ネギ女現わる、の巻

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 動揺した私は意味もなく、テラスの中を見回した。ここはビルの中に入ってるいくつかの会社の人、すべてが利用する空間なので、見も知らない別フロアの、カタカナの名前だけでは何をやってる会社なんだかさっぱりわからない、そんな企業の人々もたくさんやってくる。  正直、ハケン一年目の私には、どこか肩身が狭いっていうか。場違いなところにいるな、って思うこともしばしばだ。  視線の先に、三つ揃いのネイビースーツでバシバシに決めた背の高い男性と、タイトなベージュのレーススカートにブラウンの半袖ニットを着て、明るめのロングヘアをいい感じにアレンジした可愛い女性が、タリーズのカフェラテを飲みながら、笑顔で立ったまま話し込んでいた。男性の髪型は、つい五分くらい前に刈り上げたばかり、って感じのツーブロックヘアーで、葛飾北斎の波の絵みたいに静止画的に、一分のスキもなくセットされてる。風が吹こうが槍が降ろうが、一ミリたりともそのセットが乱れることはないだろう。着てるスーツもパツパツ過ぎて、前に淳と観たアベンジャーズに出てくる誰それの服みたい。  なんの話をしてるか知らないけど、でもとにかく楽しそうだ。  ……少なくとも、令和の三軒茶屋の都市伝説の話ではないだろうと思う。  そして少なくとも、彼らはネギをふりかざした謎の女に、夜の街中で繰り返し追いかけ回されたりはしていないだろう。  私がいま、あの二人の元に駆け寄っていき、この話をしたら、いったいどうなるだろうか。  ……昨晩、私はそいつに土のついたゴボウでもって応戦したんですけど、それってどう思います?  彼らはーー何か非常なをもった表情で、この私をじっと眺め見るだろうか。   いけない、と私は、この思考の悪無限ループを強制終了した。頭のOSを、再起動する。  再起動するけど、でも脳内のデスクトップ上にはいぜんとして、「ネギ女」と書かれたファイルが厳然と存在しているのだ。  私は手元のスマホを取り上げると、ツイッターのアプリを開いた。そして直近のネギ女の話題はどうなっているか、確認することにした。  検索を始めて、すぐにも気がついたことがあった。  ……ネギ女、の「ネ」の字もない。  いっくら調べても、あたかも海の潮がスーッと綺麗に引いてしまったように、何も出てこないのだ。 「いなく、なってる」  前に真美と一緒に読んだ過去ツイートも、見事に消え去ってしまっている。まるでそんな事実はそもそも存在しなかった、とでもいうように。  ……ちょっと待って。  私は半ばテーブルの上に落とすように、スマホから手を離すと呆然とした。  これって要するに、私があのネギ女を退した、ってことに、なるんだろうか?  都市伝説である、あの女を?  でも、本当にそうだろうか。  昨晩、あのネギ女と対峙したとき、私は何をもっていたか。  、だ。  てことはーーあの夜、あの瞬間だけのことだったとしても、自分は自分で進んで「ゴボウ女」になっていた、ということを、それは意味する。 「……私が、ゴボウ女?」  もう一度、楽しげに会話している視線の先の男女を見た。それから慌ててもう一度、スマホを取り上げた。今度は写真のアプリを開いて、淳、と名付けられたアルバムを開く。  綺麗に淳の写真で埋め尽くされてるその画面を、どんどんスクロールさせていった。スクロールしてもスクロールしても、終わりが来ない。この、感覚だ。この感覚がないと、私は死んでしまう。  水の中に沈んでる何かにくくりついた縄を、ずっと手繰り寄せてる、そんな感じだ。でも、そのさきっちょについてるだろう何かを見たい、とは、決して思っていないのだ。  その「手ごたえ」だけを、感じていたい。  いちいち数えたことはないけど、たぶん五、六千枚は優に超えてるだろう。こうやってスクロールしててもし終わりがくる、ということは、つまり「淳の終わり」がくる、ということを意味する。  それに私は耐えられない。こうやって無限にスクロールできる、ってことは、無限に淳を、私は、っていうことを、意味するのだ。
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