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空木-うつぎ-☆3
懐かしいような
反射的に、体がその声に引かれていた。
振り返った視線には、黒髪の女が、文句を言った相手の男の横をすり抜けて、あっという間に去って行く後ろ姿が映っただけだった。
地球に住む"帝都人"。
「気性が荒そうだな…」
「そのようですね。あ!あの犬が、かの有名なアイン博士ですよ!殿下!」
興奮したフェードが、キラキラ声を出してケンの後ろに控えた。
犬を抱えた先ほどの男が、こちらに歩み寄ってくるのをフェードと見届けながら、ケンには去っていった女の声が、まだ耳に残っていた。
そして、なぜか一瞬懐かしいあの花の香りが蘇った。
#1
今日もアイン博士とフェードの3人で、ドライブインシアターにて映画を観に来ている。
博士の、日本の特に優れたアニメオタクぶりには脱帽するしか無いと思うこの頃。
事の発端は、博士が人物評価などを日本の俳優やアニメキャラに寄って説明するので、情報収集の一環として何気なくお勧め作品を聞いてしまったからである。
博士の潤んだわんこ目で、映画は映画館で観るのだと強く主張され、『郷に入りては郷に従え』いざ行かん!と速攻でお膳立てされて以来、ほぼ毎日のように連れ出されているのだ。
そもそも犬なんぞに転生しているから、映画館に自由にいけない。
ひとりで歩いていたら、地域の保健所に保護されてしまって、えらい目に遭ったとか。
居酒屋に入れないとか。
散々愚痴っていながら一向にそのままでいるのは、道行く人々から可愛い〜♡と撫でくりまわされる快感に味を占めてしまったからじゃないか?とケンは予想する。
"帝都人"は、何歳と聞いても意味がないくらい長生きしているが、アイン博士に至っては、恐竜を一掃させなければならない事態に陥った時に、巨大隕石を地球にぶつける為の軌道計算を任されたとか言っていたので、それを聞いた調査隊員達は、天下に轟く天才というだけでなく、益々博士に頭が上がらなくなっているのだった。
#2
「ケン、そろそろ帰ってこい!!」
「お前がいるんだ、問題ないだろう?」
「いやいやいや…。ざけんじゃねーよ!ユリが数日中に戻らなければ、陛下の所に直訴しに行くって言ってんぞ。まじで」
「ユリか…。あいつが行くって言うなら、本気だな」
「本気も本気。さすがにまずいぞあれは。ここんところあいつの部署も忙しくて休む暇もなかった上に、デートの約束もお前のせいで守れなかったんだ!やばいんだよ。帰って来てくれ…頼む」
「それはお前のミスだろ。そっちは何とかしろ。残ってる案件は、こっちに全て回せ。お前の分もやっておくから、休みを取れ!」
「お前だって休めてないだろ?いいのか?」
「ああ、大丈夫だ。そのかわり…」
「分かってるよ。陛下のところに行かせるのは阻止する」
「頼む」
外出から戻るなり、"帝都"にいる従兄弟ロバートが、ひどい剣幕で連絡してきた。
モニター越しでも、ロバートの表情は鬼気迫るものがあった。
ケンとロバートは、従兄弟であり、親友であり、幼馴染とでもいう気の置けない相手である。
同じ素質を持ち、殿下という役職も同じ。
日本の天皇の役割と似ているなと、最近ちょっと日本通になったケンは思う。
ユリも、二人との古い友人で、今はロバートの恋人でもある。
年は上なんだろうなと察するが、文官いわゆる文部科学省長官のようなポジションにいる。
ひどい美人であるが故に、かなり近寄り難い空気を漂わせて、怒らせると本当に怖いので、昔からふたりにとっては逆らえない姉貴のような存在でもある。
この1か月の間も、"帝都"からの仕事は山のように地球へ届けられていた。
ロバートの仕事の分もあの後、容赦なく大量に届いたのは言うまでもない。
映画館では、自分の部屋のように数倍速で観て処理をするわけにはいかないので、ファンタジアに戻って本来の仕事をするとなると、睡眠時間を削るしかなくなる。
体力は自信があるので、眠らなくともさしたる影響はないのだが、目的の"謎の医療班"に辿り着けない焦りが、澱のように積もって疲労が回復しないのかもしれない。
それでも何故か博士と歩く日本での時間が、ケンには堪らなく好ましいものだった。
懐かしいような、切なくなるような風景と、何とも言えない時間の流れに身を置いたままでいたくなる。
そんなノスタルジックな感情が、自分の中にある事にも驚きながら、ケンは仕事を片付け始めた。
#3
フェードは、親族に武官の職が多い一族の出だった。
ふわふわの綿菓子のような髪と、身長はあるが全体的に可愛らしい外見に見合わない、武術や戦術を身につけている。
凄まじく強い。
今回の調査隊の参加も、ケンの補佐役としてだけでなく、警護と太陽系の治安に対する処分について、決定が下されれば実行する為にやってきた。
(私…なんで毎日映画をゆったり観てるのかしら?)
