Curiosity killed the man

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Curiosity killed the man

     その日は雨が降っていた。  ……といっても、アパートを出るまで、そのことに僕は全く気づいていなかった。  カーテンを閉め切った部屋に閉じこもり、一日中ゲームをしている僕には、外の天候なんて無関係だったからだ。  それでも。  大学生の一人暮らしだ。自分の食事は、自分で用意しなければならない。外食するにせよ、買ってくるにせよ、とにかく外へ出ないといけないのだ。まあ他人と接するのが嫌いな僕は、安食堂の注文程度の会話すら気が進まず、もっぱらコンビニで弁当を買うことが多かったのだが。 「もうこんな時間なのか……」  暗い夜の道を、黒い傘を差して、いつものコンビニへと歩く。  わざわざ見上げたりはしないが、きっと空は雨雲に覆われているのだろう。月明かりも星の光も皆無で、足元を照らすのは、ポツリポツリと存在する街灯だけだった。  大学の近くだけあって、この辺りには、学生向けのアパートやマンションも多いらしい。いつもは夜でも人通りは絶えず、特に今は、夏休みという浮かれたシーズンのはずなのだが……。  今夜は、傘を叩く雨音がハッキリと聞こえるような、降り具合だ。さすがに、出歩いている人の姿は見えなかった。  行きつけのコンビニも、透明なドア越しに、中の店員が暇そうにしているのが見て取れた。 「いらっしゃいませー!」  僕が入っていくと、レジにいた男が、元気よく声を上げる。おそらく、そういうマニュアルなのだろう。  僕と同じくらいの年齢の、でも僕とは違って、顔や髪型を見ただけで「社交的!」って思える雰囲気の男。大学生のアルバイトっぽいが、人付き合いの苦手な僕から見れば、接客業のバイトをするなんて、それだけで尊敬に値する。 「……」  僕は無言のまま、弁当の棚へ。まずは、帰ってすぐに食べるのを一つ選んで、それから場所を移動。六個入りバターロールの袋を手に取った。  経験から学んだことだが、ゲームをしながら食べるには、パンの買い置きが便利なのだ。袋の上から掴みながら食べれば、手が汚れることもないし。 「……」  また無言のまま、弁当とパンの袋を、レジへ持っていく。弁当を温めるかと聞かれるが、黙って首を横に振る。別に冷たいままでも食べられるし、それよりも、温めを待つ間の『()』が我慢できない。最初は知らずに温めてもらったのだが、その一度だけで僕は懲りていた。 「776円になります。……あっ、惜しいですね!」  何が面白いのか、バイトの男は、僕に微笑みかけてきた。あと一円でスリーセブンだった、とでも言いたいのだろうか?  こういう無駄な会話が嫌いだからこそ、僕はコンビニを利用しているというのに……!  コンビニからの帰り道。  アパートまでは、わずか五分。だが、途中に川があり、一つ橋を渡ることになる。もちろん、コンビニへ行く時も通った橋だが……。 「……えっ?」  渡ろうとしたところで、思わず声を上げてしまった。  橋の途中に、何か置かれているのだ。行きにはなかったシロモノが。  それは、遠目では、脱ぎ捨てられた靴のように見えて……。  雨で水かさの増した川、その上にかかる橋。そこに脱いだ靴を置いておくといえば、投身自殺!  そう思った僕は、 「まさか!」  急ぐ必要もなかったのに、駆け寄ってしまった。  しかし。 「なんだよ、人騒がせな!」  近づいたところで、自分の誤解に気づく。  自殺なんて大間違い。そもそも、それは『靴』ではなかった。  卵のパックだったのだ。一パック十個入りの、きれいな白い卵だ。 「でも、なんでこんなところに……?」  未開封の卵パック。誰かが落としていったのだろうか? いや、それならば割れてしまうはず。それに、橋の向きに揃えて置かれていることからも、とても落とした卵とは思えない。  不思議な出来事だ。まるで、RPGの途中で出てくる、謎イベントのような……。  RPGといえば。  僕が今やっているネットゲームは、いわゆるオープンワールド形式の、自由度の高いRPG。他ユーザーとの協力プレイも推奨されているRPGだが、リアルな人付き合いも(いと)う僕が、ゲームという遊びの中で他人と関わりたいはずもない。だから僕は、一人で淡々と頑張っていた。  そして、ソロプレイを進める上で大切なのが、途中で入手できる様々なアイテム。特にステータス向上に関わるアイテムは、そのゲームの中では、卵の形をしているのだった。  ひたすら卵をかき集めるというプレイスタイルもあるくらいで、一部では『たまごプレイ』と呼ばれているのだが……。 「ちょうど現実で、謎の卵に出くわす……。これも何かの縁かな?」  ゲーム気分の好奇心で。  僕は、その卵パックを拾って、持ち帰ることにした。  家に帰った僕は、好奇心よりも、まずは食欲。  拾った卵は、パック未開封のまま冷蔵庫に入れて、弁当を食べ始めた。  パソコンの画面は()けっぱなしだったので「さあゲームの続きを!」と僕を誘っている。  視界から消えた時点で、卵に関する関心も小さくなっており……。  僕は弁当を食べながら、ゲームに戻るのだった。  ガタガタッ!  異様な物音で、僕は目を覚ました。 「あっ……」  いつのまにか、僕は寝落ちしていたらしい。顔を上げると、パソコンの画面はスリープ状態で、真っ暗になっている。