一辺六フィートの幻影

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 その日もカマエル氏は日課である蚤の市めぐりをしたあと、戦利品を手に帰宅した。ただし今回、それを背中に隠すことはできなかった。というのも、その物品が大き過ぎたからだ。 「見てくれ、アンナ!」物品だけでなく興奮すらも隠せないままカマエル氏は言った。「久しぶりの大成果だぞ! いや、これは最高の逸品だ!」 「いくらしたんです?」書棚の拭き掃除をしていたアンナはこちらを振り返りもせずにそう訊ねた。  カマエル氏はため息とともに首を横に振ると、抱えていたそれを床に置いて端を両手でつかんだ。それから上体を起こすと同時に両腕を振り上げると、筒状に巻かれた物品を空中で広げる。 「おや! よしてくださいよ!」振り返り、見開いた目を宙に向けながらアンナが言う。「せっかく掃き掃除をしたのに埃が舞うじゃありませんか!」  だが時すでに遅し。カマエル氏が広げた絨毯は部屋に広がったあとだった。ただし床の上ではなく、室内のそこここに置かれた物品を覆うように。 「どうだい、美しい模様だろう?」 「また蚤の市ですか?」アンナが絨毯の端をめくり、その下に置かれた陶磁の花瓶を助け出す。 「いいや、行商だよ。ペルシャか、あるいはインドからの品かと睨んでいるんだ」 「ろくに調べもせずに買われたんですか? 呆れた」 「そう言わないでおくれ。ごらん、この一織り一織りにどれだけの時間がかかっていると思う? 聞いた話じゃ、こうした織物はみんな職工女が手作業で一生をかけて、ともすれば数世代にわたって織りあげるそうだ。そうした長い歳月をかけて仕上げた代物、一ポンド出したって惜しくもなんともないね」 「一ポンド!」アンナは見開いた目を重たいまぶたでどうにか覆い直すと、「先代が遺された財産をよくもまあそんな放蕩に費やせるもんですね」 「歴史ある品々の保全活動だよ」  アンナはふん、と鼻を鳴らすと、陶磁の花瓶を拾い上げて奥の寝室へと引っ込んだ。 「きみこそ今日は何を買ってきたんだい?」カマエル氏は声を張ってそう訊ねた。 「白百合です、坊ちゃま。〈アイル・オブ・ブルーム〉で咲き頃のが並んでましたので」 「百合か。ならこっちに飾っておくれ。あんまり匂いが強いんじゃよく眠れないからね」  カマエル氏のこの要求に、アンナは右手に花瓶、左手に水を張ったバケツを持って戻ってきた。そのバケツには、乙女の唇のように綻んだ花弁の白百合が数輪揺れている。  アンナはそれらの荷物を床に置くと、テーブルの上にかぶさっていた絨毯を摘み上げ、まるでネズミの死骸でも扱うかのようによそへと放った。  その無造作さにカマエル氏は思わず苦笑した。このメイドにかかれば、主人のお気に入りの一品などものの数ではないらしい。いや、たとえ表のドアからヴィクトリア女王その人が訪ねてきたとしても、眉一つ動かさずに家事を続けるだろう。 「花を飾る前に絨毯を敷くのを手伝っておくれよ」 「坊ちゃまこそ仰っている順序が逆ですよ。そんなに埃っぽいもの、床に敷くにしてもまずはよく洗って天日干しするのが先です」 「洗ったりしたら模様の風合いが落ちるだろう」 「風合いもへったくれもあったもんじゃありませんよ。その毛並みったら、まるで疥癬病みの野良犬みたいじゃないですか」  苛立ちをぶつけるように白百合の茎を剪定していくアンナに対して、ソファに腰かけたカマエル氏はとうとう口の前で両手の指を組んでしまった。もっとも、そのハシバミ色の瞳に降伏の意思は宿っていなかったが。  それから百合を活け終えたアンナが夕食の支度のため階下のキッチンに行くのを見計らい、カマエル氏はふたたび広げなおした絨毯を床に敷きはじめた。  部屋のあちこちに散在する掘り出しものたちを足で押しのけ、持ち上げた拍子にテーブルの上の花瓶を危うく倒しそうになったが、たるみやしわ一つない状態で絨毯を敷きおおせたときには、深く頷いてみせた。  カマエル氏自身、自分がなぜこのような性急さを発揮したのかわからなかった。  それでも黒と朱を基調にニガヨモギと異国の天使の姿をあしらった美しい模様を見るにつけ、心臓の鼓動が高鳴るのを抑えられなかった。  自らの足で探し当てた品々を等しく大切にする氏ではあったが、このときばかりは絨毯以外のすべてが無価値なガラクタにしか思えなかった。
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