私は鮮やかな世界で生きている

1/3
前へ
/3ページ
次へ
 太陽の眩しさは目を痛める。    だから私は自分の影を見ながら歩くことが多い。しかしそればかり見つめていたら、影は靴底から離れて目の前で立ちはだかる。行く道を阻んで見えないから、街路樹の陰でひと休みしようと立ち止まる。  私は黒の服を好んで着ていたから、私の視界のそれが周囲にも見えているならば、黒のシルエットの二人話し込んで、それは私を虐めているように見えるだろうなと思った。  そうして突っ立っていたら、中年の女性に大丈夫かと、太陽を集めた熱々とした肩に触れられて、驚いたように手を退かれてから、うちわを渡された。私はぱたぱたと影を消してから柄をくるりと回して女性に向けたけれども、あげると言われて仕方なくゆらゆらと振りながら帰った。  白い服が嫌いなわけではない。太陽の下だと輝いてしまうから目が痛くなる。だから曇りや雨の日には白い服を着るのが嬉しかった。  雨の匂いがする日に白のシャツなどを着ると、心が崇高(すうこう)な場所にいるのを感じて、湿気が肌に吸い付いて鬱陶しいのも許せたし、街の喧騒にも寛容になれた。彩度が落ちて、自分の地面を踏む足取りと葉擦れと行き交う車と、そういった世界のすべては調和をとって、頭がすっきりとした。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加