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「キエエエエエエエエエエエエエエッッッッ!!!!!!」
女はそう奇声を発すると、ネギを振り回して私に向かって突進してきた。
真美が言ってたように、これからカバンの中のスマホをのこのこ取り出して、110番するなんてまったく冗談じゃない。そんなヒマなんてありゃしない。
目の前の女は、その緑色の葉の部分からトロトロとした水分をしたたらせたネギを振りかざして、私との距離を光の速さぐらいのスピードで、詰めようとしていた。
私は無意識に、肩のトートに差しておいたゴボウを引き抜いて、そのビニールごと握りしめていた。
それを両手で構え、右足を前に出し、少し腰を落とした。
と、ネギ女は突進する動きを急に止め、これ以上はムリ、ってほどに目を大きく見開いた。地球にある海の水が、いま全部一瞬にして干上がってしまった、そんな顔をして驚いている。
私はゴボウを構えたまま、ネギ女と目を合わせ続けた。まんじりともせず間合いを取り続け、もう五時間くらいそうしてる、そんな気がする。
その空気に耐えられず、
「……ねえ。あなたいったい何者? 私に何の用?」
って聞いてみた。
ネギ女は、何も答えなかった。ただ、ほんのすぐそばで、夏の虫の鳴く声が、かぼそく聞こえた、そんな気がした。
でも、季節的にはまだ、少し早いように思う。
眉をひそめてると、また聞こえた。でもそれは、夏の虫の声じゃなかったのだ。
「なんで……」
ようやくそのとき、目の前のネギ女が話しているんだ、ってことに気がついた。
「えっ?」
「な、なんで……」
「……」
「なんであんたも、ゴボウ持ってんのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!」
つんざくような声で、ネギ女はそう叫び声をあげた。
ホントに、その声のおかげで爆風がこちらに向かって吹いてきたかと思ったほどだ。マンガみたいに、語尾のよおおおおおおっっっっ!!!! が、コンクリートのブロックになって私の全身を強打したようだ。
私はその場で微動だにできなかった。
と、ネギ女はクルッとこちらに背を向けると、一心不乱に走り去っていった。私は握りしめていたゴボウを下ろした。それまでの緊張からか、その右手を開こうとしても体が言うことを聞かず、ただ震えているばかりだった。
▪️
オフィスビルの中にあるカフェテラスの窓からは、渋谷の街並みが見渡せる。
いつも座るお気に入りの席で、ほどよく空調の効いた中、ぼんやりスマホを眺めてると、ついウトウトとしてしまう。
ヨダレを垂らしてガチで寝ちゃわないよう、いつも気をつけてなきゃいけないほどだ。
……でも、今日ばかりはちょっと違った。
昨日の夜の、ゴボウを握りしめてた右手の感触が、いまだ強く残ってる。
私はあのネギ女のことを、ただひたすら考え続けていた。
ポイントは、いくつかある。でも、中でも一番気になっていることがある。
それはつまり、こういうことだ。
ネギ女は、あのとき私に向かって、
「なんであんたも、ゴボウ持ってんのよ」
そう叫んでいた。
……なんであんた、も。
確かに、あいつはそう言っていたのだ。
「……」
仮に、あの日あの瞬間だけのことだったとしよう。
それでも、あのとき私は、あのネギ女と同類になっていたということを、そのも、は意味しないだろうか。
そのことに、はたと思い至ったとたん、私の背筋に何か薄ら寒いものが走った。
……何かがマズい。そんな気がした。
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