靉靆-あいたい-☆1

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靉靆-あいたい-☆1

あの日 ほんの少し触れた指先の冷たさが、そのまま形になって固まってしまった。 ほんの少し、もう少しその手を伸ばせていたら。 彼女を失わずに済んだはずだと、繰り返す想い。 今日も部屋に差し込む朝の光に左手を伸ばしてみる。 もう掴み取る手がないと分かっていても、その先へ。 32489a0a-49b8-4887-b4d3-9d0133bff143           #1 断ち切るように羽音に似た音が部屋に響き、同時に無機質に光る壁の前で、透明なスクリーンが立ち上がった。 身体をそちらに傾けながら伸ばした左手を、そのままスクリーンの前で手前に弾く動作をする。 「おはようございます。殿下」 音声だけが繋がり、若い女性らしい声だが、どこか生真面目そうな口調が広がった。 「ここで殿下はやめろと言っただろう?フェード」 「ア…アポロニアン殿!」 いや、それも違うんじゃないか…と思いつつも、素直で真摯なフェードの姿を浮かべて諦めることにした。 「すぐに向かうので、西棟のセルで落ち合おう。準備は出来るか?」 問いかけつつも裸の身体を起こし、サイドテーブルの上の薄く淡いブルーに光る小さなブレードを、体幹に当てる。 ブレードは身体に触れた途端、生き物のように広がって彼の思い描く服装に変化した。 この物質は何にでも変化できる特殊な物質で、使う者の能力に従ってあらゆるものを再現できる。 息を吸うかのように下着から靴まであっという間に準備されてしまったが、この流れるような一連の動作は、彼にとっては染み付いた朝の行動だ。 同じ物質から出来ている無機質な部屋の壁にも、イメージ通りに鏡を作ってさっとチェックすると、風のように部屋から出て行った。 「西棟のセル3に準備致しました」 出ると同時に、今度は耳に生まれた受信機から声が聞こえる。 フェードの無駄のない仕事ぶりは、好ましい。 「ありがとう、すぐに着く」 この星の調査隊の仕事に就いて1か月経つというのに、まだ終わりの見えない今日が始まる事に少し疲労を覚えながら、セル3へ向かった。           #2 半年程前から、"帝都"では"謎の医療班"の噂が囁かれるようになった。 それ以前にも、そのような噂はちらほらと湧いては消えていたが、今回は日を追う毎に異様な広がりを見せていた。 "帝都"とは言うものの、それは統治された全ての宇宙の機能を司るもの。 世界の中心を成す組織である。 非常に高度に進化した生物は、争う無意味さを知っている。 どの個体も有能に成長し、互いの平和を享受する事を願い、それを実現する力を得た。 その結果、必要なのはその個体の固有性であり、基本的な成長や変化が一律に得られるのは自明の事として認識された。 つまり誰もが超一流の知能や身体能力、そして道徳的行動を行う制御力などを義務教育で得られれば、能力の差なんて意味がなくなる。 あらゆる物を、作り替えることのできる世界。 そこでは「私が私である」独自性を証明する事が、自由と平和と変化を保証された"帝都"に属する宇宙の生物達にとって、何よりも重要事項となるのだ。 唯一無二の自分らしさ。 それを見つけ出し、社会に組み込んで円滑にシステムに載せてゆく工程が、いわゆる"帝都"の重要な機能のひとつである。 "医療班"と呼ばれる技能集団は、膨大な情報の中から個体特性を見つけ出す能力に秀でた者達で構成され、"帝都"の重要な歯車を担っている。 この"帝都"に所属する世界の意志ある生物は、見つけ出された個体特性によって識別され、全て何らかの道の天才として己の道を極めてゆく事が求められる。 そのようなシステムの外で、"謎の医療班"が現実に存在するとすれば、それは脅威となる。 "医療班"とは、生命そのものを解読し、全ての秘密を暴くもの。 それを担う者は、強大な力を得てしまう。 全き善でなければならない組織が"謎"では、"帝都"の存在そのものを揺るがしかねない。 噂となっている"謎の医療班"は、"帝都システム"には属さない、無能な生物しかいないと判断を下され、放置された宇宙のひとつである"太陽系"と呼ばれる地域にあるという。 "帝都"の中枢が置かれている地域からは遥かに遠い、そして小さな規模の宇宙。 その中の"地球"という惑星に、ケン・アポロニアンは調査のためやって来た。           #3 「ジャックはどうした! またばっくれたんか??」 調査隊のメンバーのひとりで、一際体格の良いオグリがモニター越しに、今日もあきれ顔と眉間に皺で声を荒げた。 「オグリ博士、耳が痛くなりますよぉ。」 くりんくりんの巻き毛を揺らしながら、フェードが無駄に可愛いくなだめに入る。 セル3には、ケンとフェードともう1人居るだけで、あとのメンバーは3D再生された姿で参加している為、少しひんやりとした空気が流れている。 各々が専門の分野で調査を進めている内容を、朝の定例会でケンが指揮・確認をするのだが、肝心の地球に住む"帝都"出身の参加者が殆どいない。 「アイン博士…」 「何じゃね?」 「医療班の責任者が欠席では、話しが進まないのですよ。昨日も言いましたが…」 「忙しいじゃろうて。しゃーないやろ」 ケンが、セルにいる3人目、地球に住む有名な"帝都人"のアイン博士に声をかけた。 その姿を犬に変えてしまって久しいという博士が、お気に入りのソファーに寝そべりながら参加しているので、どうにも怒る気力が出ない。 この宇宙の翻訳機能が変なのか、いったい何処の方言なのか解らない言葉が博士の口から繰り出されて耳に響く。 挙句にグリフォン という犬種に転生した博士は小首を傾け、くりっとして訴えるような可愛い眼差しで見つめ返してくるので、益々話し辛い事この上ない。 この気怠い感じが、地球っぽいのかわからないなと思いながら、はぁ…とため息をついて、ケンは朝の定例会議を開始した。           #4 実際にはこの1か月で、太陽系の惑星の新しい情報は殆ど収集できている。 そもそも"帝都"のメンバーになれないような、進歩の望めない劣った文明の宇宙でも、消滅に至る過程を普段から記録しているからだ。 このような宇宙では、好んでこうした地域を好む、アイン博士のような奇妙な天才が密かに集まる"帝都人街"が必ず存在し、その役割を担ってくれている。 地球での"帝都人街"の名前は、"ファンタジア"と呼ばれていた。 1か月前にケン達が調査に入った時は、思いの外スムーズに受け入れられた。 ファンタジアで顔効きの、アイン博士が気さくな人柄もとい、かなりアバウトなキャラ設定で、あっさりと "謎の医療班"のリーダーとされている、ジャックという人物を紹介したからだ。 目的の謎が謎でなくなったからには、調査も数日で終わると思ったのも束の間、そこから先の扉は一向に開かれなかった。 ジャックという男も、アイン博士に負けず劣らずの変人で、その上"高倉健"のような寡黙さと"松田優作"のような風貌で(と、アイン博士が紹介した)、取りつく島なく、最初ちょっと顔を出しただけでその後は全く顔を見せなくなってしまったのだ。 "謎の医療班"は、別に害を為す行為を行なっている訳ではなく、帝都管轄外の低俗な地域、というレッテルを貼られた無法地帯に住む帝都人を、影ながら治療している集団である事が事前の調査で分かっていた。 このような医療班は、この地球以外にも多数存在が認められている。 しかし、このファンタジア内の医療班は別格であった。 その技術力の高さ、何よりも数少ない"個体判別能力"を持つ者しかできない治療法を行えるという噂は、現地調査の結果疑い様がないと考えられた。 "帝都"でもひと握りの人材しかいないのに、ジャックと名乗る人物は、帝都人でありながらその本性を明らかにしていない。 また、そのメンバーもどれほどいるのか不明なままである。 "謎の医療班"は、このファンタジアの中に存在している。 いるにもかかわらず、ケン達にはその門戸を閉ざしたまま、そのエリアに足を踏み入れる事もできない。 そんな"帝都人"の彼らの自由も、"帝都"の秩序を脅かす行為に至らなければ保証され続ける。 この膠着した状況で、どのように判断を下すかをケンは日々模索し続けているのであった。
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