To be or not to be

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 社会科の先生で、テストの問題が難しく、採点も非常に厳しい先生だった。秦の始皇帝が万里の長城を築いた理由を説明させる問題で、「北方の民族の侵入を防ぐため」の「騎馬」の2文字が抜けただけで3点中2点減点になったという話は学校中の皆に知れ渡ったぐらいである。その一方で授業は歴史の裏話などをふんだんに交えた授業を行っており、谷崎先生の授業で寝ている生徒は見たことがなかった。  部活動では陸上部の指導に熱心だった。私を400m走に出るように提案してくれ、県大会へと連れて行ってくれた。そして谷崎先生自身も陸上が、いや、スポーツ全般が大好きだった。トライアスロンに何度か出場しており、何度も完走していた。部活動の終わりにそのときの写真を見せてくれたこともある。この人だけは何があっても死なないのではないか?と誰もが思っていただろう。  しかし、人間の致死率は100%だとどこかの学者の先生が著書に書いている。谷崎先生も例外ではなかったらしい。71歳の天寿を谷崎先生は全うされた。 「お前、住んでるのだいぶ遠くだったよな?お通夜、明日なんだけど、来るか?」  新幹線で片道5時間。ただ、私はどうしても行きたかった。 「月曜、半休とるよ。行くわ」  私はそういって電話を切ると、旅支度を始めた。  翌日、新幹線の窓際に座っていると、桜の並木が目にとまった。桜の花びらが風に舞って吹雪いており、枝には緑が色づきはじめている。桜の花がは咲き始めてから2週間ぐらいで散ってしまう。1年の中のたった2週間だ。  ふと思った。 ――人間の命って、何なんだろう…………。  地球が生まれて46億年。その中で1人が一生を終えるまでは80年ぐらい、どんなに長くても100年程度だ。人が腹の底から喜び、天を衝くほど怒り、心の底から悲しみ枯れるまで泣いたとしても、桜は毎年春になったら咲くのだ。この大地の自然に比べ、人の命はどれほどまでに儚いのだろう?  書きたい。  書きたい。  この思いを、何かに乗せたい。  私は、走る新幹線の中でスマートフォンを握っていた。    書くべきか、書かざるべきか  そんなことはもはや問題ではない。  書きたいのか、書きたくないのか。  それが問題だ。そしてその答えはもう、出ている。  新幹線が目的地に着いたとき、原稿用紙10枚程度の掌編を私は書き上げていた。直接的な表現は一切使っていないが、谷崎先生への思いを散りゆく桜に乗せて描いたつもりだ。文章は走り書き、構成だってお世辞にも洗練されているとはいえない。キャラクターも緻密につくりあげたか?と言われればノーと答えるしかないだろう。でも、この思いだけは全力でぶつけたつもりだ。  私はスマートフォンに表示されている公開のマークをタップした後、「すーこんへ応募する」と記された箇所をタップし、応募を済ませた。  書きたいものを書き、思いの丈はぶつけた。  もう、それで十分だ。  私がそう自分に言い聞かせた瞬間、新幹線のドアが開いた。
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