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――結局、俺は残りの二人と、一番盛り上がるらしい後半のミス候補の女子の自己アピールを見ることができなかった。
青磁が退場した後も発情が酷くなる一方で、薬を飲んで、誰もいない場所で身体を落ち着ける必要があったからだ。
でもそんな場所、この立山祭の人混みの中にはどこにも無くて。
今日の予選の結果が気になって仕方がなかったけど、俺は一人、なるべく空いている電車を選んで人目を避け、家に帰るしかなかった。
フェロモンはダダ漏れだっただろうけど、青磁にしか効かないのが幸いだ。
(……発情期、全然来てなかったのにな……)
自分の部屋のベッドに潜り込んだまま、暗い天井を見あげる。
部屋の隅の勉強机の上に視線をやると、青磁に投げてよこされた、片方だけのピアスが鈍く光っていた。
……家に帰りついてから、どのくらい時間が経ったんだろう。
帰ったら一人でしようと思ってたけど、何故か全然そんな気分になれないまま、興奮がおさまってしまって……ベッドに入っても、疲れがどっと出て眠ってしまっただけだった。
今は妙に目が冴えてるけど、やっぱり発情の気配はない。
多分、抑制剤のせいだけじゃない。
青磁と出来ないなら、意味がないからだ。
つがいになってから、俺の身体はどんどんワガママになってる気がする……。
発情が落ち着くと、航がどうなったのか気になって仕方なかった。
裕明か航に電話してみようか。
忙しいかな……。
逡巡しているうちに、部屋の外で鍵を開ける音がした。
父さんかパパのどっちかかと思ったけど、今は発情期で二人ともマンションの別室に居るはず……。
仁美は予備校で遅いはずだし、だとすると。
ベッドから転がり出てドアを開け、俺は廊下に飛び出した。
玄関の方を見ると、ちょうど犬頭に変わったばかりの、普段着のパーカーとデニム姿の航が靴を脱いでいる。
「わ、航、お帰り……! ごめんな、今日、最後まで見ててやれなくて――」
声をかけながら、デニムのお尻の穴から出ている航のフサフサの尻尾に目をやる。
た、垂れてる……。
何となく嫌な予感がした。
それ以上何も言えなくなって固まっていると、航が廊下に上がってくる。
逞しいその身体が近づいてきて、静かに俺のことをぎゅっと抱き締めた。
胸から首元に生えてる毛がもふっと頬にあたって、温かい……。
「――ただいま。岬、俺の番の時は、ちゃんといてくれたよね。分かってたよ、見に来てくれてありがとう」
尻尾がちょっとだけ、左右にワサワサ振られている。
少しだけ安心しながら、俺も航を抱き締め返した。
「本当に、頑張ったな」
「……うん」
「かっこよかったよ、航。俺にとって一番かっこいい男は、やっぱり航だと思う。俺、航に投票した」
「本当に?」
「本当だよ」
言いながら両側からいっぱい頭と首をナデナデしたら、大きな舌で顔をペロペロなめて返された。
「あははっ、やめろ、くすぐったいって……!」
ミスコンではあんなにかっこよかったけど、航はやっぱり変わらないなあ……。
どこか遠い世界に行っちゃったような気がしたけど、家に帰ってきたらやっぱり俺の弟で、心の底から安心する。
しばらくぎゅーっと抱きついて堪能していたら、航が静かに大きな口を開いた。
「……岬がかっこよかったって言ってくれたから、悔いがなくなったよ」
その言葉に、何となく結果を察してしまって、無意識に身体が強ばる。
じっと、黒くて少し垂れ目がちな、可愛い瞳を見た。
「航……」
「……俺ね、明日の本選に行く三人には残れなかったよ。青磁は選ばれてる。悔しいけど、これで青磁との勝負は俺の負け」
身体中から力が抜けていくような気がした。
航は凄く頑張ってたのに。
配信だって、結構人気があったし……。
SNSのフォロワーだって、他の候補者に比べて遜色ないぐらいいたはずだ。
一般投票でなら負けてないはずなら、学内投票があまり良くなかったんだろうか。
どうしても納得できなくて、俺は首を振った。
「何で……!? どうして」
「うーん……それは俺にも分からない。一年生だと選ばれにくいとか、大きいサークルに入ってないと学内投票で不利とか、色々そういうのは聞いたけど……でもね、もういいんだ。だって、岬の一番は俺だったんだからね」
航が俺の頬にスリスリ懐いてきて、切ない気持ちになった。
あんなに頑張ってたのに。
一番悔しかったのは、航だろうに……。
航は泣いてないのに、俺の目から涙がぼろぼろ出てきてしまった。
グスグスすすり泣き始めてしまった俺の頬を、航が大きな舌で舐めとる。
「あはは。何で泣いてるの、岬」
「だって、悔しいだろ……! 俺の弟が選ばれなかったなんて、もう本当に悔しい……」
航の首の毛を思わず強く掴んでしまった俺の手に、硬い肉球が触れた。
「いいんだよ。俺ね、ミスコンがきっかけで友達も増えたし、普通に大学生してたら絶対しなかったようなことも沢山できて、凄く楽しかったから。だから本当にもう悔いはないんだ。……でも、ありがとう、俺のために泣いてくれて」
