おわりの冬

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おわりの冬

季節はあっという間に冬になり、オレは冬休みを迎えていた。年の瀬、兄も有休を取り早めに帰省したが残念なことにその婚約者は現れなかった。 部屋にずっと置いてある修学旅行のお土産。質素な紙包の中身は特段珍しくもないストラップ。無難だし、いつか何かに使えるだろうと思った。桜の花びらをモチーフにした可愛らしい物だ。父の言う通りその婚約者がなら、これは少し似合わないかもしれない。だけど、そのときは――。 オレは自分の思考にハッとする。そしてひとりかぶりを振った。 (なに考えてんだ。あのヒトにあげよう、なんて) そもそも渡す理由がない。突然中学生からこんなモノを渡されても困るに決まっている。 でもと思う。柔らかく笑うあの可愛らしい笑顔にぴったりではないかと。 “ハルさん” そっと紡いだあの人の名前。胸は高鳴った。 「なんだ冬馬? 土産なんか眺めて」 いつの間にか勝手に部屋に入ってきていた兄は面白いものでも見つけたようなイタズラな顔をしていた。オレは“なんでもない”と素っ気なく答えた。 「ていうか勝手に入ってくるなよ」 「一応ノックしたけど? 心ここにあらずって感じだったな」 ニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべる。なにか言いたげだ。そう良くないことを。 「ホントはそれ、好きな女の子に買ったお土産だったりして」 突然核心をつく兄に焦ったオレはバカ正直に真っ向から否定した。それは肯定しているも同然で、顔がみるみる間に熱くなるのが自分でもわかった。 「ははっ。かわいーな、冬馬は。渡せば? その人に。お土産」 あのときは鼻白む泣き真似までして喜んでいた兄だが、婚約者のことは別に気しなくていいからと言った。 「いや、いい。これは本当にそういうのじゃないから」 本当だった。買ってきたのは兄の婚約者へだ。 しかし頭に浮かんでいたのはあの人だった。女の人に物を買うなんて初めてだったからわからなかったんだ。どういう物を選べばいいのか、ましてや相手は大人の女の人。どういう人物かもわからない。だから仕方がなかった。 俺が知る身近で大人でキレイな女の人は“ハルさん”だけだから。 元旦初詣は友人と行くことになっていた。お年玉をもらい親戚に挨拶を終えたオレは神社へと向かった。引いたおみくじは小吉という冴えない結果だったが、自然と目が止まった恋愛運には“待ち人来る”と書いてあった。思わず目を見張る。去年の今頃なら誰だよそれと零していた不平も今年は違う。頭に浮かぶのはもちろんあの人で。 もしかしてここで会えたり? なんて浮ついた気持ちすら顔を出す始末。だけど当然待ち人には会えるはずもなく、それから屋台を巡りお喋りをしてオレは帰路についた。 「ただいまー」 夕飯は好物のすき焼きだった。すでにリビングからはタレのいい匂いがしている。準備万端のようだ。手洗いを終えたオレは匂いに誘われるがままリビングへと向かった。 そこでオレの足は止まってしまった。振り返る兄。その顔は何かを企んでいるようで。そしてその隣には――。 「っ―――」 心臓が止まるかと思った。自分の目を疑った。何度瞬きしてみても目に映るその光景は変わってはくれなかった。 驚きと嫌悪と受け入れられない現実と――。 俄にはとても信じられなかった。 オレの目の前で兄の婚約者で“春”と名乗るその人は、オレが密かに恋心を抱いていたあの“ハルさん”だった。心臓の鼓動が耳まで鳴り響き、喉がカラカラに乾き出す。全身が叫んでいるような感覚だった。 その人も一瞬ひどく驚いた顔をしたがすぐに笑顔に戻った。実は初めましてじゃないんだけどねと話すその人に家族みんなの視線が集まった。居た堪れなくなったオレはお土産を取ってくると逃げるようにしてその場を離れたのだった。 「まじかよ……待ち人来るって、ハハ。おみくじ通りってか……」 自嘲は虚しく響いて消えた。部屋に入りお土産を手にする。だけどオレはそこから動けなかった。目の奥が熱くなり、視界がぼやけた。胸が痛かった。オレは声を押し殺した。 まさか初恋がこんな形で終わるなんて。まさか兄の婚約者を好きになっていただなんて。 もっと早く会えていなら、こんなに思いを募らせることもなかったのに――。 言いようのない苦しみが込み上げた。 「早く行かないと……」 目元を乱暴に拭った。皮肉にも無駄にならなかったお土産。オレは自分の気持ちをしまうようにしてそれをポケットへと入れた。 夕食は終始賑やかだった。美人の婚約者を前に父も母も上機嫌で、オレはなんだかひとり取り残されたような気分だった。好物のすき焼きも今日は喉を通らない。だけど幸い、賑やかな食卓では誰もそれに気づかなかった。 夜風に当たりたくなったオレは夜散歩に出た。何とか都合をつけて駆けつけたらしいその婚約者も一緒に行くというから少し驚いた。 「少しお話したくて、一緒にいいかな?」 オレは頷いた。突き刺すような冷気が頬を撫でた。 「――あの日のこと、覚えてる?」 外へ出るとその婚約者は唐突に言った。 あの日とは言わずもがな痴漢から助けた日のことだ。オレは覚えていますと答えた。 「冬馬くん、お家の人に話していなかったんだね。さっきその話をしたらみんなびっくりしてて、言わない方が良かったのかなって後から思ったんだけど……」 その人は申し訳なさそうな顔した。だけど、オレはそれを否定した。あの日のことを話さなかった理由をこの人に今後も言うつもりはない。これはオレ自身の勝手な思いだから。 ――きっと深く傷ついただろう過去を他の人に言いたくなかった。オレなりにあなたを守りたかった。 そんなことを言ったら“ハルさん”を困らせてしまうと思ったから。これは自分だけが知っておけばいい。そう思った。 オレは思い出したようにポケットから紙包を取り出した。それは少しだけよれていた。 「これ。前に顔合わせ、参加できなかったから」 「くれるの? ありがとう。わあ、素敵なストラップ」 オレの知る――オレが恋をした、あどけなく笑う少女の“ハルさん”がそこにはいた。あの日へ一瞬だけ帰ったような錯覚に陥る。胸が少しだけキュッと音を立てた。 オレはかき消すようにして目を伏せた。 呆気なく散ってしまったオレの初恋。実ることはなかったけれど、これからはあなたを家族としてたくさん笑顔にしたい――そう思った。 今はまだつらく火照った心。そっと包み込むように夜の雪はしんしんと降りそそいでいた。 【初恋(男の子) 終】
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