殺戮者-さつりくしゃ-★1

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殺戮者-さつりくしゃ-★1

パンドラの箱が… アラステアは星もないひどく暗い夜の 灯りもつけずひっそりとした暗闇の中、獲物を狙う獣のように、ひとりその目にメラメラと炎を宿していた。 あれから何十年あの女を探し求めていたのだろう… まさかこれほどまでに、己が執着するとは思いもよらなかった。 なぜだ…なぜだ…なぜだ… アラステアは、自分の愚かさに苦悶する。 王たるものが、女如きに理性を失うなど笑止。 このパンドラの箱は開けてはならぬ、決して。 しかし…あの女を自分の物にしたい。 その煉獄の焔は、胸の内で益々大きくなってアラステアの心を焦がすのだった。           #1 帝王アラステアが率いるビアズリー帝国の中心である惑星オーブリーは、高度な文明を持ったビアズリー人の高官達が住む都である。 遥か遥か昔、ビアズリー人の祖ラッカムは"帝都人"であった。 ラッカムの専門は遺伝子研究であり、かつては帝都の"医療班"にも所属していたほど有能な科学者であった。 ラッカムの妻キャロルも同じ分野の専門家であり、二人は"帝都人"に劇的な進化をもたらしたあの変幻自在の物質『エニグマ』を体内に取り込むという研究に没頭していた。 『エニグマ』を体内に完全に取り込ませた新生物を創りだそうとすると、必ず遺伝子の不可逆な変化を起こしてしまい、根本となる個体判別ができなくなるばかりか、肉体を保つことができなくなってスライム化したままとなる。 多くの問題点を解決できないまま、果てしない年月を重ねるうちに、他の研究者が『エニグマ』をプラスチックフォーム化させ制御する技術を先に開発した。 その技術が主流となり、その後はその分野が加速度的に発展し、今の非常に洗練された"帝都システム"へと昇華されていったのだった。 失意のうちに、ラッカム夫妻や彼らと同じ研究グループの研究者達は、"帝都"から離れた"帝都システム"には属さない未開の宇宙の医療班の中で、自然に細々と研究を続けるようになっていた。 長い歳月を経たある時、ラッカムは実際に自分の身体を使って『エニグマ』を何とか取り込む事に成功した! これは禁じられた人体実験であったので、ラッカムが極秘裏に己の命を賭けるという最後の手段をとった結果もたらされた幸運だった。 他者を傷つける事を善としない、"帝都システム"で植え込まれた倫理は終生変わらない。 誰も傷つけることなく、平和のために。 妻キャロルも夫の死を覚悟しながら、誰の協力も得られる事のないその研究を、唯ひとり支援し続けた。 ラッカムの体はその形を維持したままであったので、さらにラッカム自身を対象として二人は研究を真摯に続けていった。 しかし幸か不幸かラッカムには、大きな変化がその後も生じる気配が訪れなかった。           #2 そんな二人の間に、子どもが出来たのはどのくらい経った時だろう。 それまで二人の間には子どもがいなかったので、初めての妊娠。 妊娠出産時は研究も休んで地上の穏やかな土地を見つけ、そこでラッカムもキャロルも、心から喜びその誕生を心待ちに準備した。 "帝都システム"での義務教育をどこの惑星でうけさせるかなどを考えたり、新しい移住先の惑星の情報を検討したり、名前を考えたりと今までにない心情の変化に彼ら二人は幸せに心が踊った。 そうして誕生した、待ちに待った子どもは男児であった。 可愛く笑うその表情に、二人は今までにない幸せを感じて、ずっとその子のそばに寄り添っていた。 彼らがその子に、クラークという名をつけて"帝都"に申告しようとするところで異変が起きた。 クラークは異能を持った子どもだと悟った時には、もう妻キャロルの身体は急速に衰えて、呆気なく死んでしまったのだ。 本当にあっけなく、何もできないまま… ラッカムは唯呆然とし、絶望の淵に堕ちた。 しかし、ラッカムの腕にはキャロルの残した愛児クラークがいる。 クラークは、母親の無残な骸を見ても、笑顔で母の腕とも分からない成れの果てに向かって、抱っこをせがむかのように、その小さな手を一生懸命伸ばしていた。 その姿を見たラッカムは、涙を流しながらもはたと我が子の事に思い至った。 異能を発現したクラークは、その存在を明らかにもできず、明らかにしたところで"帝都システム"の中ではまともに生存を許されないだろう。 どのような異能をこれから発現するのか、"帝都システム"を脅かす対象と認定されてしまえば、密かに抹殺されてしまうか、研究対象となって生涯を終えるか…。 どちらにしても、我が子とは過ごせなくなると悟ったラッカムは、自分ひとりでクラークを育てることを心に決めた。 "帝都システム"の外で、誰にも知られずに。 ラッカムは、すぐさま行動を開始した。 その後ラッカムの消息はすっかりと消えてしまう。           #3 誰かにとっての"善"は、誰かにとって"悪"となることもある。 諍いのない"帝都システム"であっても、それを侵害するものは、"悪"と見なされることもある。 何億年も前に、まだ現在のような洗練されて統一したシステムになっていない途上では、"善"という大義の下、殺戮に近い排除が行われていた時代もある。 それが遥か昔の対応の仕方とはいえ、今も安寧を保つ為に何らかの力を用いて対応する事も稀ではない。 むしろ、予測される最悪の事態を回避するための行動は、遥かに用意周到にかつ速やかに断行されている。 かなり高度な知性をもつ生命体は、"帝都システム"に含まれない世界でも数多く存在する。 それでも圧倒的な技術差をみせつける"帝都システム"を凌駕する知性体は、いまのところ存在しない。 まして反旗を翻すような愚かなレベルでは、そのシステムの存在に気づくことすらできず勝手に滅んでいくのがおちだ。 現在では、長い間存続できるような高等種族のいる進化した宇宙では、"帝都システム"に属する道を選ぶか、均衡を保つように互いの領域を侵害する事を決してしないか、そのどちらかを選択している。 それが宇宙の暗黙の了解であった。           #4 帝王アラステアの統治する、ビアズリー帝国は後者を選択した民族である。 『決して"帝都人"と交わるなかれ』 それがビアズリー帝国の祖"ラッカム"の教えであったからである。 遥か昔ラッカムが異能を持つ我が子クラークと共に姿を消してからというもの、愛する妻キャロルを失った悲しみと我が子への愛が形を変えて、狂ったように『エニグマ』への研究に没頭していった。 クラークは、スライム化することもなくスクスクと成長してゆく。 "帝都人"を凌駕するような頭脳を持ち、さらに異能を発現すれば惑星ひとつを一瞬にして消し去ることも可能なほどの力を蓄えていった。 もし"帝都システム"にこの能力が知られてしまったら、クラークは抹殺されてしまう! そんな恐怖が、ラッカムの頭から離れなかった。 クラークのような子ども達を増やして、彼等が安心して暮らせる世界を創りあげる事。 それが父としてのラッカムの願いと言動力となった。 何億年の歳月をかけて、ラッカムの研究は進んでいった。 少しづつ『エニグマ』を取り込むことに成功した生命が増え、かれらが"ビアズリー人"となっていく。 "ビアズリー人"は、それぞれの異能を公にせず力を蓄えてゆき、いつしか一大帝国を築くに至った。 それが今のビアズリー帝国である。 そしてその帝王として君臨したのが、クラークの長男アラステアであった。
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