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二
「お父さん、雨、降りそうね」
助手席の母も雨の気配を感じたのか、後ろの席の私に辛うじて聞こえる声で父に話しかけている。父は父でよそ見をしてじっと遠くを見るわけにもいかず、そうなんだ、と適当に相槌を打っているように聞こえる。
羽生のパーキングで少し休憩をとった後、私は相変わらず呆けたように外に流れる景色を眺めていた。
――驟雨。
テレビはゲリラ豪雨と言う名前で伝えるけれど、日本には昔から驟雨、或いは村雨という呼び方があるではないか。そう、SNSで誰かが言っていたのをポカンと口を開けたままに思い出す。
「本当に雨が降って来たな」
いよいよ雨が降ってきた。音も無く、じんわりと窓に薄い膜を作っていく。驟雨と呼ぶには、その粒はあまりにも小さく、か弱い。
こんな雨を昔にも見たことがあるはずなのだが、しかし、すぐには思い出せず、私の視界には再び白線と味気ない景色が流れ始めた。
「あ、そっか」
やがて大谷パーキングを過ぎ、名も知らぬ小さな山が見えたとき、ふと思い出して小さく呟いた。母が「どうしたの?」と聞くが、私は「何でもないよ」と頭を振る。
何でもないのである。ただ、私の記憶を探り当てただけのこと。
――雨だ! おとらばんちゃ! 雨だよ!
あれはいくつの頃だったろうか。
縁側で日向ぼっこをしている曾祖母の瞳の中には、無邪気に雨と戯れる私がいた。
おとらばんちゃ。
私は彼女のことをそう読んでいたのだ。
曾祖母の名前は鈴木景虎であった。どのような字を書くのか知りもしなかった私が、なぜおとらばんちゃなどと呼んでいたかといえば、近くに住んでいる星というお爺さんの影響である。
星さんはよほど曾祖母のことを慕っていたのか、或いはもういない祖父と仲良しだったのかも知れないが、ちょくちょく小森の家に来ては縁側で曾祖母、祖父、或いは祖母たちと、漬物をお茶うけに楽しそうに話していたものだった。それは私が両親に連れられて遊びに行ったときも例外ではなく、その耳慣れない響きを面白がっていたのを思い出す。
「おとらばんちゃ、お天気なのに雨が降ってるよ!」
「ちーちゃん、これは狐の嫁入りだね」
「キツネさんもお嫁さんになるの?」
「ああ、そうだね。狐さんは花嫁行列を人間に見られないように透明になるんだけど、そのときに流れる涙は隠しきれないんだって」
「ふーん」
「あとね、狐の嫁入りには別のお話があるんだよ――」
窓の外の細雨はじきに止み、無粋な防音壁の列が終わると、少し開けた土地に田畑が広がっていた。
遠く雲の切れ間からそこに差し込む光の景色に、私は魅入られ、記憶の再生は中断を余儀なくされた。
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