私は鮮やかな世界で生きている

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◇  それから、鮮やかから逃げるようにして東京に来た。  春と言っても十分に冷えているように思った。周りと差のない装いでも、私は肌を擦って寒さを凌いだ。  人の多さに参ってしまうだろうという心配はそれほど深刻ではなかった。誰もが目的を分かっているように見据えて行き交う佇まいは、乱雑さに一種の秩序すら感じて、波のようにひとつとなって眺められて楽に思われた。擦り合わせた手をおろして、私は波に乗るように背筋を伸ばして歩いた。  ちょうど道端に石垣が高く積まれている歩道では、石の隙間のコケを眺めながら歩いた。北向きにほとんど日陰になるのかしらと思っていたら、石垣が切れて開けた道に出たので、風を受けた。  それから私は淡いものに呑まれたので咄嗟に風上の方の手で顔を覆った。 そうしたら近くの親子連れが桜吹雪だと言ったので耳を疑った。あれだけ嫌った鮮やかな花びらに揉まれてしまえば、ひとたまりもなく逃げ出してしまうだろうが、そこらに散らばって風に転がる断片は、白かったのだ。  確かに花びらであろうとじっと地面を見た。これが桜であろうか。  どこか違う世界に来てしまったと思ったが、子供の無邪気な笑い声が私を落ち着かせた。  風上を見ると、高い石垣の上にそれがあった。遠かったので花のひとつひとつは認識できなかったが、まとまれば淡いピンク色にも感じた。  木はひとつの生命体であった。切り裂いた皮膚からさらさらと血が流れるような命の削り方はどこまでも優しく、首からすとんと落ちて、引っ張ればプチン命切れた様子はなかった。  ひらりをよく狙ってから捕まえてみた。両手におさめたそれを開いたら、すぐに風がさらっていってしまった。それがまだ生きていたので、嬉しかった。  私は白いシャツを着ていたが、その時ずっと見つめていたのは桜の木だった。 《了》
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