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思わずひっと息を呑む。
心の準備が足りないのに、もう二人が出てくるとは。
汗ばむ道衣の合わせを少し緩めてなるべく平常心を保ち、舞台の上を見上げた。
司会者が引っ込み誰もいなくなった舞台が一度暗転し、背景の明るいホリゾントライトが再び灯る。
上手から歩いて舞台の真ん中に現れたのは、俺すら見たことのない、黒の学ラン姿の青磁だ。
耳には相変わらず片方だけ、キラキラ光るダイヤのピアスが付いていて、不良っぽくてカッコいい。
高校の時はブレザーだったけど、学ランもストイックな雰囲気で、今の髪型に凄く似合う……!
レア青磁だし、撮影OKだったら写真を撮りまくりたいぐらいだ。
虎頭になったらもっとかっこいいだろうなあ。
終わった後でなら撮らせて貰えるかな……?
ドギマギしながら見つめていると、同じく上手から、古典的なセーラー服姿の南野ゆりなさんが現れた。
化粧や髪型が大人っぽいせいか凄い年上のように思えていたけど、セーラーを着て髪をストレートにするととても初々しくて、ちゃんと女子高生っぽい。
というか、美男美女二人並んだだけで爽やかで甘酸っぱい青春感が凄い。
「青磁、ごめんね。待った?」
「……別にお前のことなんか待ってねえし」
青磁は南野さんを冷たくあしらい、歩き始めた。
南野さんが彼の腕に縋り付き、二人は舞台の上をぐるりと一周するように歩き始める。
「もう、青磁っていつもそうだね! そんなこと言って、毎朝ここで私のこと待ってるじゃん。もう、何考えてるのか全然分かんないんだから」
全く同感だ。
と頷きそうになって、気付いた。
多分この筋書き、南野さんが作ったんだろうなぁ。
青磁はとてもこんな寸劇のセリフ作りに精を出すタイプとは思えない。
二人はくっついたり離れたりしながらしばらく歩いていたけど、途中で南野さんがステーンと派手に転んだ。
「いったぁい! 足、ひねっちゃったみたい」
「……全く、何やってんだよ、ゆりなは。相変わらずどんくせぇ女だな」
手を差し出す青磁のセリフが完全に古典ラブコメディ風になっていて、ブッと吹き出しそうになった。
いや、笑うところじゃない。うん、事実ちょっとだけときめいたし。
「ほら、おんぶしてやるよ」
青磁が舞台に片膝を付き、南野さんに背中を向けた。
「やだ、恥ずかしいよ青磁」
嫌がる素振りをしてはいるけど、南野さんの顔は頬を紅潮させた笑顔で、素で嬉しそうだ。
「いいから、早く」
「しょうがないなぁ……じゃあ、おんぶさせてあげるっ」
キャーッと客席から黄色い悲鳴が上がった。
南野さんが青磁の首筋に後ろから抱きついて、その華奢な身体が学ランの背に軽々とおぶさっている。
途端、チリチリどころではない、ガスバーナーから出るみたいな嫉妬の炎が俺の心で燃え上がった。
絶対胸が当たってるよなあれ……!?
狙ってるよな、南野さん!?
くそ、俺だって学ランの青磁に背負われたかった……!!
