相生-あいおい-☆2

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相生-あいおい-☆2

息ができない "帝都"からの調査隊が来るとアイン博士から通達があったが、今日だったのか。 いつものように朝方まで仕事をして午後から起き出しぼんやりした頭でも、いつものファンタジアと違う、どこか尖った空気が漂っているのを感じた。 面倒くさい奴らに会わなくてすむように、遅い昼食を何処で摂ろうかと考えながら、何気なく振り返った視線の先に…再びまみえるはずのない、彼の幻影が見えた。 5f3b27b8-7c69-478e-9545-d349b83d1446           #1 「やっと起きたか?」 「つっ…。加減しろあほ!」 固まっていたマトリを、ジャックが容赦なく後頭部を殴り止まった時間が戻ってきた。 反射的に悪態をつくと同時に、息を吹き返す。 「会議お前が出ろ」 「は? だっ、だめだだめだだめだ〜!」 脱兎の如く姿を消した医療班主任マトリの顔は、ジャックが未だかつて見たことのないような、泣きそうな顔に見えた。 そんなやり取りを横目にアイン博士が、トコトコと歩み寄る。 「ジャック。お前が主任だ。ついてこい」 ジャックは鋭い一瞥をアイン博士に突き刺しつつも、博士を抱き上げて、"帝都"からの御一行を迎え討つ覚悟を決めていた。          #2 "帝都"からと聞いても、ケンをイメージできないほどマトリの中での"帝都"は遠い存在になっていた。 「調査隊に、ケンが? まさか…」 自室に駆け戻り、中庭で炭酸水の泡を眺めながら、思考はくるくる渦を巻いたままだった。 数十年前の事故に巻き込まれ、ケンの目の前でブラックホールに消えた自分。 事故後の記憶が一時期消失していたとは言え、マトリが吹っ飛ばされた地球の環境は劣悪だった。 思い出す度吐き気がして、実際まだ吐くことも稀ではない。 たまたまジャックと知り合って、"帝都人"としての尊厳をなんとか回復できたことは、幸運としか言いようがない。 ジャックは、マトリにエメラルドグリーンの髪と深い深海の瞳、そして身体を元通り綺麗にして返してくれた。 でも頭の中は、どす黒いタールのような記憶がべったりとこびり付いて取れやしない。 記憶の改変は、非常に難しい技術である。 "帝都"にいた昔、彼女は医療班の中で最も難度の高い、脳の解析技術者としてトップの地位に就いていた。 だからこそ解る。 この黒い記憶を消せば、ケンの記憶を失う可能性がある事を。 自分の脳は、自分では治療出来ない事を。 だから、マトリの命は汚れたまま存在している。 もう元に戻る事は、決してない。 一気に炭酸水を飲み干し、ヒリヒリする喉の痛みで、やっと今の自分に戻って来れたような気がして、息を吐いた。           #3 "帝都"のシステム外で生きるほとんどの"帝都人"は、現地の生物の多様性を真似て、それぞれ現地人として生活している。 マトリも例に漏れず、表向きは日本人として東京で生活している。 180cmを越える長身が標準の"帝都人"にとって、その外見も相俟って日本は住み難い所である。 ニューヨークに住んでいたジャックがアイン博士と散歩をしている時に、廃人になりかけていたマトリを偶然嗅ぎ分けてくれた状況からすれば、アメリカという選択肢もあった。 ただ能力が圧倒的に違う"帝都人"は目立ちやすいので、現地で共に暮らす事は殆どしない。 それに、現在アイン博士が熱狂的日本贔屓で、半ば強引に日本人設定に引っ張られてしまった事が1番の要因となった。 間取(まとり)慈恵(じえ)という転生名で、フリーランスの医師という身分を取得して、実務はほとんどファンタジアの仕事で忙殺される日常が、今のマトリである。           #4 地球での抹殺したい記憶故に、マトリはファンタジア内でも、東京で生活する容姿の新しいプラスティックフォームを纏ったまま過ごすことが常であった。 黒髪、漆黒の瞳、そして年齢設定に合わせた皮膚の変化など、医療班の特殊技術で創ってもらえば、服を着替えるように簡単に化ける事ができるようになる。 地球人のように高度に進化できない生物の命は、余りにも儚く老いて、死に逝く。 "帝都人"は、脳の情報機能を維持できれば、身体の再生はいくらでも可能である。 前世の記憶を残す『輪廻転生』とは、帝都人の事を指しているのかもしれない。 マトリは、自分に言い聞かせるように考える。 もしこの先、ケンと万が一会うような事があったとしても、彼は自分に気がつく筈はない。 あの事故さえなければ、あと数日でアポロニアンの姓を名乗るはずだった清らかな女性は、もうこの世にいない。 その後の地獄に立ち向かう為に、どれほどの絶望と強靭さが必要であったか。 無垢な己を捨て去る事で、やっと今踏み止まる大地を見つけた。 ケンとの記憶の中にある女性の姿は、もうマトリの記憶の中でしか存在しない。 元の姿で彼に会う事はできない。 全ての記憶をデリートしてまったく新しい生物になれば、楽になると分かっていた。 分かっているのに、どうしても捨てられなかった。 失いたくなかった。 愛した彼の記憶と、彼に愛された姿を…。
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