一辺六フィートの幻影

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 女の登場をこうして真正面から見るのははじめてだった。まず足、それから鼻先、そして胴体があらわれる様子は、やはり垂直に張った水面から浮かび上がるのに似ていた。  今夜も絨毯の上をあちこち歩くのだろうか。  そんなカマエル氏の予想に反して、結界の中に全身をあらわした女はその場で立ち止まった。それから閉じていたまぶたをゆっくりと開く。  浅黒い双眸に見据えられた瞬間、カマエル氏は大きく息を呑んだ。いまの女の美しさは、結界越しに見ていたときとはくらべものにならないほどだったのだ。  ふたたび歩を進めた女に呼応するように、カマエル氏も相手に近づいていった。  それから二人は絨毯の中心で向かい合った。いっぽうはテーブルの傍ら、もういっぽうはその天板に腰から下をうずめた状態のまま。やがて女が差し出した両手を下から支えるように取ると、氏は軽く咳ばらいをした。 「お初にお目にかかります。ヴルンスト・カマエル伯爵と申します。こんな格好で申し訳ない。お会いできるのを楽しみにしておりました」  挨拶としては及第点以下だったが、どうにか体裁を取り繕うことができた。いっぽうで女は何も言わず、微笑みをたたえたまま黙って氏を見つめていた。 「それにしても、ここは素敵な場所ですね。ああ、私の部屋ではなく、この中がという意味ですが。幻想的で、神秘的だ」  女は相変わらず何も言わなかったが、カマエル氏にとってはその顔をこうして間近で見られるだけで充分だった。  こちらが指にほんの少し力をこめると、相手も同じだけの強さで握り返してくれる。それだけで心が舞い上がった。  それからカマエル氏は、尽きぬ興味のまま女に質問を投げかけ続けた。  生まれはどこなのか、信じる神はあるのか。生い立ち、生業、好きな花。  そして、愛する人はいるのか。  だが何を訊ねても女は答えず、また笑みを絶やすこともしなかった。 「それにしても、ここは少々肌寒いですな」  言いながら手を離すと、それに追いすがるように女が手をつかみなおしてくる。その性急とも言える動きに、氏は思わずたじろいだ。女の大胆さに動揺を感じ、さらにその裏に恐怖が走るのも見逃さなかった。 「あの」カマエル氏は自身の威厳が萎んでいくのを感じながら言った。「何かお望みのものはありませんか? 軽い食事や、お酒を召し上がりませんか? ここから出られればいくらかご用意しますが」  いまや女が手を握る力は、痛みを感じるほどにまでなっていた。相手に悟られぬよう、どうにか拘束を解こうと努力したが、いっこうに離してもらえそうにない。  そんなカマエル氏の脳裏を、絨毯を買ってきたあの日にアンナが活けていた白百合の姿がよぎる。それも瑞々しい白さをした見た目ではなく、茶色く枯れさらばえ、花弁を垂れ下げた様子を。
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