一辺六フィートの幻影

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「まったく呆れてものも言えませんよ、私は!」  降り注ぐ怒声に目を開けると、天井を背景にこちらを見おろすアンナの顔が見えた。 「ソファどころじゃなく、まさか床の上でのびているだなんて。まさかブランデーをしこたま召し上がったんじゃないでしょうね!」  さあ、どうだろうねえ。そう答えようとしたものの、カマエル氏の口から出てきたのはひび割れた唸り声だけだった。  よじのぼるようにしてソファに座ると、疲労が身体のあちこちから染み出してくる。アンナがまだ何かをがみがみとまくしたてているのはわかったが、氏が考えていたのはもっと別のことだった。  床に身を横たえて暗転した意識の中でも、カマエル氏の思索は続いていた。それは一種瞑想的でありながら、それでいて通俗的なものだった。  すなわち、どうすればあの結界の向こう側へ行くことができるのか。とどのつまりは、どうすればあの女と対面することができるか。  その一点にのみ、カマエル氏は無意識にあるなかでも思考を向けていたのだ。  ほんの一瞬触れただけで、あの結界がいかに強固であるかは思い知らされていた。それは物理的なものではなく、もっと他の理由から発生する堅牢さであることも確信していた。  仮に、この部屋いっぱいに敷き詰めたダイナマイトに火をつけたところで、あの結界にはひび一つ入らないだろう。 「明日の朝早くに干しますからね。それからまたお花を飾らないと。このあいだの白百合はすぐに駄目になってしまったから」  難題に頭を悩ませていたカマエル氏は、この言葉を聞いて飛び上がるようにして身を起こした。いっぽうでアンナは、血相を変えた主人にめずらしく目を丸くしていた。 「いま、なんて言ったんだい?」  ようやくそれだけ絞り出したカマエル氏は、そばのサイドボードに置いてあったグラスの中身を飲み干した。注がれてから一晩が経っていたワインは思わず顔をしかめてしまうほど味が落ちていたが、ひとまず喉を潤す役割は果たしてくれた。 「何って、絨毯を日干しに――」 「そのあとだよ」 「お花を新しいものに替えようと言ったんですよ」 「それだ!」カマエル氏はそう言ってアンナの肩をつかむと、がくがくと前後に揺すった。顔に浮かんでいた笑みは、メイドの手によって身を引きはがされたあとも残り続けた。「そうだ。あれは最初からあそこにあった……やったぞアンナ、お手柄だ!」  カマエル氏はそれからぶつぶつと独り言を繰り返しながら部屋のあちこちを歩きまわった。  何を言ってもろくな返事もしない主人に、メイドはとうとう見切りをつけてその場をあとにした。
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