マウスを動かすと明るくなったが、復帰した画面の中では、僕のゲームのキャラが、無残に殺された状態で停止していた。 「あーあ。やり直しだ……」  それよりも。  あの『ガタガタッ』という音は、まだ続いている。  恐る恐る振り返ると……。 「ひっ!」  冷蔵庫が、激しく揺れていた。この物音は、冷蔵庫の振動音だったのだ。  いや電気製品である以上、冷蔵庫は少しくらい振動もするのだろうが、それは「ブーン」という程度だろう。これは「ガタガタッ」なのだ。明らかに異常ではないか! 「まるで……。中で何者かが暴れているかのような……」  子供の頃に聞いた話を思い出す。怪談だったか、ホラーだったか、定かではないが……。とにかく、冷蔵庫というものは、中からは開けられないのだという。間違って入ってしまうと、一生閉じ込められてしまうのだ、という恐怖譚だった。だから隠れんぼなどで入ったりしてはいけない、という教訓話だったのかもしれない。  大きくなってから「それは嘘だ」とか「そういう仕組みの冷蔵庫もあるが、中からでも開閉可能なタイプの方が多い」とか、そんな情報も耳にした気がする。だが僕は「どうせ冷蔵庫に入る機会などない」と聞き流していた。  そんな話を思い出しつつ、 「誰かいますか? 入ってますか?」  つい、冷蔵庫に声をかけてしまった。  冷静に考えるならば、僕の部屋の冷蔵庫に、僕が知らぬ間に誰か入っているならば、それは不法侵入者ということになる。僕が留守にしていたならばまだしも、眠っていたとはいえ在宅だったのだから、泥棒が入ってきたとも思えないのだが……。  そんな僕の思考を裏切って、まるで僕の呼びかけに返事するかのように、冷蔵庫の「ガタガタッ」は、いっそう大きくなった。 「おいおい、何だっていうんだよ……」  いやいや、僕の冷蔵庫は、一人暮らし用の冷蔵庫だ。大の大人が隠れられるような大きさではない。「中に誰か入っている」としても、子供か、あるいは犬や猫のような動物だろう。  それならば。  僕は冷蔵庫に近づき……。 「開けるぞ! 開けてやるぞ!」  自分に言い聞かせるように呟きながら、扉を開いた。  その瞬間。  中から、が飛び出してきた。 「おい、おい。何だよ、これは……」  僕の目の前では、今。  何本ものドライバーが、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。  一般的なプラスドライバーやマイナスドライバーの他に、ボルトだかナットだかに対応したドライバーもあれば、工具に詳しくない僕にはわからないような特殊なドライバーもある。  細い部分は金属製の銀色で、太くなった()の部分は、赤や青や緑や黄色や、それぞれ異なるカラフルな色合いだった。  生き物ではない工具たちが、ぴょんぴょんと自発的に動き回っていることに、まず僕は驚くべきだったのだろう。だが、異常な事態を前にして、僕の頭に真っ先に浮かんだのは「冷蔵庫に工具を入れた覚えなんてない!」ということだった。  その気持ちのまま、冷蔵庫の中に視線を向ける。  ここで、ようやく気づいたが、未開封だったはずの卵パックが、いつのまにか開封されている。しかも、パック内の卵も全て、十個とも割れている! 「まさか……。お前たち……」  ぴょんぴょん動き回るので、ちょっと数えにくいが。  色違いなのを利用してカウントしてみると、ドライバーたちも、ちょうど十本。ならば、偶然ではないだろう。 「そうか、卵から生まれたのか」  生きたドライバーというのもファンタジーだが、卵から生まれたとなると、妙に納得してしまう。卵をアイテムとするRPGに染まった、ゲーム脳なのだろうか。  まあ、いい。ゲームの中から、現実世界に飛び出してきたようなものだと思えば……。 「さあ、お前たち。おいで!」  僕は微笑ましく感じて、ドライバーたちを迎え入れるように、両手を広げた。  ドライバーたちも、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、嬉しそうに僕の方へと近寄ってきて……。 ―――――――――――― 「こりゃあ、酷いですね。よほど恨まれていたのか……」 「滅多刺しだもんな。しかも鋭利な刃物ではなく、こんな工具で。かえって痛いぞ、これじゃ」  現場で言葉を交わす刑事たち。  彼らの目の前では、発見された状態のまま、若い男の死体が横たわっていた。  全身には無数の刺し傷が見られ、死体の(かたわ)らには、凶器と思われる工具が――血のついた十本のドライバーが――転がっていた。 「冷蔵庫の扉が開きっぱなしというのは、何でしょうね? クーラーの代わりでしょうか?」 「この世代の若者の考えなんて、俺たちにはわからんよ。冷蔵庫の中といえば、妙なのは卵の殻だな」 「ほんとだ。べちゃっとしてないから、生卵が中で潰れたというより、わざわざ冷蔵庫の中で、ゆで卵を剥いて食べた感じでしょうか」 「先入観はご法度だぞ。この卵の殻、鑑識に調べてもらっておけ」  卵に着目した刑事たちは、ある意味、鋭かったのかもしれないが……。  現場を写真撮影する鑑識係が、ライトを照らす度に。  まるで警察職員たちをあざ笑うかのように、十本のドライバーの金属部分が、鈍い光を反射させるのだった。 (『たまごの中から ―― Curiosity killed the man ――』完)    
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