俺だって……犬の時は、よく抱っこして貰えるんだからな。……犬の時だけは。
懐かしい二年前のことを思い出した。
犬の俺を、抱っこで初めて家に連れ帰ってくれた青磁を。
『やばいくらい可愛い……なあ、マジで少しだけ俺んちの子になってくれんの……?』
あのいつもお洒落な青磁が、Tシャツとスウェットパンツだけの格好で慌てて迎えに来てくれた。
あの時の青磁、優しかったな……。
俺が一人で思い出にふけっていると、舞台上では学校に辿りついた設定なのか、青磁が南野さんの身体を下ろした。
「あー……すげー重かった」
青磁が何気なく言い放ったセリフに、南野さんの顔が一瞬引き攣る。
「えっ……」
南野さんの戸惑いに、俺も気づいた。
……これセリフじゃない。青磁の素だ。
とっさに南野さんが、フォローするように青磁の肩をバン! と強く叩いた。
「やだもう青磁ったら意地悪!」
「イテッ」
これも本当に痛い時の声だ。
相当強くやられたらしい。
「じゃあね、青磁。また放課後」
「ああ。またな」
そっけなく手を振って別れ、ズボンのポケットに手を入れて下手に去っていく青磁。
舞台が暗くなり、舞台上に残った南野さんは、スポットライトの下で独白を始めた。
「青磁は、私のことどう思ってるんだろう。私は小さな時から青磁が一番好きなのに、彼は絶対私のことを好きと言ってはくれない。それなのに、時々凄く優しくしてくれるから、諦めることもできない」
うっ、南野さん演じる南野さんの気持ちが分かりすぎる。
なんだろう、この上手くいって欲しくないけど応援したいような微妙な気持ちは……。
南野さんの迫真の演技のせいだろうか。
それにしてもこの劇、さっきみたいなコメディじゃなく、恋愛ドラマ感が凄くある。
女の人が書いた筋書きだからかもしれないけど……。
「そして数日後。青磁と私は、彼の家で一緒に勉強することになった。……私はある決心をして、それを青磁に話すつもりだった」
独白の終わりと共に、ステージ上が照明に照らされる。
見慣れた青磁の家のガラステーブルと、その前であぐらをかいて勉強している学ランの青磁が現れる。
南野さんはその向かい側に座って、一緒に勉強を始めた。
なんだか懐かしい光景だ。
大学受験の時によくああして俺も一緒に勉強したっけ……。
「ねえ、青磁」
南野さんが向かいの青磁に話しかける。
「……あのね、私……同じクラスの天野君に告白されちゃったんだ」
「へえ。それで?」
青磁は視線を上げようともしない。
こういう演技させると本当にハマるよな。
……いや、演技なのか?
俺もよく会話をしかけてこんな風にあしらわれることがしょっちゅうだったぞ。
「それでって……。だからね、私、付き合おうかと思ってるの。天野君と。だからもう、ここには来られない」
「ふーん。いいんじゃねえの」
心底どうでも良さそうに答える青磁に、南野さんがガタッとガラステーブルに膝をぶつけながら立ち上がった。
「青磁のバカ! 私のことなんて本当にどうでもいいんだね。よく分かったよ!」
怒って帰ってしまう南野さんと、追いかけようともしない青磁。
ヤバい。身に覚えがありすぎて、なんだか嫉妬とは違う意味で心臓が痛くなり始めた。
舞台が暗転して、そこに可愛い感じのオルゴール音楽が流れ出す。
青磁も密かに退場した後の舞台に、回る映写機の効果音が流れ始めた。
ホリゾントが明るくなり、次々と古い写真が投影され始める。
そこに写っている女の子の無邪気な表情で、南野さんと青磁の、それぞれの子供の頃の写真が、スライドショー式に流されているのだと気付いた。
美人な人は、子供の頃から美人なんだなぁ……。
『子供の頃から、ずっと一緒だったのに。どこですれ違っちゃったのかな』
南野さんのもの寂しげなナレーションが入る。
本当の幼馴染みじゃないから一緒に写ってる写真はもちろんないけど、いい演出だ。
見入っていると、可愛いホワイトタイガーの赤ちゃんの写真が一瞬、大きな画面に浮かぶ。
「わあっ……」
周りの観客と一緒に、俺は思わず声をあげてしまった。
青磁の昔の写真なんて、見せてもらった事が無かったから、めちゃくちゃ興奮した。
目が開いてない、まだ斑点みたいな模様しかない、赤ちゃんの頃の青磁。
チビなのに一人前に前脚がぶっとくて、白い毛がホワホワで、細い尻尾はシマシマになっていて、ハチャメチャに可愛い。
あくまで人間として戦わなきゃいけないのに、ここでこんなのをぶち込んでくるなんて、反則じゃないか!?
でも獣人は三歳までは獣で育つし、演出上の不可抗力と言えばそうだよな。俺得だから、個人的には許せる……!
あんな赤ちゃんが、俺も欲しいな……。
他にも、ロングヘアを黒髪に染めている子供の頃の青磁とか、地の銀髪になり、いきなり不良っぽくなったけどどこか幼い中学生の青磁とか、初めて見る写真がどんどん流れていく。
ああああ、ずっと見ていたい。
南野さん、良い筋書きありがとう……!
青磁に言って、絶対に後でデータをコピーさせてもらおう。
夢中で見入っていると、スライドショーは終了し、突然カーン、カーンと教会の鐘の音が鳴り出した。
『そして、五年後。私は、別の人と結婚することになった』
ナレーションとともに、ウエディングドレス姿になった南野さんが現れ、驚愕する。
そんな……!
南野さん、別の人と結婚しちゃうのか!?
青磁のことが好きだったのに……!?