俺を抱く腕に、ぎゅっと力が込められる。
優しい声が切なくて、やっぱり涙が止まらなかった。
「今日、一緒に帰れなくてごめんな……」
思い出して、改めて謝った。
「……気にしてないよ。青磁が出てた時に辛くなっちゃったんだよね?」
航が顔を覗き込んでくる。
俺は小さく頷いて、涙を拭いながら口を開いた。
「……なんか俺、おかしいんだ。今はなんともないのにあの時は……」
航が無言で長い金色の睫毛を伏せ、俺の背中を撫でる。
そして、ふと、思い出したように口を開いた。
「……帰り際に青磁に会ったけど、明日、終わった後で会おうって伝えてくれって伝言頼まれたよ。メッセで送ればいいのに、わざわざ俺に勝利宣言って感じで」
「え……? あいつ、あの後、犬の散歩にいったんじゃないのか……?」
「青磁は本選に残っちゃったから、バイトの後でまたキャンパスに帰ってきたんだ。多分、今かなり大変なはずだよ」
「大変……?」
「本選に残ると、ミスの方のファイナル候補とペアになって、二人でシチュエーション劇っていうのをやらされるんだ。ペアの組み合わせとテーマをくじ引きで決めて、そのテーマに沿った寸劇をたった一晩で考えなきゃいけない。本選までにセリフを覚えて、演技の練習もして……多分、どのペアも今夜は徹夜作業だと思う。青磁の相手は南野さんになったみたいだけど」
「え……」
南野さんて、あの青磁の元・恋人未満だ。
その二人が、夜通しこもりきりで一緒に共同作業を……?
いやいや、聞くだに凄い大変そうだからそんないい雰囲気にはならないかも知れないけど……胸がざわついて、締め付けられる……。
「ち、ちなみにテーマって……?」
「分からない。けど、どのテーマでも必ず告白シーンが入ってくるのが決まりなんだ。愛してるとか、好きですとか……」
言葉で殴られたような衝撃があった。
たとえ演技とはいえ、青磁が俺以外に愛してるとか好きですとか……!?
俺自身もまだ言われてないのに!?
ショックでクラクラしつつ、平気を装って会話を続けた。
「せ、青磁、演技なんか出来るのかな……」
「うーん……意外とちゃんとやるんじゃないかな。今日だってそうだったし」
航が耳の付け根をピクッと動かしながら首を傾げる。
「そ、そう……?」
「だって、青磁はもともと岬の為だけにミスコンに出たんだろ。元々こういうのにわざわざ出るような性格じゃないのに、あそこまでやったっていうのは……よっぽど俺に勝ちたくて、真剣に考えたんだろうなぁと思って……それってつまり」
「……つまり……?」
「分かりにくいけど、岬の為に頑張ったってことだろうなと思って。――だから、明日も真面目にやるんじゃないかな」
「そ、そうかな……?」
うーん……。
今日も、バイト先の犬の散歩の方を優先されたけど、本当にそうかなぁ……。
「……岬、身体大丈夫? 明日、本選見に行けそう?」
きかれて、俺は俯いてしまった。
「……薬を飲めば大丈夫かもしれない、けど……」
行くべきか、行かざるべきか。
でも、青磁がこのミスコンに参加することになったきっかけは、俺が撒いた種でもある。
……行こう。抑制剤多めに飲んで……ちょっと辛いかも知れないけど。
心の中で覚悟を決め、俺は頷いた。
「行くよ」
「そっか。……でも今日は、俺を構ってね」
航が尻尾を振りながらさらっと豹変して、俺の背中を押し、リビングの方へ歩き出す。
「ちょ、兄離れするんじゃなかったのか!?」
思わず突っ込んだら、航はクスクス笑いながら鼻先で俺の髪の毛にじゃれてきた。
「それは、明日からに延期」
「なんだそりゃ!? 仕方ないなぁ……じゃあちょっと俺、今から夕飯作るよ。それでさ、……食い終わったら一緒に散歩に行こうか」
航の首に抱きつくみたいにして、首の毛ワシャワシャで反撃する。
「えっ、大丈夫なの。……体」
心配そうに言われたけど、
「うん、今は平気だから。俺一人で作るから、航は休んでていいからな」
微笑んで、ぽふっと航の背中をたたいた。
「本当? じゃあ俺、白いご飯が死ぬほど食べたいからいっぱい炊いて」
途端、航はちぎれんばかりに尻尾を振って、ハッハッと息を上げて犬みたいに興奮し始めた。
もう、完全にいつもの航だ。
……良かった。元気になってる……。
「あははっ。今日からはどれだけ太っても平気だからな。十合ぐらい炊くか!」
腕を上げて宣言すると、航は嬉しそうに肩を竦めた。
「それはさすがに……デブ犬になっちゃうよ」
目を見合わせて、一緒に吹き出す。
こういう会話、なんだか子供の頃に戻ったみたいだ。
やっぱり俺は航が大好きで、航も俺が大好きで、絆があって……それは多分、ずっと変わらない。
たとえ、俺のつがいが青磁だったとしても……。
――明日のことはとりあえず、明日考えよう。
今日は盛大に弟を甘やかす! ……ってことを心に決めて、俺は意気揚々とエプロンを身につけたのだった。
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