ファンタジアに着いてからというもの、"帝都"では見る事のないケン殿下の様子に驚きつつも、何だかほわほわした気分の毎日を送っていた。
アイン博士の誘いに乗って、連日出かける時にケンのお供をするのは嬉しい。
ここでは医療班の協力が得られないので、現地に合った新しいプラスチックフォームが創れないでいる。
そのため調査隊員達は、ほぼ素の状態で異国からの旅行者などを装って活動する事が多くなっていた。
外国人を装っても、長身のケンとフェードが並んで歩くと、かなり人目を引く。
可愛い犬も連れてるし。
それに、ケンは"帝都で最も美しい顔を持つ男"として、"帝都"の中央広場の彫像モデルにされたほどの美形。
(まあ、あれ以来怒った殿下が中央広場に行く事は皆無になってしまったけど。
女の私でも、あの顔の横にずっといるのはなんだかねぇ…)
フェードは鈍った身体を調整するため、トレーニングルームで拳を振り、型を繰り出しながらもいつの間にか殿下の表情を思い出してしまう。
(あかん、あかん…。 あ〜博士言葉がうつったぁ〜)
今日は集中出来ず諦めて、シャワーを浴びてとっとと寝る事にした。
彼らが夢に出てきそうだが。
#4
そんな頃、アイン博士はファンタジアの酒場"リズム"で、いつものようにグラスに入ったズブロッカを丸い氷にそって舐めているところだった。
ファンタジアは、海底深く眠る国。
時々その姿を見せねばならない時代が来ると、その後は"幻の〇〇国"などと歴史上で語り継がれるようになる。
科学力で遥かに及ばない地球人が、その存在を知る事は決してない、海底の楽園だ。
マスターのイルカは、新しく考案したカクテルを博士に差し出してみるが、日本酒には遥かに及ばないと言って、ひと舐めして突き返してきた。
イルカは食品業界のプロとしては、指折りの研究者である。
未開の地に行っては、新しい食材の再現方法を考案している異才だが、人付き合いが好きではないので、殆ど公表されないまま、ファンタジアで自由に気ままに、酒場のマスターをしたりしている。
「よくまぁ戦ばっかりしおって…。地球人は変わらぬなぁ」
「本当に、また危うい時代になってきたと…私達も、うかうかしてられないですね。で、博士、帝都の調査隊はどんな判断しそうですか?」
「彼らが判断下す前に、このままじゃったら地球は自滅じゃろうて」
博士はそう言って、思案顔に瞼を閉じた。
(あやつはさて、どう判断するかのぅ…)
散歩相手にもってこいの相手となったケンの顔を思い出して、博士はちょっと笑った。
「どうしました?博士。何だか楽しそうですね」
「ふふふ…面白い男がおってのぉ」
「マトリの時以来ですよ、そんな顔」
そうイルカに指摘されて、はたと気がついた。
そっちの問題もあったかと。
だが博士の専門外なので、結局思考を棚上げしたまま、明日ケンを連れ出すところをホクホクしながら思案し始めたのであった。
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