って、青磁の言動がリアルすぎてすっかり気持ちが南野さんに感情移入してしまっている。
もはや当初の嫉妬心もどこかに飛んでしまっていた。
ベールをかぶった清楚なウェディングドレス姿で、上手(かみて)からしずしずと舞台の真ん中に進み出ていく美しい南野さん。
そんな彼女に対して、下手(しもて)からは黒い細身のスーツに白ネクタイ姿の青磁が現れ、ゆっくりと歩いて近づいていく。
モデル体型とカリスマ溢れる容姿、立ち居振る舞いの優雅さ。相変わらず、何を着ても完璧にカッコいい……けど、なんかムカつく。
南野さんは演技とは思えない、涙ぐんだ真剣な表情で青磁のことを真っ直ぐに見た。
「私、結婚するね、青磁……」
紅い唇が震えながら告げる。
青磁は鋭い切れ長の瞳でギリ、と南野さんを睨んで、低い声で言い放った。
「お前、本当にそれでいいのかよ? 何か、俺に言いたいことがあるんじゃねえの」
何故か俺までギクッとする台詞だ……。
ハラハラしながら見守っていると、南野さんは感情もあらわに、両腕で青磁に抱きついた。
「……何で今更そんなこと言うの!? 私はっ、私はずっと青磁のことが……っ、好きだったのに……っ!」
青磁の瞳が、ふっと微笑む。
「やっと言ったな。……おせぇんだよ、お前は」
スーツの腕が彼女の背中に回り、抱き締める。
この後は青磁が花嫁を盗んで駆け落ちして、ついにハッピーエンドなのか――と思いきや、
「――けど悪いな、ゆりな。俺、実はもう結婚してんだわ」
青磁はにこやかに笑って、トン、と南野さんの豊満な胸を手の平で突き放した。
「はあ……!? 何言ってんの……!?」
南野さんが怒りに震えて叫ぶ。
見ている俺の方だって突然の展開に怒髪天だ。
幼馴染みに告白させといて、そんな答えありか!?
ってか青磁お前、いつのまにどこのどいつと結婚してんだよ!?
たとえ架空の設定でも許せん……!
歯を食いしばって次の展開を待っていた俺に、唐突に青磁の視線が移った。
「あそこの、こんな場所で堂々と白袴着てるアレが俺の旦那」
軽いノリで指差されて、頭の中が真っ白になった。
待て。
今お前、なんつった……?
「せ、青磁!? どうしちゃったの!?」
舞台上でへたりこんだ南野さんのうろたえ方はどう考えても本物だ。
とすると……。
頭の中が悪い予感で一杯になる。
「よっと」
青磁がヒラリと舞台を飛び降りた。
その足がツカツカと通路を進んで俺の座っている三列目まで来る。
彼は間違いなく俺の方を見て、こっちに手を伸ばしてきた。
「おい、来いよ岬。紹介するから」
何が現実で、どこまでが虚構なのか、頭が混乱する。
「は……はああ〜……? いや、ちょ、お前!」
いやいやいや、俺は今関係ないだろ!?
やめてくれよ、俺に客席中の注目が集まっちゃうじゃないか!?
青磁を照らすスポットライトから逃げようと必死で身を引いたけど、青磁は狭い座席の間まで入り込んできて、無理やり俺の腕を引っ張り上げた。
「あのなっ、何すんだっ、青磁!」
強制的に立ち上がらされ、手首を握られたままぐいぐい引かれて舞台へと続く中央の階段を登らされた。
「や、やめろって、青磁……!」
まるで警察に連行される犯人だ。
よろけながら南野さんの前に立つと、青磁が俺の肩を抱いてグイッと強く引き寄せる。
「……お前だけずっと安全な場所で見てるだけなんて、ズルいだろ? ちょっとは見られる気分、味わってみろ」
耳元に悪戯っぽく囁かれて、ヒッと息を呑んだ。
こいつ……、最初からこれを企んで――。
必死に青磁の腕から逃れようとしたけど、びくともしない。
クソッ、何考えてんだっ。
暗がりの中にいる五百席余りの客席の人間が全員、あっけにとられてもがく俺と青磁を見ている。
俺だってさっきまではあっち側にいたのに。
何で、どうしてこんな事になったんだ……!?
パニクっていると、無理矢理青磁に顎を掴まれて、顔を横に向けさせられた。
透き通るようなアイスブルーの瞳を持つ美貌が、意地悪に微笑みながら至近距離で俺を見つめる。
「覚悟しろよ……俺と結婚するっていうのは、こういうことだからな。――愛してる、岬」
初めて聞いたその言葉に、一瞬ノーガードになってしまった俺の唇を、青磁は易々と奪った。
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