしたトートにゴボウを差し、左手に買い物袋を提げた私は、その華やかな雰囲気とは裏腹に、さっきから奇妙な緊張感に包まれていた。
ものすごく、イヤな感じがした。うまく言えない。
とにかく家のある方角に、これ以上一歩も足を進めたくないのだ。
でも、行かないワケにもいかない。公園で雑魚寝なんかしてたら、それこそ警察に声をかけられる。
野郎ラーメンの前を過ぎ、サードバーガーの前を過ぎて、福のからの前を通り過ぎると、右手に斜めに伸びる脇道が見えてくる。
横断歩道を渡ってそこを入り、交差する緑道を越えると、表の繁華街の様子は一変し、ひっそりとした、まるで網目のように細かく暗い路地が絡み合う、そんなエリアになる。
私は自然、そのあたりから早足になっていた。強い緊張から、強烈な胸の動悸が襲ってくる。
早くこの場所を過ぎ去って、家にたどり着きたい。どっとソファに腰を下ろして、一息つきたい。
確か冷蔵庫の中に「ほろよい」のもも味があったので、それも飲んじゃいたい。
でも不思議なことに、歩けば歩くほど、自分は前に進んでいるのではなく、後ろに進んでいるんじゃないか、って、そんな気がしてくるのだ。全然家との距離が縮まっている感じがしない。むしろどんどん離れていっている、そんな気すらする。
どんよりと曇っていた空は、いまや漆黒の闇に変わっていた。その墨汁みたいな上澄みが、いまにも頭の上にポタポタと垂れてきそうだ。かぼそい街灯の光は、ヌメヌメと爬虫類的緑色に、行く手のアスファルトを怪しく照らし出している。
前回と、まったく同じだ。物音一つしない。
東京って、こんなに静かなところだったっけ、って思う。生粋の東京生まれ東京育ちのこの私でも、妙にリアルにそう気付かされた。
そのとき、まるで金縛りにあったように体が動かなくなった。
いや、体は必死に前に向かって動かしてるんだけど、背後に感じる何かの気配に、私のすべてを掌握されてる、そんな気がするのだ。
だから、後ろを振り返って確認するのにもひどく時間がかかった。油の足りてない、古い工作機械みたいにグギギギギ、って音を出して体を向けてる、そんな感じ。
見るとそこに、あの大柄な女が立っていた。
手には前回と同じく、長くて太いネギを持っている。背後から逆光で街灯に照らされてるので、その表情は見えない。
ただ、その黒光りする、妙に出っ張った大きな額だけが、少し角度をつけてうつむいた状態で見えていた。
花柄の前掛けをつけ、例の茶色のゴム草履を履き、なんていうのか、お侍さんが鞘から抜刀し、それを投げ捨てた、みたいな姿勢で両手をハの字に広げてる。
その表情が確認できない、って思った瞬間、横長で異様に細い両目が、ギラリと光ってこっちを見ていたことに気づき、私はギョッとした。
ネギ女は、ニヤニヤと笑っていた。
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