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八
葬儀は仏式だった。
儚い祭の後、曾祖母は霊柩車に乗せられて葬儀場へと戻った。
私たちは喪服に着替え、皆が泣く普通の葬式が行なわれ、曾祖母は棺の中で色とりどりの花に囲まれながら焼かれた。
曾祖母は小さな壺の中に行儀よく収まり、私たちと一緒に小森の家にいる。
疲れた。
ただでさえいつもと違う環境に朝の神社の件も相まって、とても疲れた。
久しぶりの家族4人の食事もほどほどに、私は昨晩よりも早く眠りに落ちたのだった。
柱時計の音も聞こえぬほどに。
気付けば、私は夜の畷道にぽつんと立っていた。
朝に見たような長い、長い一直線の畷道。
視線の先、黒い山の上には紺青の空に宝石箱をひっくり返したような星空が広がっていた。星々は左右の田んぼに映り、上を見ても下を見ても白や青、赤に黄色がきらきらと、しかし、静かに輝いていた。私は体が浮きあがったような、そんな感覚さえする。
しばしその光景に身を委ねていると、地上の星空の真ん中を走る一条の黒い影に、ぽんっと橙色の光が点いた。それは黒い直線を挟むように二つずつ、遠くからゆっくりと順番に灯り、私に向かってくる。それは、提灯のようだったが、持つ者はいない。
辺りには葉擦れの音だけが聞こえている。
その提灯に少し遅れて、白い光もこちらに向かってきているのが見えた。それは柔らかく、どこか儚げで美しい。
尋常ではない状況にあっても、私の心はふわふわと、どこか他人事のようにその景色を受け入れ、その神秘的な光を飽きもせずに目で追い続けた。
それは徐々に近づいてくる。
近づくにつれ、光の球だと思っていたそれの形が明らかになってきた。
何者かが馬を引いている。
馬の上には誰かが横向きに乗っているように見える。
しゃんしゃんと鈴を鳴らして更に近づいてくる。
何者かは狐だった。水干に括り袴を着た二足歩行の狐が、錦の紐や布で飾られた白馬を引いていた。その上に横向きに乗っているのは、朝に祖母が着ていたような緋袴、小袖に千早。巫女装束の女性だった。顔はまだ見えない。
しゃん、しゃん、しゃん、しゃん
馬の歩みに合わせて鈴が鳴る。
邪気を払うように清々と。
私には目もくれず、ただ正面を見つめて進む。
しゃん、しゃん、しゃん、しゃん
馬上にいたのは私だった。私にそっくりな女性だった。
しゃん、しゃん、しゃん、しゃん
狐も、馬も、私も。私を通り抜けて先へ行く。
微かにお日様の匂いを残して。
しゃん、しゃん、しゃん、しゃん
少し音が離れたところで、私はふわふわとしたまま振り返る。
そこに在ったのは、仄かに光る大きな森と、大きな鳥居、奥へと続く石畳。
そして鳥居の下には、真っ白な斎服を纏った銀髪の美しい男性がいた。
狐と馬と私が鳥居に辿り着くと、狐と馬は最初から存在しなかったかのように忽然と姿を消し、私だけが立っている。
銀髪の男性が微笑を浮かべながら私の手を取り、ゆっくりと二人は石畳の奥へと溶けていった。
じきに仄かな光も消え、辺りは再び星々のざわめきと風に揺れる草木の音に包まれた。
ぼーん、ぼーん、ぼーん、ぼーん、ぼーん、ぼーん
朝が来た。
私は布団の中で目覚めた。
特に体に異常はない。
祖母が準備してくれた朝食を皆で食べた。
父も母も祖母も、どこかすっきりとした顔をしていた。
今日も雲一つない青空が見える。
挨拶もそこそこに、10時前には小森の家を発った。
東京で一緒に暮らさない? と母が祖母に聞いていたが、私はこの家で最期を迎えると、断られた。
父の運転する車は小森の集落を出て、山の縁の県道に差し掛かる。
雨だ。
窓に当たる音に父が最初に反応した。
空は相変わらず青々としていて、雨雲は見当たらない。
狐の嫁入りねと、母が言った。
その言葉に私の心は俄かに踊りだし、衝動的に言った。
お父さん、車止めて!
思い出したのだ。あのとき曾祖母がなんと言ったのか。
『この辺りの88歳を超えた女はね、死んだあと――』
濡れるのも厭わず、私は車から飛び出し、集落を一望できるところまで駆け寄った。
山野、いよいよ碧く、水田は鏡の如く空を映す。
植えられたばかりの稲苗は嫋嫋と揺れ、風の足跡を伝えている。
柔らかい雨粒がきらきらと光を弾けば、その景色は一層輝きを増した。
いつしか私の視界は雨に沈み、雨垂れが頬を流れた。
「結婚おめでとう、おとらばんちゃ」
【小森の花嫁 完】
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